ついに期末試験が終わった。生徒たちの歓声を聞きながら、リンは身体の力を抜いた。いつものことだが、テストは疲れる。

 楽しそうに話す友人たちと一緒に一階まで降りたリンは、玄関ホールのところで、セドリックに出くわした。父親と、母親らしき女性を連れている。

「やあ、リン、久しぶりだな!」

 エイモス・ディゴリーが陽気に笑いかけてきた。まさか挨拶されるとは思っていなかったリンは、瞬きをして「お久しぶりです」と会釈した。

「……リン、私たち、さきに校庭に行ってるわね」

 何かを閃いた風情で、スーザンが微笑んだ。口を開きかけたジャスティンを宥めて誘導し、連れていく。アーニーとハンナも、それに続いた。最後にベティが「あとで詳しく聞かせてね」とニヤニヤ笑って、リンの肩を軽く叩いて去っていった。

 ……何なんだろう、わけが分からない。半ば呆然とするリンのところへ、エイモスが近づいてくる。止めたそうなセドリックに、ディゴリー夫人が「いいじゃない」と微笑みかけていた。

「エレンに会うのは初めてだったな? 私の妻だ」

 エイモスに紹介され、エレン・ディゴリーが柔らかい微笑みを浮かべて礼儀正しく挨拶した。リンも頭を下げて挨拶を返し、名を名乗る。リンが言い終えると同時に、またエイモスが口を開いた。

「どうだい、リン、私の妻は美人だろう? 加えて、優しくて淑やかで賢くて、申し分ない。最高の妻だ。セドがハンサムなジェントルマンに育ったのも、このエレンのおかげなんだよ」

「まあ、あなたったら……そんな、大げさですよ」

 ニコニコ笑うエイモスの言葉を聞き、エレンが頬を染めた。いや本当のことだと言ってさらに褒め出すエイモスと謙遜するエレンを見て、リンは、エイモスの言葉は当たっていると思った。セドリックは、確実に母親似だ。

 エイモスは褐色の髪と顎髭を持ち、血色と恰幅がよい。愛想もよく、少々鬱陶しいほどよく喋る。セドリックとは(失礼なのは承知だが)まったく似ていない。

 反対にエレンは、セドリックを女性にしたかと思うくらい、そっくりだ。艶やかな黒髪、穏やかなグレーの瞳、整った顔立ち、色の白い肌、落ち着いた雰囲気、礼儀正しい所作、柔らかい笑顔……。

 リンが観察するように見つめている間に、夫婦のやり取りはヒートアップしていった。悪い方にではなく、むしろ、若いカップルのようにどんどん距離が親密になっていく。そのうちにキスでも始めそうだ。

 なんとなく居心地が悪くなって、リンはセドリックを見た。セドリックも困ったような顔で両親を見ていたが、リンから視線をもらい、ついに声をかけた。

「父さん、母さん……あの、僕たちの前でそういうことはよしてくれませんか?」

 エレンがハッとして頬を赤らめた。エイモスのほうは、きょとんとしたあと何かを思いついた様子で、ニッコリとなぜかリンに笑いかけ、それから妻を振り返る。

「そうだな、邪魔しても悪いし……エレンや、私たちの思い出の場所にでも行こうか? ほら、湖の畔とか」

「まあ、とってもすてきですね、あなた」

 甘ったるい。二人を見て、リンは思わず思った。口や表情には出さないが。いつだったか雑談の際に、エドガーが「セドの両親は万年新婚ロマンチスト夫婦」と言っていた理由が、いま分かった。

 夕食までには戻ると言い置いて、エイモスとエレンは仲良く手を繋いで歩き去った。すれ違う生徒たちが呆然と視線を向けるが、本人たちはまったく意に介さない。すごいとリンは思った。

「……ごめん、リン」

 ぽつりとセドリックが呟いた。見上げると、セドリックは気まずそうに視線を逸らしていた。リンは首を傾げる。

「何がです?」

「その、甘い雰囲気を見せつけちゃって……リンは、そういうのは苦手だろう?」

「……たしかに苦手ですが、他人事なら、そこまで苦ではないです」

 セドリックは「そうか」と身体の力を抜いた。安心したような顔の彼を、リンは静かに見つめる。

「ご両親と一緒にいなくていいんですか? せっかく応援に来てくださったのに」

「大丈夫だよ。午前中にたくさん話したし……なんだか僕、邪魔っぽいし」

 肩を竦めて、セドリックは、リンに「ちょっと話さないか?」と言った。リンは瞬きをしたあと頷き、のんびり歩き出した彼を追う。二人はホールを通り抜け、石段を下り、玄関の柱の影で立ち止まった。

「……今日で、終わるんだ」

 唐突にセドリックが呟いた。ぼんやりと校庭のどこかを見つめている。リンは彼の視線の先を追うように視線を滑らせた。ハリーが歩いていた。観戦しに来たビルとウィーズリー夫人と一緒に、城の周りを散歩しているようだ。

 どうしてシリウスたちじゃないのだろう……疑問に思ったが、すぐに思い出した。シリウスとハリーは、過度な接触を取ることを禁じられているのだ。試合観戦くらい許可すればいいのに、魔法省はなんて頑固なんだろうか。

 そんなことを思っていると、不意にセドリックが動く気配がした。リンは視線を彼に向ける。セドリックはリンと向き合うように立っていた。その口からリンの名前が呼ばれる。

「リン、僕、がんばるよ。優勝を目指して、がんばってくる。だから、応援していてほしい」

「……言われなくとも、応援するつもりですよ?」

 リンが首を傾げると、セドリックはどうしてか困ったように苦笑した。リンは瞬く。セドリックはちょっと何かを考える素振りで視線を彷徨わせ、またリンに焦点を当てた。

「課題を終えて帰ってきたら、君に話したいことがあるんだ」

「いいですけど……いまじゃだめなんですか?」

「……いまは、ちょっと嫌だな。断られたら落ち込むだろうから。課題が終わったあとに話すよ。かまわないかい?」

 よく分からないが、そういうものらしい。首を傾げつつ、リンは頷いた。セドリックは穏やかに微笑んで礼を言った。そしておもむろに時計を見る。

「ごめん、そろそろジンと待ち合わせた時間で……」

「その通りだ」

 セドリックの背後から声が飛んできた。セドリックが振り返る。ジンが無表情に立っていた。その肩になぜかスイを乗せている。

「驚きすぎだ、ディゴリー。リンの落ち着き具合を見習え」

「いえ、私はなんとなく気配を感じてただけです」

「ディゴリー、ますます見習う必要があるぞ。気配に疎くては、今日の課題を遂行する上で大きなデメリットになる」

 溜め息をつくジンに、セドリックが苦笑する。忍者じゃないんだからとスイは呆れた。ジンの肩を蹴り、セドリックの肩を経由してリンの肩へと移動する。

「……では、私は失礼しますね。セドリック、課題がんばってください」

 頭を軽く下げて、リンは歩き出した。ハンナたちの姿を探しながら、校庭へと向かう。途中で、リンはスイへと視線を向けた。

「ジン兄さんと何を話してたの?」

「……べつに、たいしたことじゃないさ」

 力なく尻尾を揺らして、スイが答えた。その目が心配そうにセドリックたちを見ている。それに気づいたリンだが、なんとなく聞ける雰囲気ではないことを感じ取り、何も言わなかった。

 ただ静かにスイを撫でるリンの肩の上で、スイは目を伏せ、リンのローブを強く握りしめた。

4-57. 「第三の課題」直前
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