**

 「磔の呪い」と「服従の呪文」を一回ずつ食らったあと、ハリーは、墓石の裏側に転がり込んで攻撃を回避し、目を瞑った。

 死んだらどうなるんだろう ――― そんな疑問が頭をよぎったとき、リンの存在を思い出した。二人で一緒に、バジリスクや吸魂鬼と闘った。だけど、いま彼女は闘える状態ではない。

 自分が殺されたあと、リンも殺されてしまうのだろう……。そう思ったとき、いつかのジンの姿が脳裏に浮かんだ。リンを死なせかけたと、後悔と苦悩に苛まれていたジン。そして、彼と和解をして、うれしそうに笑ったリン……。

「………」

 ハリーは覚悟を決めて、目を開けた。

 守らなくちゃいけない。いままでたくさん助けられてきた分、今度は僕が助けるんだ。ヴォルデモートの足元に跪いて死ぬものか……死ぬのなら、父さんのように堂々と立ち上がって母さんのように誰かを守って死ぬのだ。

 強い意志を持って、ハリーは立ち上がった。杖をしっかり握り締めて身体の前に構え、墓石を回り込み、ヴォルデモートと向き合う。一瞬ののち、二人同時に叫んだ。

「エクスペリアームス!」

アバダ ケダブラ!

 赤い閃光と緑の閃光が、空中でぶつかった……強い衝撃が双方の杖に訪れ、持っている手ごと振動し始める……眩い金色の細い一筋の光が、二つの杖を結ぶ……二人の足が地面から離れ、障害物のない場所へと着地する……金色の糸が裂け、金色のドーム型の網、光の籠になり、二人を覆う……ヴォルデモートが、手を出すなと死喰い人たちに命令する……不死鳥の調べが、あたりに響く……。

 一連の出来事があっという間に起こった。ハリーの頭がついていかない。しかし、この糸を切ってはいけないということだけは、ハリーは本能的に理解した。その途端、杖がより激しく振動し始め、ハリーは焦った。

 いつの間にか、糸が大きな光の玉のような形になっている。その光の玉がゆっくりとハリーの杖のほうに滑ってくる……直観的にまずいと悟ったハリーは、玉をヴォルデモートのほうへ押し返すべく、気力を振り絞った。

 光の玉の列が震え、ゆっくりと止まった。そして、また同じようにゆっくりと反対の方向へ動き出す。今度はヴォルデモートの杖が異常に激しく振動する。ヴォルデモートの顔に恐怖の色が浮かんだ。さらにハリーが意識と神経を集中させると、ヴォルデモートの杖先から数センチのところで震えていた光の玉が、杖先に触れた。

 刹那、ヴォルデモートの杖から苦痛の叫び声が上がり、あたりに響き渡った。ヴォルデモートが赤い目を見開く ――― なにか灰色がかった、濃い煙の塊のようなものが、杖先から現れた……頭部だ……続いて胴体、腕……ハリーが夏休みに夢で見た、あの年老いた男だ。

 驚きのあまり、ハリーは杖を取り落とすかと思った。しかし、ハリーは本能的に杖をしっかり握り締めていた。

 杖先から絞り出てくるように全身を現した男は、その場に立った。ステッキに寄りかかって、ハリーとヴォルデモートを、金色の網を、結ばれた二本の杖を、まじまじと眺める。

「……そんじゃ、あいつはほんとの魔法使いだったのか?」

 ゴーストなのか影なのかよく分からない男は、ちょっと驚いたように言った。ヴォルデモートを見やって「あのやろう、俺を殺しやがった」と毒づく。

「がんばれ、やっつけろ、坊や」

 もう一つの影が杖先から現れた。今度は女性 ――― バーサ・ジョーキンズだ。すくっと立ち上がって瞬き、目の前の戦いを眺める。それからハリーを振り返った。

「気張りな! やられるんじゃないよ、ハリー! ぜったい杖を離すんじゃないよ!」

 二人がヴォルデモートを罵りに歩いていったあと、べつの頭が杖先から現れた。一目見て、ハリーはそれが誰なのか分かった。母だ。自分と同じ目に見つめられて、ハリーの心が震えた。

「お父さんが来ますよ……お父さんのためにもがんばるのよ、ハリー……」

 母の言葉の途中で、父がやってきた。背が高くて、ハリーと同じクシャクシャな髪。ハリーへと歩み寄ってきて、じっとハリーを見下ろす。彼が口を開くのを、ハリーは静かに見つめた。

「いいかい、ハリー……繋がりが切れると、私たちはほんの少しの間しか留まっていられない……それでも、おまえのために時間を稼いであげよう……『移動キー』を使いなさい。ホグワーツまで連れ帰ってくれる……ハリー、分かったね?」

「はい」

「ナツメの子も、ちゃんと連れ帰ってあげるのよ」

「わかってるよ」

 がくがく振動する杖を必死で掴みながら、ハリーは頷いた。父と母がニッコリ笑った。父が再び口を開く。

「さあ、やりなさい。走る準備をして……さあ、いまだ!」

行くぞ!

 ハリーは叫んだ。渾身の力を込めて、杖を上にねじ上げる。金色の糸が切れ、光の籠が消え去り、不死鳥の歌が止む……しかし、影たちは消えていない。ハリーの姿を隠すように、ヴォルデモートへと迫っていた。

 ハリーは走った。こんなに走ったことはないと思えるほど、全力で疾走した。墓石で身を庇い、ジグザグに走り、死喰い人たちからの攻撃を避けながら、リンのところへと飛ぶように走った。背後からヴォルデモートの叫びが聞こえる。ハリーは背後に向けてがむしゃらに呪文を発射しつつ、さらに走った。

どけ! 俺様が殺してやる! 俺様の獲物だ!

 甲高い怒りの吠え声が聞こえた。リンの手首を掴み、ハリーは、優勝杯へと杖を向けた。

「アクシオ!」

 優勝杯がスッと浮き上がり、ハリーに向かって飛んできた。リンを引き寄せ、ハリーは取っ手を掴んだ ――― へその裏側がグイッと引っ張られる感覚。ヴォルデモートの怒りの叫びを聞きながら、風と色の渦のなかを、ハリーはリンとともに進んだ……。

4-62. 直前呪文
- 226 -

[*back] | [go#]