九歳の冬、帰郷しました。 御影さんが「狩り」に飽きたから……ではなく。紬の人が迎えにきたから。御影さんではなく、私を。意味が分からなかった。思わず「お帰りください」と戸を閉めた私は悪くないはずだ。 結局、なんだかんだと言い含められて連行されたんだけど。白銀と御影さんも一緒に。御影さんを見事に説得した彼らに、私は称賛の拍手を送った。何とも言えない顔をされた。解せない。 そうして帰ってきた木ノ葉の里。人で賑わう様子が懐かしい……とは思えない。だって、紬の敷地内から出ることがなかったから。旅に出たときが初めてだった。箱入り娘ってやつですかね。違いますか。そうですか。 というか、里の人たち元気すぎる。すごい通りに群がってる。雪降ってるのに。寒くないんですかね。私も平気だけど。暑さ寒さには、わりと耐性がある。旅人ってそういうもの。 そんなことを思っているあいだに、屋敷に到着した。相変わらず大きい。荘厳というか威圧感があるというか。しかし大人たちは平然と足を踏み入れる。御影さんとか、かったるそうな雰囲気だ。さすがだと思いつつ、私もあとに続いた。 すたすたと歩いていく御影さんたち。けっこうな速度だけど、問題なくついていく。御影さんのおかげで、歩くスピードが鍛えられてると思う。容赦とか気遣いとか、そんなもの持ってないもの、この人。 まっすぐな廊下を進んで、角を曲がって、また進んで、曲がる。再び直進していたとき、ある部屋の戸が、すっと開いた。 「ん? 御影じゃないか」 中から出てきた見知らぬ人が、御影さんを見て目を丸くした。 私も瞬く。大きさに吃驚したから。御影さんと同じくらいの身の丈だ。だけど、細身の御影さんとは違い、何というか、逞しい。筋骨隆々。そのせいで、御影さんよりずっと大きく感じられる。着ている和服は特注品に違いない。うっかり場違いなことを思った私の視線の先で、大男さんは笑った。 「久しいな。放浪していると聞いたが、なぜここにいる? 出戻りか?」 「うるせぇカス」 大男さんは御影さんと知り合いらしい。そして度胸がある。わりとフランクに、あの御影さんに話しかけている。対する御影さんはクールというか、暴力的。温度の感じられない目で一瞥したあと、歩き去った。 大人たちと白銀が黙って追従する。御影さんの失礼さ加減を何とも思わないらしい。筆舌に尽くしがたい気持ちで、私は彼らの後ろ姿を見つめる。そこでふと視線を感じた。くるりと顔を右上に向ける。ぱっちり目が合った。大男さんと。 「おまえは御影の子どもか? 色以外、フブキに瓜二つだな……喜べ、美人になるぞ」 質問に対して私が肯定を示すまえに、自己完結して話し出した男。フブキさんのことも知っているらしい。しげしげと私(の顔)を観察したあと、ニカッと笑い、私の頭に手を乗せた。そのまま撫でられて、髪がぐしゃぐしゃになる。 「お前のことは耳にしているぞ。ちゃんと準備もしてある」 「な、」 「お! ヒシロ! ちょうどいいところに! 少し面を貸せ!」 何の話でしょうか。疑問を口にする間もなく、話を進められる。私はいろいろと諦めることにした。乱された髪を手櫛で整えることに専念する。 「……お呼びでしょうか、ホクラ様」 少年が現れた。見た感じ、私より少し年上。灰色の髪に空色の目の美少年だ。迷惑そうな顔をしているけど。それでも美少年だ。そして話は変わるけど、大男の名前は「ホクラ」というらしい。字は「保倉」か「保久良」かどちらだろうか。 「先日の件は覚えているな? これが一流だ。部屋に案内して、ついでに少し見ていてくれ。俺は御影たちのところへ行ってくる」 「……承知しました」 少年が溜め息混じりに呟く。そのころにはホクラさんは消えていた。言いたいことだけ言って去っていた。御影さんとは違ったタイプの俺様だ。 「………」 「……ひとまず、一流。ついてきなよ。部屋に連れてくから」 「あ。はい。お願いします、ヒシロ様」 「いいよ、『様』つけなくて。堅苦しいのは好きじゃないんだ」 丁寧に頭を下げる私に、ヒシロさんは手を一振りした。そのまま、すたすたと、しかし心持ちゆっくり歩き出す。私の歩幅に配慮しているらしい。紳士的だ。ちょっと感嘆しながら、私は彼のあとを追った。 廊下を渡って、屋敷を出て、敷地内を進んでいく。 「君と御影さんの今後の住まいは、南東の離れだ。敷地内で最も母屋〔おもや〕から遠くて、最も門に近い。よかったね」 「……そうですね」 何がいいのか分からない。けど、とりあえず殊勝に頷いておいた。ヒシロさんはなおも語り続ける。 「しかし驚いたよ。あれだけ真っ黒だったのに、いまじゃ立派な紬の色だ。ついこの間変わったって聞いたけど?」 「この間というか、一年くらい前ですね。御影さんの『狩り』に巻き込まれたときに」 「なんだい。御影さんの太刀でも食らいかけて覚醒したのかい? ちゃんと防げたのかい? へぇ。それはすごいな。初めてでそれだけの防御力を発揮するなんて、一流は将来有望だね」 私が答える前に、ぽんぽん言葉を出すヒシロさん。勝手に自己完結してるのかと思いきや、どうやら私の表情を見て予測しているようだった。視線を感じるもの。 「もっと早く覚醒してれば、お母さんに捨てられずに済んだのに。残念だったね」 にっこりと、ヒシロさんは綺麗に微笑んだ。人畜無害そうに見える笑み。だけど、明らかにチクチクするものだった。敵意というか、悪意。 「……仮に、私が生まれたときから覚醒していたとしても、母上はいつかは出ていったと思います」 「へぇ? あの人が出奔したのは自分のせいじゃないって言うのかい?」 「きっかけは、たしかに私だと思います。ただ、私だけのせいかと言われると疑問を感じるんです。母上は、ふとしたときに遠くを見ていましたから」 逃げ出したい。そう言いたげに。私や御影さん、ふと見下ろした自分の手から視線を外して、空を見上げていた。 「……ふぅん。じゃあさ」 ぐっと腕を掴まれた。つと顎に手が添えられて、顔の向きを変えられる。目の前にヒシロさんの笑顔が現れた。アップで。 「能力が開花したとき、どんな感じだった? 君は、何を思ったんだい?」 空色の、ヒシロさんの瞳。それを見た途端、ぽろりと零れるように言葉が出た。 「……生存率が上がるなと思いました」 沈黙が訪れた。目を丸くして固まるヒシロさん。私もぱちりと瞬いた。いま、無意識というか、勝手に喋り出していた気がする。何が起こったんでしょうか。 「……っふ、あっははは!」 いきなり笑い出したヒシロさん。私は数回ぱちぱちと瞬く。解せない。なんで笑われるんだろう。首を傾げていると、顎と腕が解放された。ほっと息をつく……まえに、今度は頭に手を乗せられた。 「あー、おもしろい。うん。ちょっと気に入ったかもしれない」 ぽんぽんと頭を撫でるヒシロさんに、さらに首を傾げる。ヒシロさんはにっこり笑った。さっきまでとは違う、本当の「にこにこ」顔で。 「意地悪なこと言ってごめんね、一流。ちょっと君のことを見定めたかったんだ。僕、君の守り役を頼まれてるからさ。あれ、目付け役だっけ。面倒見? なんでもいいか」 がらりとキャラが変わっている。本当に同一人物ですか。そう言いたくなった。 「泣くか怒るか喚くかしたら即行で突き返してやろうと思ってたけど、そうする必要ないみたいだ。すごいね、一流。メンタル強いんだ。おまけに賢いし。将来有望だなぁ。本当にあの利己的で完璧主義かつエリート志向おまけに虚栄心の塊なフブキさんの子供?」 「……えっと」 「まあ、その顔見れば答えなんてすぐ分かるんだけどね。クローン実験でもしたのかと思ったよ。初めて見たとき、うっかり殺そうかと思ったし。瓜二つなのは容姿だけで本当によかったよ」 私もです。最後の言葉に、心から同意した。この人怖い。さっきから物騒なことばかり言ってるんですけど。輝かしい笑顔で。何ですか。天然毒舌ですか爽やか腹黒ですか。 「最後の質問とか、僕まじめに爆笑したよ。そういえば気づいてた? あのとき、結界使って自白まがいのことさせたんだけど。素直な答え聞きたかったから、つい。ごめんね。でも楽しめたし、ありがとう」 にこにこ、つらつらと話し続けるヒシロさん。すごくセリフが長い。よく舌が回る人だと思う。これだけ喋ってて噛んだりしないのかな。美少年は舌を噛んだりはしないとか、そういう設定でもあるのかな。なんて思った。 「何はともあれ、僕ら仲良くなれそうだね。これからよろしくね、一流。僕のことはヒシロ兄さんって呼ぶんだよ? 北西の離れにいるから、何かあったらいつでも訪ねてくるんだよ。ほかに何か質問とかあるかい?」 ひょいと抱き上げられて、じっと下から覗き込まれる。妙にキラキラした目を見つめ返して、私は、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。 「……あの、さっきの男の人……ホクラさんって、名前はどう書くのでしょう?」 「………、ふはっ」 一瞬の沈黙のあと、ヒシロさんはなぜか吹き出した。ツボにはまったらしく、身体を震わせている。私が首を傾げたとき、誰かがずかずか足音を立ててやってきた。 「ん? どうした、ヒシロ。まだ離れに行っていないのか?」 「ホクラ様、由々しき事態です。一流がおもしろすぎて、呼吸困難に陥りそうです」 「おお! 一流と仲良くなったか! よかったよかった。ヒシロの子供嫌いもついに治ってきたか」 「いや、たぶん一流が特殊なだけですね」 二人の会話を耳にしながら、私は、いい加減に降ろしてほしいと思った。 ちなみに、ホクラは「神庫」と書くらしい。私の予想は外れでした。けど、納得。宝倉から転じた字のようです。神宝を納める倉を指す名詞のこと。祠〔ほこら〕を示すとも言われる。 ついでに、ヒシロさんは「樋代」と書くらしい。こちらは、神社などで神体を納める器という意味だ。豆知識。どうでもいいですか。そうですか。 どうやら紬の人々は、名前に妙なこだわりを持つらしいです。そう思った日でした。 突如と混乱の帰郷 |