談話室に流れる重苦しい空気に、ハリーは耐えられなかった。

 とにかく何かしたい一心で、ロンの提案に賛成し、ロックハートに「秘密の部屋」について話すため、彼の部屋を訪ねた。しかし、ロックハートは身支度をまとめていた ――― 逃げ出すつもりだ。

「ご冗談でしょう? 本に書いてあるようにいろいろなことをなさった先生が、逃げ出す?」

 信じられないとハリーが叫ぶと、ロックハートはモゴモゴと白状し出した。簡単にまとめると彼は、得意の「忘却術」でもって、他人がやったことを自分の手柄にしていたのだ。

 呆然とする二人にいろいろと暴露したあと、ロックハートはすべてのトランクに鍵を掛け、それから杖を二人に向けた。

「気の毒ですが、お二人には『忘却術』をかけさせてもらいますよ」

 ハリーは自分の杖に手を掛けた。間一髪、ロックハートに「武装解除」をかけることに成功した。ロックハートの杖は高々と空中に弧を描き、ロンにキャッチされ、窓から放り投げられた。

 一気に情けない顔つきになったロックハートに杖を突きつけて、ハリーは言った。

「僕たちは『秘密の部屋』について少し知ってる。ジニーを助けたいんだ……あなたには、ついてきてもらう」


**


「あれ? こんばんは、ロックハート先生。ずいぶんと顔色がよろしいですね」

 ロックハートを追い立てながら「嘆きのマートル」の女子トイレに向かうと、先客がいた。フワフワ浮いている「嘆きのマートル」の横に立っているのは ――― リンだ。

「どうしてここに?」

 震えているロックハートに杖を突きつけたままハリーが聞くと、リンは微笑んだ。

「ジニー・ウィーズリーを助けに行くだろうって分かってたからね。先に来て、入口を見つけておいたよ」

 リンが手洗い台にある蛇口の一つを指差す。ハリーとロンは急いで近寄った。ロックハートは顔中に恐怖の色を浮かべて後退したが、今度はリンに杖を突きつけられた。

「蛇口の脇のところに、小さなヘビが彫ってあるでしょう?」

「その蛇口、壊れっぱなしよ」

 リンの指摘を確認したあと、ハリーが蛇口を捻ろうとすると、マートルが機嫌よく言った。

「何か言ってみろよ。蛇語で」

 ロンが促した。ハリーは少し考え込んで、じっとヘビを見つめた。蝋燭の灯りで、彫物が動いているように見える。生きているみたいだ……ハリーは、そっと口を開いた。

≪――― 開け≫

 突然、蛇口が眩い白い光を放って回り始め、手洗い台が動き出した。手洗い台が沈み込み、見る見るうちに消え去ったあと、太いパイプが剥き出しになった。大人一人が滑り込めるほどの太さだ。

「……僕は、ここを降りて行く」

「僕たち、だろ」

「人手は多いほうが便利だよ」

 ハリーが言うと、ロンとリンが笑って言った。そしてロンがさっと後ろを振り返る。

こいつを先に行かせよう」

 隙を見て脱走しようと算段していたロックハートを引きずり戻して、ロンが言った。三本の杖を向けられ、顔面蒼白なロックハートはパイプの入口に近づいた。

「……君たち……私なんて、本当になんの役にも立たないよ」

「いまごろその事実に気づいたなんて驚きだよ」

 弱々しいロックハートの声を遮って、ロンが辛辣に言った。ハリーは彼の背中を杖で小突いた。ロックハートは足をパイプに滑り込ませた。

「しかし、本当に ――― 」

 溜め息をついたリンが、ロックハートを蹴り飛ばす。悲鳴とともに、ロックハートは滑り落ちて見えなくなった。ハリーとロンが呆気に取られたが、すぐにハッとしたハリーが続いた。

 果てのないぬるぬるとした暗い滑り台を急降下していくようだった。ハリーは、学校の下を深く、地下牢よりも一層深く落ちていくのが分かった。

 しばらくすると、パイプが平らになり、出口から放り出された。ハリーは暗い石のトンネルのジメジメした床に落ちた。ハリーは立ち上がって出口の脇によけた。リンが綺麗に着地して、同じように横に退いた。そのすぐあとにロンが床に落ちてきた。

「学校の何キロも下のほうに違いない」

 ハリーの声がトンネルの闇に反響した。

 灯りを点けようとハリーが杖を出したのを制して、リンが掌から明かりを四つ出す。一人につき一つずつ、ハリーたちの前に浮かび、周りを照らしてくれている。

 ハリーは三人に声をかけ、灯りを頼りに歩き出した。

「何かが動く気配がしたら、すぐ目を瞑るんだ……」

 しばらく無言で歩き続け、暗いトンネルのカーブを曲がったとき、ロンが掠れた声を出した。何か大きくて曲線を描いたものがある……息を潜めてひっそりとそれを見つめていると、ハリーのすぐ後ろにいたリンが、ハリーの前に出て手をかざした。

 灯りが照らし出したのは、巨大な蛇の抜け殻だった。軽く六メートルはある。ロックハートが腰を抜かして座り込んだ。

 溜め息をついたロンが杖を向け、起き上がるように言う。ロックハートは素直に立ち上がり ――― ロンに飛びかかった。

「坊やたち、お遊びはこれでおしまいだ!」

 ロンの杖を握ったロックハートに、輝くようなスマイルが戻っている。

「私はこの皮を少し持ち帰って、女の子を救うには遅すぎたとみんなに言おう。君たち三人は、ズタズタになった無残な死骸を見て哀れにも気が狂ったとしよう」

「そんな嘘ついても、確認のためとか言われてここまで案内させられると思うけど」

 リンが冷静に言ったが、ロックハートは聞いてもいなかった。溜め息をついて首を振るリンを見て、なんでこう落ち着いていられるんだろうかとハリーは思った。

「君たち、さあ、記憶に別れを告げるがいい!」

 ロックハートは、スぺロテープで張り付けられたロンの杖を頭上にかざした。「あ」と、ハリーとロンが声を上げたが、遅かった。

「オブリビエイト!」

 爆発が起こった。ハリーは咄嗟にリンの腕を掴んで逃げた。天井から、大きな塊が雷のような轟音を上げて崩れ落ちてきた。

 ローブを引っ張り上げて土埃から身を守り、落ち着くのを待って目を開けると、岩の塊が、四人を二対二に隔てて壁のように立ちふさがっていた。

「ロン! 大丈夫か!」

「ハリー! リン! 僕は大丈夫だ!」

 崩れ落ちた岩石の影から、ロンの声がぼんやり聞こえた。ロックハートが杖で吹っ飛ばされたという、べつにいらない情報も入ってくる。

「……どうする? この岩、退ける?」

 リンが杖を岩に向けて言った。ハリーは首を横に振った。いまは時間が惜しいし、もし失敗したら恐ろしい。リンの腕を疑っているわけではないが。

「先に進もう……ロン、君はそこで待っていて」

「……分かった。僕、少しでもここの岩を取り崩してみる。そしたら、そしたら君たちが ――― 帰りに、ここを通れるから」

 ロンは、懸命に落ち着いた声を出そうとしているようだった。力なく笑って、ハリーはリンを振り返った。

「……リン、君はここに残って、」

「馬鹿なこと言わないで。私も行くよ。スイとジャスティンを攻撃したやつの顔を見て、仕返ししてやらなきゃ気が済まないし」

 ハリーはリンを見た。ニッコリ、どことなく挑戦的に笑っている。数秒後、ハリーも微笑み返して、二人でトンネルを進んだ。

 トンネルは果てしなく続いているように思われた。長い長い距離を歩き、ついに、前方に固い壁が見えた。またヘビの彫刻が施してある。

 ハリーは再び≪開け≫と言った。壁が二つに裂ける……二人は目を見合わせ、その中へ入っていった。

2-22. 秘密の部屋
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