どさり。音が聞こえて、ハリーとセドリックは振り返った。少し離れたところ、丈高の大理石の墓石の傍で、何か影のようなものが動いている。目を凝らしたハリーは、不意に影が分裂するのを見た。いや、何かが何かを吹き飛ばしたような感じだった。

 訝しむハリーの視線の先で、ふわりと掌サイズの光が現れる。その光に照らされた姿を見て、ハリーは目を見開いた。

「リン!」

 ハリーとセドリックの声が重なった。名前を呼ばれたリンが顔をこちらに向け、ぱちくり瞬いた。呆然としている様子の彼女に、セドリックが駆け寄る。ハリーもそうしたかったが、怪我した足では不可能だった。

「リン、どうして君までここに?」

 のろのろと近づいたハリーが尋ねると、リンが、セドリックの手を借りて起き上がりながら「私が聞きたいよ」と眉を寄せた。

「あの人に連れてこられたんだから」

 掌から新たな灯りを出して、リンは、先ほど吹き飛ばされた方の影を指さした。灯りが影を照らす……なんと、カルカロフだった。ぼんやりした表情で、夜空を見上げている。吹き飛ばされたというのに、傷ついた気配も怒った気配もない。

「彼はいったい……?」

「たぶん『服従の呪文』か何かで操られてるんだと思います。まったく自我が感じられませんから」

 不審そうな顔つきのセドリックに、リンが自分の考えを述べた。じっと何かを考える素振りでカルカロフを見つめる。もう少し彼女に近づこうとしたところで、ハリーは怪我した足に痛みを感じた。

 思わず声を漏らすと、リンがこちらを見た。ハリーの足を一瞥し、歩み寄ってきて、しゃがみ込み、ハリーの患部に手をかざす。じんわりと温かい何かが傷を包む。治癒されているのだと、ハリーは頭の片隅で理解した。

 少し余裕ができたハリーは、なんとなくセドリックのほうを見て、目を瞬かせた。目を伏せてこちらを見るセドリックの胸元で、何かが淡い光を発している。指摘すると、セドリックはきょとんとして、不思議そうに光源を探した。

「……あ、これかな? ジンにもらったものだけど……」

 するりと、セドリックが小さな袋を取り出した。きれいな刺繍が施された布袋だ。ハリーの治療を終えたリンが顔を上げ、目を丸くする。

「それは、ジン兄さん特製のお守り袋ですね」

「お守り袋……?」

「身につける人を守るものです。ジン兄さんが作るものは、とくに効果があるんですよ。発効と同時に発光して目立ってしまうのが難点ですけど」

 ……よく分からないが、すごいものらしい。好奇心を込めて、ハリーは袋を見た。セドリックもしげしげと袋を見ている。彼の口から「さっきクラムに襲われたときは守ってくれなかったのに……」と言葉が漏れたのを聞き、ハリーは苦笑した。

「……それより、ここはいったい、」

 リンが言いかけたとき、カルカロフが身じろいだ。パッと立ち上がったリンが、ハリーたちの前に出て、のろのろと起き上がるカルカロフを睨む。そんな彼女を、ハリーとセドリックが片腕ずつ掴んで、自分たちの間へと引き込んだ。

 そのときだった。

 緑の閃光が走り、ハリーの傷痕に激痛が走った。あまりの苦痛に目を瞑るハリーの耳に、グォーッという音がどこからか迫ってきて、ドサッ……何か重いものが地面に倒れる音。誰かがヒュッと息を呑む。

 耳から入ってきた音をすべて脳内で処理し終えたころ、ふと傷痕の痛みが和らいだ。ひどく嫌な予感がして、目を開けたくなかったが、ハリーは思い切って目を開けた。

 開けた一瞬ぼやけていた視界が、徐々にクリアになる。そして目に入ってきたのは、地面に倒れた男だった。虚ろに見開かれた無表情な目と、半開きになった口元。事切れたカルカロフの顔を、ハリーは呆然と見つめた。

 情報処理が、上手くできない。感覚も麻痺してしまったようだった。一瞬が永遠に感じられた。

 パンッ! 不意に破裂音がして、リンが吹っ飛ぶのが見えた。ぽっかりと空いて何もない草むらへと落ちていく。なんとか受け身を取ったリンは、体勢を立て直そうとして、ガクリと地面に崩れ落ちた。

 隣のセドリックが、切羽詰まった声でリンの名前を呼び、駆け出した。同時に、リンが出した灯りが、ふつりと消える。セドリックが戸惑って立ち止まる気配がした。

 しばらくして暗闇に目が慣れると、月と星の明かりのおかげでリンが見えるようになった。驚愕に満ちた彼女の目が草むらを見ている。薄く細い光が何かの図形のような模様を描いているのが、ハリーの目にも分かった。

 もう一度パンッと音がして、セドリックの姿が消えた。今度はリンがセドリックの名前を口にする。彼女の視線を追って、ハリーは目を地面に向けた。一匹のカタツムリがそこにいた。

 何がどうなっているのか。無意識に後ずさりしつつ混乱するハリーの身体が、不意に固まった。金縛りにでもあったかのように、ピクリとも動かない。

「……まったく、手間のかかる」

 低い声が呟いた。かろうじて目だけ動かしたハリーは、大理石の墓石の傍に一つ人影があるのに気がついた。黒く長いマントを着て、フードで顔をすっぽり隠し、正体が分からない。右腕に杖を構え、左腕には何かを抱えていた。

余計なやつは殺せと言ったはずだ! 変身術など生温いことをするな!

 突然、甲高い冷たい声がした。それを聞いてハリーは鳥肌が立つのを感じた。しかし人影の方は平然とした様子で、抱えている何かへと顔を向け、穏やかに言う。

「……これから、無に帰しますよ」

 人影が近づいてくる。のろのろ動くカタツムリへと歩み寄り、そのまま、カタツムリの真上に足を ――― やめて! 願うハリーの口から、音は出なかった。

 ざくり。靴底が音を立てた。

4-59. 墓場
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