小説

「いいかい、勘違いしたらいけないよ。お前はあくまでも本家の使用人。悟様のお心一つでお前なんかいつでも」
あと何分、この話を聞けば解放されるだろうか。いい加減、立ちっぱなしの足が痺れてきた。でも顔に出したらダメ、こういうときは真面目な顔をして、ひたすら聞くに徹するの。
「いつまでボサっと突っ立ってるんだい!これだから分家の人間は使えないんだよ、さっさとコレを届けてきな!」
「はい、すみません。行ってきます」
ブツブツと文句を言いながら背を向けた女中に、心の中でベーっと舌を出して別れを告げる。

手の上には豪華な装飾の施された小さなお盆。その上に鎮座する高級そうな和菓子。これは悟くんのおやつだ。
「今日のお菓子は口に合うかな?もしかしたら一口分けてくれるかも」
悟くんのお菓子を運ぶのは私の日課だ。分家では大切なお客様が来た時にしか見ないような、いかにもな高級菓子を毎日よだれを垂らしながら運ぶ。はしたないと自覚しつつも、口に運ぶ姿をジーッと見つめれば、ほんの少し分けてくれる日もあった。もちろん、目の前で見せつけながら食べられる日もあったが、元は悟くんのお菓子なのだ。文句は言える立場ではない。

「悟様、ナマエです。本日のお菓子をお持ち致しました」
悟くんの部屋の前で足を止め、声を掛ければ静かに開く襖。正座をしている私は必然的に見下されるが、立ち上がれば背はほとんど変わらない。
「さっさと入れよ」
「失礼致します」
軽くお辞儀をしてから部屋へ入り、後ろ手で襖を閉めれば使用人モードはおしまい。堅苦しい仮面を脱ぎ捨て、今日のお菓子を眺める。
「今日はどら焼きだよ、それに二つもある」
「だからなんだよ」
「べつにー?ただ、二つあるねって言っただけ」
どうして二つもあるんだろう、いつもは一つなのに。もしかして私の分?そんなわけないよね、きっと食いしん坊の悟くんがおやつが足りないってゴネたんだ。

「なにニヤニヤしてんだよ、気持ち悪い」
「ひ、ひどい!なにその言い方!」
ゴネる悟くんを想像してニヤけてしまったのは事実だが、最後の余計な一言に機嫌が急降下する。ムスッとそっぽを向けば、ふんわりと香るあんこの匂い。思わず視線を向ければ惜しげもなくどら焼きを頬張る悟くん。ず、ずるい。私も食べたい。でもこの状況で食べたいって言い出すのは、なんとなく悔しい。
「なに見てんだよ」
指先についたあんこをペロリと舐めとる赤い舌から目が離せなくて、思わずマジマジと見てしまった。子どもなのにすごい色気だ。
「べっ、別に、食べたいなんて全然思ってな・・・あ・・・」
やってしまった。うっかり滑らせた口を慌てて塞ぐが、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた悟くんに嫌な汗が伝う。

「そんなに食べたいなら、おねだりしてみろよ」
「おねだり・・・?ひと口でいいから、食べたいです」
「バカ、下手くそ」
「うっ!食べさせてください?」
「へぇ・・・?」
あ、しまった、間違えた。どら焼き片手に距離を詰められるが、なんとなく後退りしてしまう。だって目が怖い、本気だ。
「なんで逃げんだよ、食べさせてほしいんだろ」
「ちがっ・・・そういう意味じゃなくて!自分で食べられるから、んむっ!」
鼻腔を刺激する甘いあんこの匂いと、口いっぱいに広がる薄皮の甘味。本能のままに歯を立てて噛み切れば、あまりにもの美味しさによだれが止まらない。
「おいひー!」
どら焼きをしっかり掴んだままの悟くんの手を掴み、口を寄せて二口、三口と食べ進めればあっという間に目の前から消えてしまった。余韻の残る口内から舌をペロリと出して口の端を舐めれば、大満足。あとはお礼を言うだけ・・・

「指も舐めろよ」
「えっ」
「俺の指、綺麗にしろ」
この人は何を言ってるんだろう。拭けばいいじゃないか、言葉より先にティッシュを探そうと顔を逸らした瞬間。頬を掴まれて口内に二本の指が侵入する。突然のことに驚き、抵抗を試みるが器用に舌を掴まれて力が入らない。
「ふ、ふぇっ・・・ふん・・・ひゃめっ」
「なに言ってんのか分かんねぇよ」
さとるくんやめて、そう言いたいのに口の中で舌を掴まれているのだ、話すことさえままならない。口の端を伝うヨダレが気持ち悪くて舌を引けば、つらまなそうな表情へ戻った悟くんと視線が交わる。

「お前、なんで俺の部屋で寝ないんだよ」
悟くんは知らない、私が普段どんな扱いを受けているのか。分家へ帰りたいと弱音を吐けば、帰してもらえるだろうか。
いや、期待してもムダだ。"あの人たち"の言うように、私は飽きたら捨てられるのだろう。どうせ捨てられるのなら、追い出される時に身支度金くらいは持たせてもらえるように・・・。
「私は、悟様の使用人ですから。そうですね、もし一人じゃ眠れないとおっしゃるなら、夜中でも駆けつけますよ」
軽く睨まれるが、ちっとも怖くない。私の命はあなたの機嫌一つ、気分でいつでも塵と化すのだ。
わざと笑顔で返せば気分を害したのか、背を向けてゴロンと横になった悟くん。昼寝をするのであれば、私がこれ以上ここにいる理由はない。
お盆と空になった皿を手に静かに部屋を立ち去ろうとすれば、耳を掠めた言葉に後ろ髪を引かれたが、聞こえなかったフリをして静かに襖を閉める。

高鳴る胸を誤魔化すように今日も道化の仮面を被る

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