人がごった返す、東京駅の改札付近。
電光掲示板に光る列車名と到着時刻を確認し、改札をぬけて指定のホームを目指す。
五条先生から提示されたいくつかの条件の一つ、駅のホームまで迎えに行くこと。少なくとも中学三年間、関東に住んでいたのだ。わざわざホームで出迎えなくとも、せめて改札出口で待ち合わせればいいのに。
ヘラヘラしながら話しているが、サングラスから覗く目は笑っていない。五条先生にここまで言わせる力が、アイツの実家にあるとは到底思えない。もっと上の、御三家レベルの人間もしくは、上層部が絡んでいるのか。
『まもなく電車が参ります。危険ですので、黄色い線の内側までお下がりください』
相手はスマホを持っていない、予定通りの車両に乗っているかも分からない。もしナマエが東京へたどり着く前に途中下車して逃げたとしたら。ジトッと滲んだ手汗を誤魔化すように拳を握り、勢いよくホームへと入ってきた車両の窓を眺める。
本当に来るのだろうか、俺に会いに。もし現れなかったら、俺はどうするのだろうか。
ぞろぞろと降りては出口へと向かって歩き出す群衆の中で、未だにナマエの姿を見つけることはできていない。スマホがあれば簡単に互いの居場所を伝えることができるのに。焦りと不安は苛立ちを誘い、徐々に冷静さを失っている自覚はあった。落ち着け、乗り遅れたのかもしれない。あと五分待って見つからなかったら、五条先生に連絡すればいい。そう思って拳を緩めた時だった。
「ごめん、待った?」
控えめに引っ張られた服の裾に振り返ると、見慣れない私服に身を包んだ待ち人がいた。言いたいことは山ほどあった。いつからそこにいたんだ、お前がスマホを持ってないから探すのに苦労した、最悪来ないかと思った。
詰め寄ろうと口を開きかけた途端、背後に感じた突き刺さるような視線。思わずナマエの肩を掴みつつ、視線の先を振り返れば慌ただしく出口を目指して歩く人々の群れ。
確かに感じた、強い殺気。ほんの一瞬だったが、あれは俺に向けられたものだった。「どうしたの?」と小首を傾げているコイツは気づいていないのだろうか。俺を、いや、俺たちを監視しているいくつかの目があることに。
「行くぞ」
「ちょっ、待って!」
姿が見えない以上、警戒するに越したことはない。
問題は相手が何者なのか。五条先生から提示された意味の分からない要求の数々、すぐ背後に立っていたのに気配を感じられなかったナマエ。なにか仕込んでるのか?もしくは・・・。
ナマエの手首を掴んで改札まで脇目も振らずに歩いた。相変わらずついてくる複数の視線、行き先など決まっていない。会ってから話せばいいと思っていたが、まさか尾行付きとは。とりあえず適当に東京駅から離れればいい、話をするのは追手を撒いてからだ。
「ねぇっ、もうちょっとゆっくり歩い・・・ウブッ!」
改札口へICカードをかざし、ピピッと鳴った電子音に思わず足を止める。予告なく立ち止まったことで、俺の背中に小さな衝撃が加わった。
「悪い」
「いたた・・・、急に止まんないでよ」
「お前、切符か?」
「えっ、そうだけど。ヤバッ、どこやったけ?」
ほどかれた手はあたふたとポケットやバッグを探りながら、行方不明の切符を探す。すんなりと流れていた改札は詰まり、行き交う人々は隣の改札へと避けていく。
少し離れた場所から飛ばされていた視線は、徐々に近づいていた。このまま立ち止まっていれば、居場所がバレるのは時間の問題。危害を加えてこないとも言い切れない。
焦りから舌打ちしてしまいそうになったが、青ざめた顔で慌ただしく手を動かしている姿に、歯を食いしばって耐える。落ち着け、初めのような殺気は感じない。切符が見つかったら走ればいい。
次々と両隣の改札を人が行き交う中、俺たちだけが取り残されていた。俺だけを通した改札は通行止めのバーが降り、ついに物理的に俺とナマエを分断してしまった。
「待って、おいていかないで」
少し泣きそうな困った表情に、切羽詰まった声。この状態で、俺がおいていくような人間だと思っているのか?切符は見つからず、俺から離れるわけにもいかず。察した周囲の人間が傍らの改札を通り抜ける中、ナマエの呼吸が荒くなる。
「おい、大丈夫か?」
「はぁっ・・・はぁっ・・・、まって」
「ゆっくりでいい、落ち着け!」
「ッ!」
通行止めのバー越しに、精一杯手を伸ばした。ナマエの肩に触れた瞬間に世界から音が消え、まるで駅には俺たち二人しかいないような、不思議な錯覚を覚えた。
大きく見開かれた瞳から、目を反らせなかった。強く噛み締められていた唇は、俺を誘うように薄く開いている。引き寄せられるようにそこへ指を運び、ふっくらとした下唇を親指でなぞる。なにか違うとは思っていたが、薄く化粧をしているのか。
「お客様?切符はお持ちですか」
改札機のど真ん中で立ち尽くしたままの俺たちを、さすがに不審に思ったのだろう。笑顔で声をかけてきた駅員に、再び喧騒が耳を襲う。
「あっ、ごめんなさい。たぶんここに・・・、ありました」
「では、お通りください」
ペコリと頭を下げて足早に改札をくぐるナマエ。俺が唇に触れたことに怒るかと思いきや、そのまま手を繋ぐとグイグイと、どこかへ引っ張って歩いて行く。
俺もどうかしていた自覚はあるが、コイツはどうだったんだろう。なにを考えているのか、なにを思っているのか、相変わらず分かりづらい。
だけど、一つだけ分かったことがある。
結い上げた髪から覗く耳は真っ赤で、コイツにも恥ずかしいとか照れることがあるんだってこと。