スイの、とある一日 vol.2 |
……さて、これは困ったぞ。
誰もいない廊下に一人佇んで、スイは眉を寄せ、腕組みをした。
いまのスイの状況を一言で簡潔に表現すると、俗に言う「迷子」というものである。
今日も今日とて暇を持て余していたスイは、散歩という名の校内徘徊の旅に出た。最初は、いつも妹分やその友人たちと一緒に通っている道を歩いていた。しかし、ある廊下を歩いていたとき、ポルターガイストのピーブズに出くわしてしまったのだ。
スイと同じく暇を持て余していた様子の彼は、スイを見るや、嬉々としてスイに「悪戯」を仕掛けてきた。さながら、おもちゃを与えられた子供のような姿であったが、やはりピーブズ。為してきたのは、えげつない行為であった。具体的な内容は、スイの精神衛生上の健康を保つため、言わないでおく。
性質〔たち〕の悪いポルターガイストから逃げ回っていたスイは、今度はミセス・ノリスと出くわした。日課である校内パトロールをしていたらしい。
かの猫は、ピーブズに追い回されているスイを見て、あろうことか、嘲笑した。
無性にイラッときたスイは、ミセス・ノリスに飛びかかり、彼女の身体の上に乗っかって押し潰した。ニギャ、と悲鳴を上げた彼女を放置して、脱兎のごとく逃走。背後で、ミセス・ノリスが更なる不運に対する悲鳴を上げたが、無視して走り去った。
それから、いくつか廊下を越え、ポルターガイストが追ってきていないことを確認して、ようやくスイは足を止め、一息ついた。
ああ、危なかった……あの猫を囮(生け贄)にしなければ、今頃どうなっていたやら……スイはフルッと身体を震わせた。想像した自分の命運に恐怖を感じたのだ。
間違っても、いま自分の身代わりとして最悪の命運に行き当たっているミセス・ノリスに同情をしたわけではない。罪悪感すら、微塵も感じていない。むしろ、ざまあみろと嘲笑し返している。
ヒョイと尻尾を振って、スイは顔を上げた。そして、パチクリ瞬いて、硬直した。
(………どこだ、ここ)
スイは見知らぬ場所にいた。ポルターガイストに追いかけ回されたせいで、道に迷ったのだ。角を曲がっては戻り、戻っては進み、また曲がり、階段を上っては下り、下りては上ってを繰り返していたため、ここがどこなのか、まったく見当がつかない。
(………あの、クソヤローが……)
ポルターガイストに向かって、舌打ちをする。だが、状況は変わらない。スイは盛大に溜め息をついた。
仕方ない、誰かに道を聞くか。そう思ったスイは、辺りを見渡した。
……誰もいない。人間もゴーストも、動物やポルターガイストさえも見当たらない。なんてこった……スイはガックリと項垂れた。
いや、そもそも、道を尋ねようにも、いまの自分にはその術がないではないか。スイはふと、そのことに思い当たった。よく考えてみれば、猿の姿になっている現在、見知らぬ人間の前で言葉を発することができないのだから。
なんて不便なんだ……スイは絶望的状況に追い込まれた。これでは帰ることができない。どうしたらいいのだろうか?
迷子になったときは、下手に動き回らない方がいいという話をよく聞くが、この場合もそうなのだろうか? 確かに、あの子なら、スイの不在に気づいて、探しに来てくれるだろう。彼女は探しものが得意なので、きっとすぐに見つけてくれる。
自力で帰ることは諦めようとスイが観念したとき、チャイムが鳴った。授業終了の合図である。ガタガタといろいろなものが揺れる気配が、壁やら床やら天井やらを通して伝わってきた。
誰か通らないかな。そう期待したスイだったが、裏切られる。待てど暮らせど、一向に人間は来ない。いまスイがいる場所は、どうやら近くに教室がないところらしい。スイは溜め息をついた。
「 ――― アンタ、何してんの?」
「っ?!!」
突然、頭上から声がした。スイは思わず飛び上がった。ドキドキ激しく鼓動する心臓を押さえながら、恐る恐る振り返って、仰ぎ見る。そこには、犬がいた。
「アンタ、あのヨシノが飼ってる猿よね?」
スイはポカンと口を開けた……犬ではない。顔がそっくりなだけで、とりあえず人間だ。
まるでパグ犬のような顔立ちの女子生徒は、尊大そうな目でスイを見下ろしてくる。首元にあるネクタイの色は、鮮やかな緑。
ここまで言ったら、もうお分かりだろう。目の前にいるのは、あのパンジー・パーキンソンであった。
意外すぎる人物に、スイは呆然とする。
え、なに。なんでここにいんの? 一人だけど、なに、ぼっちなの? つか、え? ボクに声かけてんの? え、ちょっ、キャラじゃないだろ。別人? 別人じゃね?
目を白黒させるスイを見下ろして、パーキンソンは眉を寄せた。その顔がパグ犬そっくりだったので、スイは「あ、パンジーだ」と確信した。
「………ここで何かしてるんだったら、別にいーけど。迷子なら、あそこの角を曲がった先の廊下を突き当たれば、階段があるわよ。一番下まで下りれば、大広間が見えるから」
…… What’s? スイは頭に疑問符を浮かべた。いま、目の前の人物はなんと言った? スイの聞き間違いでなければ、道を教えてくれたような気がする。
………え? あのパンジーが、親切に道を教えてくれた、だと……?!!
愕然として見つめてくるスイに何を思ったのか、パーキンソンは眉をキッと吊り上げた。
「なによ、その顔! 言っとくけど、アンタのためじゃないわよ! ヨシノには前に、不本意だしちっちゃなことだけどっ、一応借りを作ったから! それを返してるだけよ!」
分かったら、さっさとアタシの前から消えなさい! さながら吠え立てる犬のごとく、鼻息荒くまくし立てる彼女を見て、スイは「ああ、やっぱりパンジーだ」と再確信した。
スイは、ありがとうと言う代わりに、パーキンソンを中心に円を描くように、くるりと一回りする。最後に、まっすぐ彼女を見上げてヒョイと尻尾を振り、スイは歩き出した。
「………ちゃんとヨシノに、アタシが助けたって伝えときなさいよ!」
吠えるような声が、後ろからスイを追ってきた。スイが振り返ると、パーキンソンはどこかのドアを開けて中に入っていくところだった。目を凝らしたスイは、そこが女子トイレだと気づく。
なるほど、トイレだったのか。それなら、一人だったことにも納得がいく。しかし、あの年頃の女子は、トイレにすらグループ行動しているはずだ。やはり彼女はぼっちなのか……いや、魔法界では、感覚が違うのかもしれない。
まあどうでもいいと判断して、スイはポテポテと、教えられた道を進んでいった。
無事に帰ることができたスイが、妹分にパーキンソンのことを話した際、彼女に「………パンジー・パーキンソンって、誰?」と首を傾げられたのは、また別の話である。
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