「先週のテスト返していくぞ、呼ばれたら取りに来い」
勉強が嫌いだ。特に数学が嫌い。
決められた公式に正しく数字を当てはめて、求められた答えを導く。公式さえ覚えれば簡単だと言う人もいるが、つらつらと並ぶXとyの羅列に拒絶反応が出る。
「惜しかったな、次は満点目指して頑張ろうな。次、ミョウジ」
「はい」
教壇から私を見下ろす教師の目が変わった。この目はよく知っている。そしてこの後、その口から発せられる言葉も。だからあえて、のんびりと歩く。床に貼られたシールにキッチリと合わせて並ぶ机の間を、ゆっくり、ゆっくりと。
「こんな点数、お前だけだぞ。途中までは合ってるんだ、もっとやれたはずだろ?」
差し出された紙にはたくさんの赤いバツが踊っている。決められた公式を使っているのに、当てはめる数字が間違っている。まるで、求められた道を歩いているように見せかけて、必死に逃げようとしている私のようで哀れだ。
「なに笑ってるんだ!放課後、職員室に来なさい!」
思わず鼻で笑ってしまったが、決して先生を笑っているんじゃない。全てうまくいっていると思っている、実家の連中を笑ったんだ。なんとか思い通りにしようと顔を真っ赤にして声を荒げる目の前の大人に、やっぱりどこにいても世界は変わらないんだと痛感する。
「分かりました」
従順なフリをするのは、昔から慣れているの。
* * *
後ろのイス、座ったらダメかな。いい加減、立ってるのも疲れてきたんだけどな。人の話を聞く時は目を見ろ、と大人はすぐに子どもをコントロールしようとする。目を合わせたって、あなたの言葉は私の身体を掠めるだけで心には届かないのに。
「さっきから人の話を聞いてるのか!?」
「もちろん、聞いてます」
「・・・とにかく、実家のご両親もこんな点数見たら悲しむだろ?今日から個別で補講してやるから、来週の再テストは」
補講なんてしてたら家でテレビ見る時間がなくなるじゃない。体調が悪いことにして、帰るのはどうだろう。でも、それだけじゃ明日以降の補講は回避できない。脳内であれやこれやと策を練る私の横を、長い腕が伸びてきて先生の手から答案用紙と、続きの言葉を奪った。
「来ねえと思ったらなにしてんだよ」
「なっ!伏黒恵!」
「私がどこでなにしてようが、関係ないでしょ」
「五条さんから連絡きてただろ」
「・・・マジ?」
まずいことになった。スマホは朝イチで見たっきり、教室に置いたまま。一体、何の連絡だろうか。変に機嫌を損ねて"私の秘密"をバラされたらたまらない。
よくこんな点数取れたな、と失礼な発言を全力でスルーし、逃げるべきは補講なのか、五条さんなのか再び思考を巡らせる。
「おい!俺の話を聞け!だいたい、なんだお前は!関係ない奴は引っ込んで「俺が再テストで50点以上取らせるんで。行くぞ」
「ちょっ!ま、待って、まだ行くか決めてない!」
「バカ、お前の任務に俺が着いて行くんだよ」
丸められた16点のテスト用紙で頭を軽く叩かれ、ちっとも痛くはないが一応睨みつけておく。手首をしっかり掴まれてしまえば、この姿をできるだけ生徒に見られないよう、大人しく従うしかない。校内一の不良と仲良しなんて噂が広まれば、私の残り短い中学生活が台無しになってしまう。
「待って、私の荷物は」
「持ってきた。伊地知さんが待ってる、急ぐぞ」
背後で先生の呼び止める大きな声が聞こえるが、余計な詮索は無用だ。