人形のようにジッと動かないミョウジさんを俵抱きにしたまま、消えかかっていた扉を開けて中へ飛び込んだ。軽いとはいえ、大人一人抱えての全力疾走はさすがに息が切れた。乾燥で張り付いた喉を唾で潤し、改めて周囲を確認する。特に変わった様子はない、真っ白な壁と天井。さっきまでいた廊下のように長い部屋とは異なり、若干狭さが気になるなにもない部屋。窓もなければドアもなく、背後にあった扉は跡形もなく消えている。
「あのさ、そろそろ手を離してくれない?」
気まずさを含んだミョウジさんの声に、右手を繋いだままだったことに気づく。俺の手にすっぽり収まっていた小さな手を放すが、そうじゃないと言いたげな不満げな目が俺を捉える。
「いつまで人のおしり触ってるのよ」
言われてみれば左手が柔らかいなにかを掴んで・・・
「・・・ッ!すみません」
決してわざとではない。走っている途中で消滅を始めた扉に走る速度を上げ、ミョウジさんを落とさぬように押さえていただけだ。口先を尖らせてジト目で睨まれるが、下手に言い訳する気もない。潔白を示すように両手を上げれば、バランスを失ったミョウジさんから高い悲鳴が上がる。
「わわっ!いきなり離さないでよ!危ないでしょ!」
両腕は俺の頭を抱きかかえ、両足は絡みつくように俺の腰へ。押しつけられた胸に顔は埋もれ、視界は真っ黒。微かに震えている身体は、絶対に落ちまいと木にしがみつく小動物のようだ。
「走ってる時もめちゃくちゃ怖かったんだから!伏黒くん、背が高いって自覚ある?私高い所苦手なんだから、ゆっくり降ろしてね。そっと、優しくだよ!」
ぎゅうぎゅうと押しつけられる大きい胸のせいで返事どころか呼吸さえままならないって、この人絶対気づいてないだろ。とりあえず、キャンキャン吠えるミョウジさんを降ろそう。身体に触れないようゆっくりとした動作でしゃがめば、両足が地面に着きようやく離れた身体。左手に残る柔らかい感触と顔全体で感じた、また違った柔らかさに顔が熱を持つが、走ったせいにしておこう。
「ありがとう。私一人じゃあの距離を時間内に走り切るのは無理だったし、助かった」
「いえ、それよりなにがあったのか説明を・・・」
地面に降り立った彼女は何事もなかったかのように、大人の余裕をみせている。ふわりと笑みを浮かべながら優しいトーンで礼を言われ、再び気恥ずかしさが襲う。ほんの数秒の間の出来事だった。思わず視線を逸らした数秒後、ミョウジさんの両頬に現れた黒い文字。
『十秒間見つめ合う』
「なに?どうしたの?」
眉をしかめて俺を見上げるミョウジさんの瞳をジッと見る。左頬に浮き出た十の数字は、九、八、七・・・と数字をカウントダウンしていく。なんだよこれ、この数字がゼロになったらなにが起きる?落ち着け、考えろ!
「あんまりジロジロ見ないでよ」
しっかりと俺の目を捉えていた両眼は逸らされ、ほんのり紅潮した頬には再び数字が浮かび上がる。遅れて襲いかかる羞恥心にたじろぎそうになるが、理性でなんとか堪えた。今起きていることもそうだが、まずはミョウジさんの話を聞くのが先決だ。彼女はなぜ俺と合流してすぐに走るよう指示を出したのか。入り口で別れてから数分しか経っていないのに、所々服が破れているのはなぜなのか。俺よりも明らかにこの異空間に慣れている、彼女の話を聞くのが最優先だ。