昨夜の別れ際、脅しを含んだトーンで釘を刺された。スケジュールを半ば無理矢理に変更され、思い返せばてんやわんやの二日間だった。どうか、突発的な案件が発生しませんように。心の中で念仏を唱えながら布団へ入り、アラームをセットして眠りについた。
* * *
目の前には大きな資料の山と空の段ボール。これを今日中に、しかも一人で片付けなければならない。早朝から集中して作業を進め、残り半分程になった山を眺めつつ一息吐く。五条さんが休みである今日が、作業に集中するチャンスなのだ。少し休憩を挟んで早めに終わらせてしまおう。
缶コーヒーを買いに行こうと廊下に出れば、私服に身を包んだナマエ一級術師と目が合う。彼女は今日休みのはず、なぜこんな場所に?
「あれ、伊地知くんどっか行くの?」
「ナマエさん、お疲れ様です。少し休憩しようかと。どうかされましたか?」
「あー、実はなにか用事があったと思うんだけど、二度寝したら忘れちゃって。とりあえずブラブラ歩いて、思い出すのを待ってる」
えへへ、と無邪気に笑う彼女につられて口元が緩む。一級術師の名は伊達ではなく、任務となるとスイッチが入ったように別人になる彼女は、プライベートではおっちょこちょいな一面が目立つ。なにもない場所で転んだり、人との約束を忘れたり。
「よろしければ、思い出すお手伝いしますよ。話す事で記憶を整理してみては?」
「ほんと?ありがとう!えーっと、昨日は遅くまで起きてて・・・」
のんびりと歩くナマエさんの歩調に合わせて隣を歩きながら、昨夜の記憶から今朝の二度寝に至った経緯を聞き出す。これといったヒントがない中、目的地の自販機へ辿り着き足を止める。ポケットから財布を取り出し、小銭を投入口に入れれば灯る明かり。
「ナマエさんもなにか飲みますか?」
迷わずコーヒーのボタンを押し、出てきた冷たい缶を回収しながら問い掛ければ、財布がないとハの字に下がった眉。私が出しますよ、と再び投入口へ手を近づけた瞬間。後ろから伸びてきた手により、ディスプレイには1000の字が躍る。
「ナマエちゃんはコレでしょ。こんなとこでなにしてるの?」
ガコンッと音を立てて出てきたのは、ミルクティー。長身を屈め取り出し口から缶を掴むと、聞きなれない優しい声でナマエさんに話かけている。
「なにしてるって・・・おしゃべり?ねっ、伊地知くん!」
首をコテンと傾け、可愛らしく同意を求められるがやめてほしい。黒いオーラを纏った五条さんに睨まれ・・・、正確には目隠しをしている為、確認はできないがすごい圧を感じる。
「えっ、いえ、その、たまたま廊下でお会いして「そうそう!伊地知くんと話してたら、なーんか思い出せそうな気がしたんだけど・・・」
顎に手を当てながら、うーんと悩む仕草が可愛らしい。任務中とのギャップが激しい彼女は、術師や補助監督の間でも人気だ。本人が恋人はいないが誰かと付き合うつもりはない、と公言している為、プライベートな部分には謎が多く、連絡先さえ教えてもらえないと嘆く仲間は多い。
「なに、また今日の予定忘れちゃったの?」
「そうなんです。休みになるとついついスイッチが切れちゃって。ところで、五条さんはどうしたんですか?」
「んー?僕はね、伊地知を探してたの」
「私を、ですか?」
絶対に連絡するなと念押ししてきた五条さんが、わざわざ電話ではなく直接出向いてくるなんて。背中を嫌な汗が伝い、ゆっくりと近づいてくる五条さんの手に心臓が鼓動を早める。
「コレ、あげる」
「はい?映画のチケット・・・?」
2枚組のペアチケットに記載されているのは、公開されたばかりの人気タイトル。なぜ私に?疑問をぶつけようと顔を上げれば、視界の端で青い顔をしながらブルブルと震えているナマエさん。
「あっ、わ、私、急用を思い出しちゃった!ごめんね、伊地知くん!また今度!」
風のように走り去った後ろ姿を見送り、声を掛けるべきか悩んでいれば、先に口を開いたのは五条さんだった。
「それ、今日の指定席だから。お前まで僕の好意をムダにするなよ」
「まっ、待ってください!これって「感想はアイツに聞かせてやって」
怖いくらいにご機嫌な様子に、立ち去ろうとする背中を引き止めることはできなかった。これは新たなイジメだろうか。