「ハーマイオニー!」

 不意にハリーが叫ぶ声がして、リンの集中力が危うく切れかけた。気合いで立て直して死喰い人を吹っ飛ばすと、壁に激突して床に落ちて伸びた。リンはそのまま振り返って、残る死喰い人に失神呪文を当てた。背後からの無言呪文になす術なく倒れ込む死喰い人を放置して、リンはハリーたちに駆け寄った。

「何があったの?」

「ドロホフが紫の炎みたいなのを出して、それがハーマイオニーの胸を横切って、」

「胸を貫いたの?」

「ううん、表面を撫でる感じ」

「……無言呪文だったんだよね……何の呪文なのか、今すぐには当てられない」

「みゃぐわあるど」

 鼻血を押さえながら、ネビルが言った。リンはいったんハーマイオニーから視線を外して、ネビルの鼻を治癒した。足音が近づいてないか耳をすましながら考える。担ぐより浮遊させたほうが苦労はないが、いつ戦闘が起こるか分からない状況なので、やむを得ない。ハーマイオニーの腕を取って腰を上げると、意図を察したらしいネビルが自然な流れでリンからハーマイオニーを引き取った。

「僕が担ぐよ。僕より君とハリーのほうが戦いが上手だから」

「……そっか」

 瞬きをしたリンが苦笑する。床からハーマイオニーの杖を拾ったハリーが、少し考えたあとそれをネビルに差し出した。ネビルの杖はドロホフに折られてしまったので代わりに、ということらしい。

「ばあちゃんに殺されちゃう……あれ、僕のパパの杖なんだ」

「何言ってるの。息子の杖より孫の命のほうが大事だよ」

 しょんぼりするネビルの腕を、眉を下げたリンがポンとした。扉から首を突き出して安全確認をしていたハリーが合図を出したので、全員でそっと小部屋を抜け出して、ホールへと足を踏み入れた。扉がひとりでに閉まって、ゴロゴロと大きな音がした。

「うわっ」

 ハーマイオニーを担いでいるぶん余計に不安定なネビルがよろめいた。それを支えつつ、リンは息をひそめて状況判断に努める……どうやら、円形のホールそのものが回転し始めたらしい。数秒して回転は止まったが、どの扉から入ってきたのか、次にどの扉を開けるべきなのか、何も分からない状況になった。

「さあ、どっちの方向だと思、」

 ハリーの言葉の途中で、右側の扉が開き、人間が三人なだれ込んできた。とっさに杖を構えたリンが、ハッと気づいて名前を呼ぶ。探していた三人だ。ハリーが真っ先にロンに駆け寄ると、ロンは力なく笑った。

「ハリー、ここにいたのか……ハハハ……変な格好……めちゃくちゃだなあ……」

 ロンの顔は蒼白で、目の焦点も定まっていないし、口の端からドス黒い何かがタラタラ流れていた。おそらく血だろう。内蔵に強烈なダメージを食らったのだろうか。困惑したリンが何事かとジニーに説明を求めたが、ジニーは頭を振って、壁にもたれたままずるずると座り込み、喘ぎながらかかとを押さえた。

「かかとが折れたんだと思うよ。ポキッていう音が聞こえたもン」

「そっか。治すよ」

 リンがジニーのそばにかかんで、軽く確認したあと杖で治癒した。そのあいだ、唯一無傷らしいルーナが大雑把に説明をしてくれた。ジニーは、死喰い人につかまりかけた際、至近距離でルーナの粉々呪文の余波を食らって負傷。ロンは気づいたらこの状態になっていたとのことで、リンもお手上げだった。原因が分からない以上、下手な応急処置はかえって危険だ。

「とにかく、ここを出なくちゃ」

 ハリーがロンを引きずって、一つの扉に向かった。未だ息切れが激しいジニーに肩を貸して、リンはネビルとハーマイオニー、ルーナのあとに続く。扉を閉める間際に赤い光線が飛んできて、リンはジニーと一緒に床に伏せた。杖先からまばゆい光を放出して、ベラトリックスたちが目をやられているうちに扉を閉め、密閉する。

「やつらは脳みそのある部屋だ! 他の通路を使え!」

 まさかと部屋を見ると、壁一面に扉があった。まだまだしんどそうなジニーとフードから転がり落ちていたスイにはロンを見ていてもらい、残る四人で手分けして、なんとかすべての扉を密閉しきった。ハリーが汗で張りつく前髪を掻き上げ、ネビルが長く息を吐き出してしゃがみ込む。一息ついているルーナをリンが見やったとき、ルーナの背後の壁の一部が吹っ飛ばされてきた。

「ルーナ!」

 リンがとっさに盾の呪文を使い、周囲の壁ごと吹き飛ばされた扉がルーナを圧死させることは防げたが、衝撃は完全には殺せず、ルーナが宙を飛んだ。ルーナへ杖先を向けたリンに、赤い光線が飛ぶ。それを避けた隙に、ルーナは机にぶつかり、その上を滑って向こう側の床に落下し、伸びて動かなくなった。

「ざまあみろ!」

 残忍な笑顔を浮かべたメイガが、リンへとさらなる呪文を飛ばしてきた。その後ろからやってきたベラトリックスがハリーへと飛びかかる。ハリーはそれをかわして、部屋の反対側へと疾走した。ジニーが援護で失神呪文を飛ばしたが避けられ、逆に失神呪文を顔面に食らって横ざまに倒れ、気を失った。

「ロン、やめて!」
「アクシオ、脳みそ!」

 ネビルの悲鳴とロンの詠唱が重なって聞こえた瞬間、部屋の中の時間が止まったかのようだった。死喰い人たちですら、我を忘れて水槽を見つめた。緑色の液体のなかから飛び出した脳みそが、くるくる回転しながらロンの元へ飛ぶ。

 最初に我に返ったのはメイガだった。ロンがどうなろうと知ったことではないため、リンへの攻撃を再開する。リンはメイガに武装解除術を飛ばすと同時に呪文を避け、ロンを武装解除し、脳みそを水槽に押し戻し、杖をもう一振りした。どこからともなく出現した鉄製の箱の中に、水槽を丸ごと入れる。蓋が閉じた箱には鎖が巻きつき、鍵がかかった。

「ステューピファイ!」

 杖を回収したメイガからの失神呪文を避ける。リンの背後から肩へと飛び移ろうとしていたスイに当たった。床へと落下していく身体へと慌てて浮遊呪文を行使しながら、リンがかろうじて身をよじり、メイガの呪いは左の二の腕に当たった。血が吹き出す音と、熱と錯覚するほどの激痛。かなり深くまで肉が裂けたに違いない。

 リンの視界の端で、突如ハリーが一目散に走り出した。予言を頭上に高く掲げ、部屋の反対側へと疾走する。囮になるつもりらしい。思惑通り、死喰い人たちはみんなハリーを追いかけていき、部屋に静寂が戻った。

「……リン……どうしよう、ハリーを助けなきゃ……」

「予言を持ってるうちは大丈夫だよ。ひとまずみんなをどうにかしないと……」

 バタバタと血が滴り落ちる腕をそのままに、リンはまず、未だヘラヘラ笑いながら鉄の箱を開けようと画策しているロンを軽く縛り上げた。心苦しいが、まともな思考能力を失っている以上、手荒な扱いもやむを得ない。ネビルの手も借りながらスイたちをロンの周りに寝かせたあと、血で床に術式を描いて、彼らの周りに結界を張る。かなり高度な結界なので、メイガ以外の死喰い人たちにはまず破られないだろう。

 左腕を軽く治療してから、ハリーと死喰い人たちが出ていった扉まで忍び足で向かい、そっと顔をのぞかせる。中央に石の台座とアーチがあって、それを取り巻くように急な勾配の石段が組まれている部屋だった。台座のところにハリーがいて、死喰い人たちが取り囲むようにして石段に立ち、ハリーを見下ろしていた。

「……闇討ちしよう。私が『今』って言ったら、いちばん手前のひとに失神呪文を飛ばして。最悪失敗してもいいから」

 ネビルに耳打ちをして、リンはべつの死喰い人に狙いを定めた。ネビルもまっすぐ杖先を安定させているのを横目で確認して、リンはひそやかに「今」と口にした。

- 298 -

[*back] | [go#]