小説

「感想はアイツに聞かせてやって」
その言葉に嘘偽りはない。事前座席指定と時刻指定までしてあるチケットは、今から向かわないと間に合わない。ただの紙切れにしても良かったが、伊地知から感想を聞かされるナマエを見るのも悪くない。
生きている人間は必ず痕跡が残る。ナマエ程の術師であれば跡を残さずに立ち去ることもできるが、あの焦りようだ。そこら中に"こっちですよ"と教える痕跡が残っている。猟銃片手に逃げた兎を追いかけて森へ入る気分だ。
さあ、楽しい狩りを始めようか。





* * *





逃げた兎の痕跡を追い、ある部屋の前で足を止める。物音ひとつしないが、中にいることは分かってる。さて、どうしようか。僕との約束を思い出したナマエの反応は面白かった。小さな身体は小刻みに震え、目を泳がせながらしどろもどろに言葉を残して逃げた。この僕から逃げるなんて、よっぽどパニックを起こしていたんだろう。
音を立てぬよう、ゆっくり備品室の扉を開ければ、部屋の奥に人の気配を感じる。気配と足音を完全に殺してゆっくりと足を進めれば、机の下で膝を抱えて縮こまっているナマエ。上手に隠れているつもりなのだろう、目元を両手で覆う姿は、お化けから隠れる子どものようだ。

「はぁー、良かった」
「なにが良かったの?」
「・・・へ?」
人は恐怖を感じると笑うというが、まさに今がそうなのだろう。あはは、隠れんぼ?と無邪気に笑ってみせるが、僕は笑えない。
「僕との約束すっぽかして、伊地知とデートする気だった?」
「ちがっ、伊地知くんとは偶然・・・キャッ!」
細い手首を掴んで机の下から引きずり出し、よろめいた身体を受け止める。さて、答えてもらうことはたくさんある。俯いたままのナマエのつむじを眺めつつ、思考を巡らせれば先に口を開いたのは彼女だった。
「ねぇ、なんでチケットあげちゃったの?」
私と行くんじゃなかったの?そう言いたげな瞳に、さりげない上目遣い。いつも思うが、こういうところだ。計算ではない、無意識の言動一つ一つが、僕を煽り昂らせる。
「お前のそういう所だよ」
「ッ・・・!やっぱり、怒ってる?ごめんなさい」
見えないはずの長い耳がシュンッと垂れ、ハの字に下がった眉とキュッと結ばれた唇。任務中の誰も寄せ付けない空気感とは異なり、男の庇護欲を掻き立てる。オフのナマエは僕だけが知っていればいいのに。
「この前、補助監督と随分親そうに話してたね。なに、アレ」
「・・・補助監督?誰のことだろう」

頭上にクエスチョンマークを浮かべ、眉をしかめて本気で考えている。心の中に募るドス黒い感情に、思わずナマエの肩を掴む手に力が入る。痛みで歪んだ顔さえ、愛おしい。
「僕はお前との時間を作る為に、3日のスケジュールを2日で片付けたんだけど」
「ごめんね、私も楽しみにしてたの。言い訳にしかならないと思うけど聞い・・・んっ」
潤んだ瞳にわずかに震えている声。僕への連絡を忘れたことを怒っていると思っているのだろう。ちがう、そうじゃない。これ以上、話を聞く気にもならなくて唇を塞げば、小さな手が胸を押し返してくる。
「舌、出して」
薄目でナマエを見ながら低い声で囁けば、少しの間を置いて口が小さく開く。ナカで見え隠れする舌を目がけて再び唇を重ね、絡めとるように舐めれば甘い声が漏れる。狭い口内を逃げ回る舌を執拗に追いかけて絡めれば、僕を押し返していた手は服にシワを作り、足が微かに震え始めた。

「んッ・・・、はぁっ・・・」
息が苦しいのだろう、いつもならこのくらいで解放するが、今日は許さない。背中に左腕を回して引き寄せ、右手で後頭部を掴んでより激しく口内を犯す。唇の端からどちらのものか分からない唾液が伝うが、構わずに舌先を甘噛みすればナマエの身体が支えを失う。
「おっと・・・。腰抜かしちゃうくらい良かった?」
呼吸を整えることに必死のようで言葉は返ってこないが、蒸気した頬に潤んだ瞳が物語っている。ふと、視界の端に映った全身鏡に思わず口角が上がる。何かを察したナマエが尻もちをつき、後ずさろうとするがすぐに机にぶつかり止まった。両脇に手を入れて抱き上げ、机の上に座らせれば懇願の瞳と視線が交差する。

「お願い、せめて部屋で「なんで優しくしてもらえると思ってんの?」
目を見開いて息を呑んだ可愛いナマエ。目隠しを外し、恐怖に揺れる瞳を隠すように覆えば、微かに震え出す手。包み込むように手を重ね、耳元で優しく囁くような音量で告げる。
「人間って五感を奪われると、他の感覚が鋭くなるんだって。どう?」
「・・・ごめんなさい。お願いだから、外してほしい」
今にも泣き出しそうな声に背筋がぶるりと震える。こんなに可愛いナマエを知っているのは、紛れもなく僕だけだ。可愛いおねだりに外してやりたい気持ちと、ムクムクと膨らむ加虐心が拮抗する。
「お願い、悟。怖いよ・・・」
震える指先で僕の服をキュッと掴み、何も見えていないはずの視界で僕を見上げるナマエ。その姿にグッときて、天秤が音を立てて傾いた。
「ナマエは僕のこと信じてる?」
「えっ、なに急に「答えろよ」
「・・・もちろん、信じてるよ」
「じゃあ教えてよ。どうして僕と付き合ってること隠したいの?」

かねてよりはぐらかされてきた質問にビクッと身体が跳ね、沈黙が流れる。大方、予想はついているが本人の口から聞きたい。僕のことを信じている、そう言い切れるのなら、お前が不安に思う必要などないのだから。
「答えられない?」
唇をギュッと噛み締め、貝のように黙り込んでいるが僕にも考えがある。

言えないなら、身体に聞くまでだ

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