沈黙が場を支配した。自分の足元を見つめていた人影が、不意に足を上げた。カタツムリの死骸は、そこにない。人影が勢いよく顔を上げた。反動でフードが跳ね上がり、その顔を見たハリーは息を呑んだ。

 何度も夢に見た、あの男だった。ヴォルデモートの召使いだ。ギラギラ光る目で、リンを睨みつけている。リンは、力尽きたように地に臥していた。

「小娘……!」

メイガ、いったい何があった? まさか、

「申し訳ありません、我が君。あいつが、あの小娘が、あれをどこかに転送したようです。ですが、ご主人様、お聞きください。ご理解願いたい。あの少年は、我が一族の者がつくった守り袋を持っていました」

 若干の怒りが含められた冷たい声に震え、メイガが早口でまくしたてる。ハリーは僅かに目を見開いた。しかし疑問を発するための口は動かず、その間にメイガが喋り続ける。

「あの守り袋があっては、あの者に手出しすることができなかったのです。直接的な呪文では、たとえ『死の呪い』であっても、弾かれるか変質する恐れがあったのです。だから無難な変身術を行使し、」

もうよい

 冷たい声が言った。メイガが抱える包みが動く。声の主(ハリーには正体が分かっていたが)は、そこにいるらしい。

結局のところ、殺し損ねたのだな?

「申し訳ありません、我が君。ですが、どこに転送されていようと、そして私の変身術が破られようと、あの者は詳しく語ることはできないでしょう。あの者はあまり情報を得ていない」

 暗がりでも分かるほど真っ青な顔で謝罪し、メイガは懸命に言い募る。ハリーは舌に力をこめた。つらつら語るメイガは、そんなハリーの様子に気づいていないはずだ。

「あの小娘が魔法陣の内で能力を使うなど、まったくの予想外でした。まあ、無理をしたぶん、あの小娘は力尽きたようですが。おかげで予定より早く力を抜き取れそうです……」

「リンに何をする気だ?」

 ついにハリーが叫んだ。メイガが弾かれたように振り返る。ハリーは相手の黒い目を睨みつけた。

「おまえは何者だ! ヨシノの人間なの、」

 ハリーの舌が再び凍りついた。杖を一振りしたメイガが術をかけ直したらしい。杖がもう一度振られ、ハリーの身体は浮き、大理石の墓石に背中を叩きつけられた。

 息が止まる。顔を歪めるハリーの身体が、頑丈な縄で墓石にぐるぐる巻きに縛りつけられる。息を整えたころには、ハリーの身体はびくとも動かなくなっていた。

「我が君、儀式を始めますね」

 ハリーに猿轡を噛ませ、メイガが抱えている包みに向かって愛おしげに囁いた。包みの中から「急ぐのだぞ」と声が返される。メイガは微笑み、中の“もの”を、いつの間にか用意されていた大鍋へと入れた。

**

 何かの材料を鍋に入れたり、小声で呪文を唱えたり、忙しなく動きながら、メイガはチラチラとリンのほうを見た。リンの周りに描かれている模様は、いまや部分的に強い白い光を放ちつつある。

 メイガは光の模様が完成するのを待っている。不思議と、ハリーには分かった。彼は待っているのだ。そのときが来たとき、リンの身に何が起こるのか。ハリーには考えることも恐ろしかった。そのときが来ないよう、ただ願った。

「闇の帝王は蘇るのだ」

 不意に声がした。ハリーはリンから視線を外し、前を見る。目の前にメイガが立っていた。妙にうれしそうな狂気的な笑みを、端正な顔に浮かべている。

「小僧、分かるか? この俺の手によって、闇の帝王はまもなく蘇る」

 ハリーは、ありったけの侮蔑をこめてメイガを見た。だが、メイガは気にとめず、つらつらと語り出す。

「この俺が、闇の帝王の復活に寄与する。なんと誇らしいことか。愚図で不実なクズ共には叶わぬ、最高の名誉だ……これを知って、あいつらはどんな顔をするだろう? 白人ではないと、能力がないと、俺を嘲笑い見下した者たちは?」

 今度は俺が向こうを見下す番だと、メイガは高く笑い声を上げた。ひとしきり笑ったあと、再びリンへと目を向ける。光の模様は、まだ不完全だ。メイガはハリーへと視線を戻す。ハリーは相手の目を睨みつけた。

「……暇潰しに、先程の質問に答えてやろう、ポッター。闇の帝王が復活なさった暁には、おまえは死ぬ。心残りは一つでも少ない方がいいだろう」

 くつりと喉の奥で笑い、メイガは目を細めた。

「おまえが察した通り、俺はヨシノ一族の人間だ。……いや、ヨシノの者だった、と言う方が適切か。俺はあの一族を捨てたからな。ヨシノの氏も、あいつらにつけられた名も捨てた。自分で名をつけ、俺はいまここにいる」

 目を見開くハリーの顔を眺め、メイガは「俺が家を捨てた理由が分かるか?」と囁いた。ハリーが反応を示す前に、本人が「俺に能力がなかったからだ」と吐き捨てた。

「ヨシノ独自の、あの特殊な能力が、俺には備わっていなかった。絶望的な屈辱だった。ほかの者が使えるのに、俺だけが使えないなど。俺がほかの者より劣るなど。不愉快極まりなかった」

 激しい嫌悪を顔に浮かべて、メイガは歯を食いしばる。怒りの炎が彼の黒い目の奥で燃えているのを、ハリーは見た。その炎が、ふと和らぐ。

「……だが、俺は耐えた。忍耐こそが強さだと、親たちに教えられていたからだ。あのころはまだ、あいつらの言うことは正しいと、愚かにも信じていた……。俺が真理に気づいたのは青年期のときだ。幸いにも普通の魔力は生まれ持っていた俺は、ホグワーツに入学を許可され、そしてそこで、闇の帝王について知った」

 怒りから一転、笑みがメイガの顔に広がった。喜びと狂気が入り混じった笑みだ。

「初めて闇の帝王にお会いしたときのことは、いまでもはっきりと覚えている。あの方は俺を受け入れてくださった。俺の魔術の腕を褒めてくださった。忍耐ではなく力こそが強さだと、そう教えてくださった……」

 ゴポリ、鍋の中の液体に気泡が現れた。メイガが視線を鍋に、そしてリンへと向ける。光の模様は四分の三ほど完成していた。メイガはまたハリーへと意識を向け、話を続ける。

「力こそが強さ。まさにその通りだ。おまえだって知っているだろう? 弱肉強食は自然界の摂理だと。なぜ自分で気づけなかったのか、俺は不思議で仕方ない」

 メイガが声を上げて笑う。途端、右肘の内側に鋭い痛みが走った。見ると、銀色の短剣の切っ先がそこを貫いている。傷つけた本人は笑顔のまま、どこからか薬瓶を取り出して傷口に当て、滴り落ちる血を受け始めた。

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