小説

短い通知音が告げたのは、今から恋人が部屋に来ること。慌ててずり下がったままのズボンを履き、カモフラージュ用に適当な本を床に置く。念には念を入れて窓を開けて換気をすれば、数秒後には控えめなノック音。
「いきなりなに」
「・・・ごめんね、その、どうしても会いたくて」
ウッ、なんだよこの可愛い生き物は。五分前まで俺の脳内で乱れていた女が、今目の前にいる。軽くため息を吐いて中へ入るよう促せば、借りてきた猫のように肩をすぼめている。押しかけてきたはいいが、そこからどうするか悩んでいるのだろう。ベッドを背もたれに床へ座り、カモフラージュで置いたばかりの本へ手を伸ばせば、微妙な間隔を空けて隣へ腰を下ろすナマエ。
「私も、なにか読んでいい?」
本に興味がない彼女の申し出に、気まずさを感じているのは俺だけじゃないと痛感する。頷くだけで返事をすれば、本棚から適当に選んだ本を真剣に読んでいる。

『めぐみくん・・・めちゃくちゃにして?』
違う、やめろ。脳内で服をはだけさせ、上目遣いで俺を見遣るナマエ。抜いたばかりだというのに、シャツの隙間から谷間をチラつかせ迫ってくる姿に、下腹部が熱を持ち始める。
煩悩を祓え、萎えることを考えろ。なにか萎えることを。
『ナマエ、僕があんな事やこんな事、教えてあげる』
ニヤニヤと近づく五条先生に差し出された手を、キョトンとしつつも取るナマエ。やめろ、萎えるどころか怒りでどうにかなりそうだ!

全身の血が沸騰したような錯覚に、ふと湧いた疑問を集中しているナマエへぶつける。
「暑い?」
「うぇっ!は、はい!」
いきなり声をかけたのはマズかったか。落としかけた本をなんとかキャッチして慌てふためく姿にグッとくる。昂った熱を静める為に、窓を閉めてエアコンのリモコンを探す。スイッチを押してナマエを盗み見れば、火照った顔を手でパタパタと仰いでいる。初夏とはいえ汗ばむ季節。薄いTシャツは身体にぴったり張り付き、キャミソールが透けている。首筋をツーッと伝った汗が扇状的で、思わず生唾を飲み込んだ。
「汗かいてる、コレ使っていいから」
「あ、ありがとう」
可愛い笑顔は一瞬でタオルに埋もれて見えなくなった。窒息するんじゃないかと心配するほどに埋められた顔は、次の瞬間とんでもない破壊力を持って上げられた。

「ねぇ、恵くん」
「なに」
「もう少し、近くに座ってもいい?」
暑さと恥ずかしさもあるのか、さっきよりも蒸気した頬。感情が全面に押し出された揺れる瞳に、ツヤのある小さな唇。若干震えている声に、空いたスペースへ置かれた右手。
「・・・どうぞ」
一瞬思考が停止して、思わず敬語になってしまった。マズイ、動揺するな、冷静になるんだ。静かに俺のすぐ隣へ座り直したナマエを極力視界に入れないよう、平静を取り繕ってどこまで読んだかも分からない本のページをめくる。
「あっ、あの!キ、キス・・・したいなー、なんて思った・・・り?」
たまに積極的な一面をみせることがあったが、歯止めが効かなくなるのが怖くて交わしてきた。平静を装っているが頭の中はナマエのことでいっぱいだし、その小さな唇に噛みついて激しく舌を絡ませたい。頭の中にジワジワと染み出す欲望と葛藤しつつも、誤魔化すようにおでこへ口付ける。頼むから、これで勘弁してくれ。俺はナマエを想って我慢しているのに、当の本人はポカンと上の空。再び本に手を伸ばせば横から伸びた手に奪われ、思わず視線を合わせてしまった。
羞恥心を堪えるようにキュッと結ばれた唇、肩に置かれた両手は微かに震え、瞳は潤んで今にも泣き出しそうだ。なにか口にしたいのに頭は真っ白で、言葉が出てこない。スローモーションで近づいてくる白にゆっくり目を閉じれば、柔らかい双丘が顔面を包み込む。

理性崩壊までのカウントダウンが始まる

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