しんっと静まり返った室内。綺麗に整理整頓された恵くんの部屋で読書に勤しむ私たち。ベッドを背もたれに隣り合って床に座るが、私たちの間には微妙なスペースが空いている。恵くんの手元を横目で盗み見れば、実話を元にした小説。対して私は、一切興味のないミステリー小説。本の内容なんてちっとも頭に入ってこなくて、ひたすら悶々と考え事をしている。
脳内で反響する五条先生の声。勢いだけで恵くんの部屋に押しかけたはいいが、私を部屋へ迎え入れた後にすぐ、中断していた読書を再開してしまった。半ば無理矢理に押しかけた手前、気まずい空気に耐えきれず、本棚から借りたのはミステリー小説。普段活字なんて読まないから目が滑るし、登場人物の名前が全員カタカナで覚えられない。
「暑い?」
「うぇっ!は、はい!」
突然掛けられた声に驚き、危うく本を落としかけた。少しくらい笑ってくれてもいいのに、表情を崩さずにエアコンのリモコンを探す恵くんに、胸がチクリと痛む。付き合って二ヶ月、一応そういう行為も何度かしたし、こうして部屋に入れてもらうことだって少なくない。でも、圧倒的に少ないのだ。恵くんが私に触れる回数が・・・!
脳内お花畑(野薔薇ちゃん談)の私は、付き合う=恋人=イチャイチャし放題!と思っていたのに、現実は厳しかった。チャンスを見計らって手を繋いでみようと勇気を振り絞ったのに、触れる直前で自然に交わされたり、目が合った瞬間キスを期待して目を閉じれば、まつ毛についたゴミを取ってくれたり。思い返せばキリがないが、ヒラリヒラリと交わされ続けているのだ。
「汗かいてる、コレ使っていいから」
「あ、ありがとう」
本を読むフリをして邪な妄想をしていたことが恥ずかしくて、差し出されたタオルに顔を埋める。ふわりと香る柔軟剤のいい匂いが鼻腔を満たし、思いっきり吸い込みたいのをなんとか理性で堪える。やるなら今しかない、また本に集中される前にプランAを!
「ねぇ、恵くん」
「なに」
さすがに五条先生の真似はできない。アレは顔が良いからこそ許されるぶりっ子ポーズであって、私が同じことをしたら絶対許されない。第一、どうやって目をウルウルさせるの?は、恥ずかしいけど、四の五の言ってられない!
「もう少し、近くに座ってもいい?」
緊張で震えてしまった声を笑われないか不安になったが、微妙に空いたスペースを埋めるように右手を伸ばしてみる。
「・・・どうぞ」
やった!勇気を出してよかった!心の中でガッツポーズを決め、五条先生に手を合わせる。先生!私やりましたよ!
腰を浮かせて移動すれば、私の右肩と恵くんの左肩はぶつかりそうなほど近づいた。バクバクと音を立てる心臓の音が、すぐ隣にいる恵くんに聞こえていそうで恥ずかしい。でもそれ以上に嬉しい。緩む口元がバレないように俯いてなんとか耐えていると、すぐにページをめくる音が聞こえる。
あっ、また本読むんだ。何事もなかったかのように集中している姿に、舞い上がった気持ちが一瞬で冷めていく。やっぱり恵くんは私のこと・・・。
はっ!そうでした!落ち込んでる暇なんてない、やれることは全部やるって誓ったじゃない!再び脳内に響く五条先生の声に、勢いよく闘志を燃やす。
「あっ、あの!」
チラリと私を見遣る恵くん、か、かっこいい。思わず二の句に詰まるが、勇気を出すの!
「キ、キス・・・したいなー、なんて思った・・・り?」
チュッと軽いリップ音を立てて離れていく綺麗な顔。唖然として目を離せない私をよそに、再び恵くんの視線は本へ戻った。一瞬止まった心臓が再び激しく鼓動を始め、全身の血がおでこに集中したように熱い。
もっと、もっと欲しいの。
もしかして嫌われてるんじゃないかって、胸に巣食う不安を払拭できる程の愛が。
もっと、もっと見たいの。
私を欲して乱れるあなたが、一心不乱に腰を打ちつけるあなたが。
本を奪い取れば、目を見開いた恵くんと視線が交わる。やっと私を見てくれた。奪った本をそっと床に置いてあぐらの上にまたがり、恥ずかしさを誤魔化すように抱き締めれば部屋は再び静寂に包まれる。