| 暗闇での眩しい光に、三人は反射的に手をかざして目を覆った。
「 ――― ハリー! 僕たちの車だ!」
緊張が取れ、ロンの声の調子が変わった。ハリーとリンが聞き返さないうちに、ロンが光のほうに走っていく。二人は顔を見合わせ、ロンのあとを追った。
開けた場所に出ると、泥まみれになったトルコ石色の車がいた。ヘッドライトをギラつかせている。ハリーとロンが新学期初日に乗ってきた車だということを、リンは文脈から読み取った。
しかしなぜここに……という疑問が湧き上がる。誰にも回収してもらえなかったのか……。ということは、修理もされていない。可哀想にとリンは思った。
「こいつ、ずっとここにいたんだ……見てよ……野生化しちゃってる……」
あんぐりと口を開けるロンに、車はまるで大きな犬が飼い主に挨拶するように、ゆっくりとすり寄った。ロンは車に寄りかかり、優しく叩いた。
「お前はどこに行っちゃったのかって、ずっと気にしてたよ!」
ハリーは、クモの通った跡はないかと地面を見回した。しかしクモの群れはギラギラする明かりから急いで逃げ去ってしまっていた。
「……ハリー、見つけた?」
「ダメだ、見失っちゃった ――― さあ、ロン、探しに行くよ」
ロンは何も言わない。身じろぎもしなかった。ハリーとリンのすぐ後ろ、地面から二、三メートル上の一点に、目が釘付けになっている。
ハリーは振り返る間もなかった(リンは間一髪飛び退いていたが)。カシャッカシャッと大きな音がしたかと思うと、何か長くて毛むくじゃらなものがハリーの体を鷲掴みにして持ち上げた。逆さまに宙吊りになったハリーはもがいたが、どうしようもできなかった。
視界の端にリンが見えた。同じように捕まっている。彼女は頭が上だったが、糸のようなものが身体に付着していた。どうやら、それで捕らえられたらしい。
ロンの足も宙に浮くのが見えた次の瞬間、ハリーは暗い木立の中にサーッと運び込まれた。
逆さ吊りのまま、ハリーは自分を捕らえている「何か」を見た。六本の恐ろしく長い毛むくじゃらの脚が地面を這い、その前の二本の脚でハリーを掴んで、さらにその上に、黒光りする一対の鋏があった。
しばらくして、だだっ広い窪地に辿り着いた。薄明るいところだった。木を切り払っているため、星明かりに照らされているのだ。
そこにあったのは世にも恐ろしい光景だった。
蜘蛛だ ――― 馬車馬のような、八つ目で八本脚の、黒々とした毛むくじゃらの、巨大な蜘蛛が数匹いた。獲物を見て興奮し、鋏をガチャつかせて近づいてくる。
窪地の真ん中にある靄〔もや〕のようなドーム型の蜘蛛の巣のところで、ハリーは地面に落とされた。ロンもリンも隣に落ちてきた。
ロンは気持ちを、器用にもそっくりそのまま顔で表現していた ――― 声にならない悲鳴を上げ、口が大きく叫び声の形に開いていて、目は飛び出している。こんな状況でなければ笑える顔だ。
ふと気がつくと、ハリーを捕まえていた蜘蛛が何やら叫んでいた。誰かを呼んでいるようだった。ハリーの横で、リンが身構えた。
「アラゴグ! アラゴグ!」
ゆらりと、蜘蛛の巣のドームの真ん中から、小型の象ほどもある蜘蛛が現れた。胴体と脚を覆う黒い毛に白いものが混じり、八つの目が白濁している ――― 盲〔めしい〕ているようだ。
「アラゴグ、人間です」
「ハグリッドでないのなら、殺せ」
「僕たち、ハグリッドの友達です!」
ハリーが叫ぶと、巣の中に戻ろうとしていたアラゴグが立ち止まった。カシャッカシャッカシャッ、窪地の中の巨大蜘蛛の鋏が、一斉に鳴る。なんとも物騒な。いざとなったら消し炭にしてやろうかと、リンは眉を寄せた。
「ハグリッドは、一度も人を寄越すことなどなかった」
「彼はいま、ちょっと大変な状況になってて」
「大変?」
リンのセリフに、アラゴグは気遣わしげに首を傾げた。ハリーとリンは目を見交わした。このまま上手く誘導しれば、聞き出せる。
お互いに頷き合って、まずハリーが口を開いた。
話をしていく内に、いろいろなことが分かってきた。
アラゴグは物置でハグリッドに育てられ、そこから出たことはなく、誰も襲いはしなかった。それ故、トイレで死んだという犠牲者の女子生徒とは何の関係もない。
「秘密の部屋」に住む怪物は、蜘蛛の仲間が何よりも恐れる太古の生物であって、その名前すら口にしない。
リンが頭のなかでざっと内容をまとめていると、アラゴグは話し終わったようだ。巣の中へと帰っていく。それなのに、他の蜘蛛は三人に近寄ってくる。
恐怖と絶望を覚えながら、ハリーはアラゴグの背中に声をかけた。
「じゃあ、あの、僕たち帰ります」
「 ――― 帰る? それはなるまい……」
ゆっくりと顔だけ振り返ったアラゴグのセリフを聞いて、ハリーはリンを見た。視線が交わる ――― 二人とも真っ青だ。
「わしの命令で、娘や息子たちは、ハグリッドを決して傷つけはしない。しかし、わしらの前に進んでやってきた新鮮な肉を、おあずけにはできまい ――― さらば、ハグリッドの友人よ……」
リンが素早くハリーとロンの腕を掴んだ。蜘蛛が脚を伸ばしてくるのを最後に、ハリーの視界は暗くなった……また何かに引っ張られていく……。
ドサッと音を立て、ハリーは柔らかい地面に倒れ込んだ。視界いっぱいに星空が広がっている。起き上がると、どこにいるか分かった。森の入口だ。
横を見ると、リンが座り込んで深々と溜め息をついている。彼女の向こうではロンが大の字で寝転がっていた。目は飛び出していなかったが、口はまだ開きっぱなしで、声にならない叫びの形のままだった。
これは当分反応しそうにないと判断したハリーは、先にリンに声をかけることにした。
「リン、大丈夫?」
「……うん、まあ……ロン? 無事?」
ロンは答えなかった。呆然自失といった状態で夜空を見上げている。心配そうなリンに、ハリーは「たぶん大丈夫」と言った。
それから一分くらいして、ロンはようやく起き上がり、無言で木陰に行く。ハリーとリンが顔を見合わせていると、ゲーゲーと吐いている気配がした。
さらに二、三分経ったあと、ロンは袖で口を拭きながら戻ってきた。
「クモの跡をつけろだって? 僕たち、生きてるのが不思議だよ!」
ロンの口調は、いつもより弱々しかった。
「僕たちをあんなところへ追いやって、いったい何の意味があった?」
「ハグリッドが無実だってことが分かったよ」
ポケットから「透明マント」を引っ張り出して、ハリーが言った。ロンは大きく鼻を鳴らした。アラゴグを物置の中で孵すなんてどこが「無実」なもんか、と言いたげだ。リンは無言で肩を竦めた。
「僕、絶対、ハグリッドを許さない」
怒り出したロンを宥め、ハリーたちは城へと帰った。なにか分かったら互いに連絡すると、約束をして。
2-19. 蜘蛛が明かした真実
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