小説

「おい、アイツは?」
「・・・アイツとは?さぁ、悟様。本日のお菓子は京都老舗の和菓子店からお取り寄せしたんですよ。お召し上がり下さい」
「アイツに持ってこさせろ」
「なりません!」
ナマエを本家に連れてきてから一週間。初日に隠れんぼをして別れて以来、姿を見ていない。俺の隣の部屋で寝るよう言いつけたのに、使用人部屋で寝ると女中に言付けを頼んだと言う。
鬼のような形相で俺を見る女中に、機嫌が急降下するのを感じる。どいつもこいつも好き勝手にやりやがって。
「明日からでいい、ナマエに持ってこさせろ」
「なっ、なりません。これは私の意見ではございません、もっと上の・・・あの方々のご命令でございます。いくら悟様でも」
目の前で甘い香りを漂わせる菓子に呪力を飛ばせば、グシャッと音を立てて一瞬でゴミクズと化す。途端に青ざめた女中を睨みつけ、わずかに殺気を込めれば慌てて皿を持って部屋を飛び出して行った。
俺に命令するなんて、何様のつもりだよ。





* * *





「悟様、ナマエでございます」
久しぶりに俺の耳をくすぐる、鈴のような音色。襖越しに映る小さな影は、折り畳まれて小さく丸まっている。あえて返事をせずに無視し続けたが一向に動く気配もなく、痺れを切らして襖を開けてやれば深々とお辞儀をしたままのナマエ。
「久しぶりに見たと思えば、なにやってんだよ」
「・・・使用人ごっこ?えへへ」
ゆっくりと上げられた顔に違和感を覚えるが、それがなんなのかは分からない。部屋へ招き入れつつ、今まで姿を見せなかった理由を問えば、悟くんの使用人になる為に、毎日お稽古してるんだよ!と、バカみたいにはしゃぎながら答えるナマエ。だから・・・もう遊べないんだ。最後の一言と共に伏せられた長いまつ毛は哀愁を漂わせ、目の前にいるのになぜか消えてしまいそうな、どこか儚さを感じる。
「ねぇ、見て!今日のお菓子、とっても美味しそう!」
パッと表情を明るく変え、差し出された皿には水羊羹。口の端からはよだれが垂れ、食いつくように何度も瞬きしながら観察している。腹がぐぅっと鳴ったことで我に返ったのか、気恥ずかしそうに机の上に置かれた皿。
「食えよ」
「えっ、だ、ダメだよ!悟くんの分だし」
「腹、減ってるんだろ」
「聞こえてたの!?お腹空いてないよ、全然!お水たくさん飲んできたし、それにっ」
言葉を遮るように再び鳴った長めの音に、見る間に赤く染まる顔。顔から湯気が出そうな程に蒸気した頬に、ギュッと結ばれた唇。添えられた楊枝で羊羹を串刺しにすれば、ポカンと空いた口と羊羹の行き先を追う視線。このまま俺が食べれば、どんな反応をするだろうか。

「ッ・・・!」
俺の口に入りかけた羊羹に、ナマエの瞳が揺れる。泣くのか?俺に縋るのか?背筋を何かがゾクゾクと這う感覚はクセになりそうだ。
「あんま見んなよ」
「!!!」
ポカンと空いたままの口に羊羹を突っ込めば、目を大きく見開きつつもすぐに閉じられた口。甘さを噛み締めるようにゆっくり、何度も咀嚼する姿は、数日ぶりの食事を摂っているようにも見える。
「お前、ちゃんと飯食ってんのか?」
自分の口元を指差しながら咀嚼を続ける姿は、見て分かんない?今食べてるから喋れない、とでも言いたげで少しイラッとくる。なのに、なぜか許せてしまうのが、コイツの不思議なところだ。
最初に感じた違和感、少しこけた頬に目の下のクマ。無理に作った笑顔によそよそしい態度。昨日のやり取りを思い返しつつ、なにか面倒な事になっていることは察するが、俺が手を焼く気もない。だが・・・
「いいか、お前は俺の使用人だ。俺以外がお前を虐げることは許さない、なにかあれば俺に言え」
明らかな動揺に瞳が大きく揺れ、じわっと目尻に大粒の涙が溜まる。その反応だけで、何かが起きていることは確信したが、ナマエが吐いたのは告げ口でも弱音でもなかった。

なにもないよ、立派な使用人になってみせるから

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