突然ですが、事後報告。母が失踪しました。 紬一流七歳の、梅雨の時期のことです。ちなみに私の誕生日は、四桁すべて「一」で埋まる某製菓会社のイベント日。ということは、フブキさんが行方をくらましたのは、私が出生してから七年と半年ほど経過したころというわけです。 ちなみに私は、未だに何の術も使えません。相変わらずの落ちこぼれです。身体能力(主に反射神経)と生命力、メンタル面だけは強くなっていますが。 ついでですが、潜在する紬の能力が開花するのは遅くとも七歳の誕生日までらしいです(過去の事例より)。つまり私はタイムオーバーってことですね。やってしまいました。 フブキさんの話に戻ります。 彼女が失踪する前日、私はいつも通り修行をしていました。成果はまぁ言わずとも分かるでしょうから割愛。で、使った道具やら参考書やらを片づけていたとき、フブキさんが私に一言。 『……なぜできないのですか』 ぱちくり瞬いた私。初めて言われた言葉に驚きました。溜め息をつかれたり、舌打ちをされたり、真剣にやれと怒られたり、そういうことなら何度もあった。しかし、こんなパターンには経験がなかった。 何と返答するか迷った挙句、素直に首を傾げました。 『……なぜでしょう? 私にも分かりません』 やる気……というか意地と執念はあるんですけどね。だって何のスキルもないと死んじゃうし。死んでたまるかと、意外と生き意地の汚い私はけっこうかなり真剣に頑張っている。 フブキさんプロデュースの無茶振り修行に、弱音も吐いてない。たとえ飢えて獲物を探している肉食獣の群れのなかに放り込まれようと、土の中に埋められようと、腹ペコの鮫の群れの中に放り出されようと、断崖絶壁から突き落とされようと、異常成長した超巨大な人食い昆虫の前に放り投げられようと、炎に取り囲まれようと、何も文句を言わなかった。……あれ。私よく生きてるな。 しかし。それだけやってるのに、何の変化も成長もないのだ。これには誰よりも私がいちばん困っている。あれだけ死ぬ思いをしてるのに。なぜ。なんて自分が知りたい。 そう思って、先のセリフを言った私。フブキさんは数秒の沈黙のあと、静かに呟きました。 『……分かりました。もうよろしい』 そのまま足早に去ったフブキさん。意味を掴みあぐねた私。とりあえず追って借家に帰り、いつものように夕飯を食べて寝ました。 そしてその翌朝から、フブキさんが消えました。 つまりこれはあれですよね。フブキさんはついに私に見切りをつけて出奔したってことですよね。私が才能を開花させることはないと結論を出したのでしょう。耐え切れなかったのでしょう。なんとなく分かります。 (……申し訳ないこと、したなぁ……) もし、ちゃんと術を使えるようになっていたなら。もし、能力を持って生まれてきていたなら。もし……彼女の子供が私でなかったなら。きっと、もう少し気楽に自由に生きていられただろうに。 (……って、無理か) 御影さんの妻である限り、フブキさんの人生に安穏はないだろう。というか出奔の原因って御影さんじゃないのか。だって私の修行前に、何やらフブキさんに殺気当ててクナイ投げてたし。……フブキさんも珍しく千本投げてたし。 ……え。夫婦喧嘩? 夫婦喧嘩でキレて出てったんですか。私へのセリフは何ですか。八つ当たりですか。 いやでも喧嘩のとき、御影さん「お前が勝手に生んだんだろ」とか「オレの子だって証拠あんのかよ」とか言ってた気がする。フブキさんも「私だって努力してます」だの何だの言ってたし。あ。喧嘩の原因は私ってことですか。 つまり、やっぱり出奔の原因は私ということですね。分かりました。うわ、へこむ。家庭崩壊させるとか、子供にあるまじき行為。何ですかこの仕打ち。つらい。 あー、うー、と頭を抱える私。 目の前には、術式が施された巻物。“口寄せの術”なるものを練習している真っ最中だ。しかし、そろそろやめようかと思っている。成功する兆候が見られないから。 「……帰るか」 呻いていても仕方ないし。溜め息をついて、クナイに付着している血を拭き取る。指先の血はとっくに止まっていた。片づけようと巻物に手を伸ばしたとき、乾いた血が剥がれた。巻物の上に落ちて。……眩い光が、迸った。 「っ!」 咄嗟に目を閉じて、顔の前に腕をかざす。風が巻き起こる音がした。……五秒ほどで収まったけど。ていうか、いきなり何事ですか。シーンとした空気のなか、そっと目を開ける。そして瞬く。 「きゅう」 「………」 「きゅ?」 「…………」 「……ぷきゅっ」 妙な鳴き声を出す、未確認生命物体。私は呆然とそれを見た。 雪みたいに真っ白な体躯で、毛は長く、ふっさりしている。シルエットだけ見ると、犬猫と猿を合わせた感じ。兎みたいな長い耳と、馬のように長い尻尾も持っている。首回りには、黒い……勾玉みたいな突起物が、綺麗に並んで一巡してる。額にも、細長いひし形を五つ、花びらみたく並べたような、黒い模様がある。 大きさは、わりとある。いまの私の体格に対して……ランドセルくらい? 四つ足で座った状態で。いまは、もう少し大きく見える。後ろ足で立ち上がってるから。プレーリードッグみたいな格好だ。私を見上げて、ぱちぱち瞬きをしている。 「……なんか、出た」 「! しゃあっ!」 思わず呟く。途端、そいつが反応する。なんかとはなんだ!とでも言うように、牙を剥いた。私はまじまじと見つめた。そして気づく。そいつが、とても特徴的な目をしていることに。 白銀に輝く瞳孔。それを取り巻いてる強膜が、漆黒。虹彩の部分も黒。本当に瞳孔だけが、ぽつんと白い光を放っている。人間とまったく逆の色彩。 「……きれいだ」 「!」 じっと覗き込んで、しみじみと息を吐いた。本当に綺麗だ。幻想的っていうか、何というか、感動的。黒地に白が煌めくっていうのがいい。夜空に光る星みたい。そんなベタなことを思う。 「君は、私の“口寄せ”に応えてくれたんですか?」 「き、きゅうっ」 ぴくっとしてから、私を見てこっくり頷く未確認生命物体。何やらそわそわしている。何か気になることでもあるんだろうか。まぁ、どうせ私には関係ないだろう。 それよりも、初めて術が成功したことのほうが重要だ。思いがけない成功にちょっと驚く。けど、それ以上に嬉しく感じた。自然と頬が緩む。 「……母上にも、見てもらいたかったな……」 なんとなく思った。けど、すぐ思い直す。いやだって、フブキさんが去ったら成功したとか、ちょっと残酷すぎる。完璧フブキさんに対する嫌がらせですよね。分かります。自分だったら嫌だもの。 ふるふると首を振る。落ち着いてから、視線を不思議生命物体に向け直す。ぱっちり目が合った。そのまましばらく見つめ合う。やがて私が口を開いた。 「……えっと、出てきてくれてありがとう。もう帰っていいですよ」 「ぷきゅっ?!」 大きな目を見開いて、がーんとショックを受ける不思議生命物体。信じられないという目で、私を見つめている。捨てないで。そう言われている気がした。 「……私と一緒に来ますか?」 「! きゅうっ!」 なんとなく聞いてみた私。不思議生物はぱぁっと目を輝かせて、元気よく返事をした。ぴょんと地面を蹴って私へと飛んでくる。私は慌てて受け止めた。 するりと頭を寄せてくる不思議生物。意外と、というか普通に軽い。空っぽのランドセルくらいだ。え。軽すぎじゃない? ちょっと驚く私。頭の片隅では、妙なものに懐かれたと思っていた。 別離と邂逅の七年目 |