ほくほくとした気持ちで外に出た。
やっぱり部員たちの前に出るのはすこし怖いし、正直嫌だ。
それでも、いつまでも逃げてなんかいられない。
彼らをサポートするのだって、ちゃんとした私の仕事なんだから。
集合時間に遅れないようにと、次々部員たちが外へ出てくる。
その中でも特に早いのが立海の人だ。
やっぱり違うなぁ、レベルというよりも、意識の問題か。それとも性格?
厳格な立ち姿、とても猛暑の真下に位置しているとは思えない涼やかな面持ちで腕を組む人、真田玄一郎。
私の次に早く来た人だ。
同じくらい時間に厳しい手塚部長だってまだ来てないっていうのに。まだ時間まで25分もあって、たぶん皆が来るのは早くて15分前。ゆうにあと10分は、確実にこの先輩と2人。
なにを話せばいいのかわからない。
「…柳が、忘れ物をしてな。」
「!…はぁ。」
いきなり話しかけるものだから、ちょっと驚いた。
彼も、初日の様子を見て異変を感じ取ったものだろうと思っていたから。
こんな風に話しかけてくれるものとは、思いもしなかった。
「外村、葵。」
「は、はい。」
「うちの丸井が世話になっているそうだな。」
「こ、こちらこそ。」
「お前の試合は見たことがある。」
「、」
一瞬、アツさのせいで耳がおかしくなったのかと思った。
何を言うんだろう、この人は。
この人は、私がテニスをやっていたことを知っていたのか。
ブン太が言っただけではなくて、自分の目で、私のプレーを見てくれて、そう言っているのか。
「今でも一部では定評がある。当時、あの年齢であのようなプレーをする事には正直驚いた。」
「…大会なんて、数回しか出たこと、ないんですが。」
「その数回の中で優勝しているのだから、たいした実力だ。」
「…優勝?」
「特に準決勝のタイブレークで見せたハイボレーが印象的だった。年も近かったからよく覚えているぞ。」
「え、ちょっと、え?」
身に覚えがない、というのはこういうことだと思う。
10歳のときからテニスをはじめ、それなりに成長して何度か大会にも出場した。
しかし、大会での優勝経験は全くない。
準決勝まで進出したことはあっても、タイブレークにもちこんだことはなかった。
何を言うんだろう、なんて、思ってしまうことは仕方ない。
信じられない気持ちで見つめるとはっきりと見返されて、思わず瞳が揺らぐ。
「お前だろう、外村葵。
7年前、何の前触れもなく出場した全日本ジュニア12歳以下、女子シングルス。大会トロフィーをさらっていってしまった7歳の小学生。
それから忽然と姿を消して、ようやく名前が聞こえてきたと思ったらゆうに4年もの月日が経過していた。」
その4年間、どこでなにをして力をつぶしていたんだ。と、言わんばかりに。
真田さんは、静かにこちらをみつめていた。
一気に吐きつくされた言葉に混乱する。
足元が冷たくなった気がして、妙にくらくらした。
髪に照りつける日差しがさらに気持ち悪い。
温度差に吐き気がする。
先程のあたたかい気持ちが嘘みたいだ。
(そうだ、私、まだ自分から、)
うつむいて、視線から逃れる。
そうでもしないと、飲み込まれてしまうそうだった。
唇をかすかに開いて、またかみ締める。
逃げていた。
私は、まだ自分自身と向き合っていない。
正面からみつめなくてはならないことが多すぎて、頭が痛くなりそうだ。
(この人も、私の知らないことを、知っている。)
「…すみま、せん。」
「…」
「私、記憶が、ないんです。7歳のころから前、7年間、私がどこで、どうやって生きてきたか、…思い、出せないんです。」
思い出せないんだ。
あの薄暗く無駄に広いマンションに、ぽつりと置かれたトロフィー。
あの事を指しているのだとはわかるのだけれど。
どこで、どんな人と試合をして、勝ち進んだ嬉しさを両親に語ったであろう記憶すら、ない。
きっとこんな風に勝ったんだ。
きっとこうやって話したんだ。
そうだ。そうに決まっている。
何度も、何度も心の中でそうやって想像して、作り上げて、実際にあったことのように思い返して見たけれど、それは私の作り上げた偽者。
本当のことなんて、なにも知らないくせに。
両親の顔も、思い出せないくせに。
「…では、覚えておけ。
お前は7年前、俺だけではない、大勢の人間に高揚感を植え付けた。
白いラケットを翻して、舞を舞うようにプレーする外村葵と言う人間を、知っている。
本当に、あったことだ。
そして外村葵は今、ここにいる。」
信じろ。
勢いよく顔をあげた先に、射抜かれるかと思うほど強いまなざしで、彼はそう言った。
「俺も手塚も知っていることだよ。」
「!…さだは、…乾、先輩。」
「無理しなくていいから、大切に、覚えておくんだ。」
はっきりと、にこりと笑われて、ちょっと泣きたくなった。
私の知らないことを知っている人間は、すこし恨めしくて、悲しい存在だった。
昔の私を投影して、今の私なんか見てくれない。
そういった人たちなんじゃないかと、おびえていた。
過去の自分が嫌いだった。
知らない自分なんて、自分じゃない。
だからかこの自分を知る事は許されないし、思う出そうとなんて、してはいけない。
そう、思い続けてきたんだ。
(私は、知らない私を、知っていいの?)
(私は、知らない私を、大切にしていいの?)
訴えるように2人を交互にみると、真田さんが小さく笑った。
密度を濃くした風が、ごうと髪を乱した。
はためくシャツが愛おしい。
思わずアツくなった目頭を押さえて、精一杯に、笑った。
無理に思い出さなくていい。
私は、知らない私を知っていいんだ。
少しずつ向き合っていけばいい。
あせる必要なんて、ないんだ。
「あー!!ちょ、真田ァ!なに泣かしてんだよ!」
「遅いぞ。丸井。」
「遅くなんかねーもん!15分もはえーもん!」
「なんじゃ、うっせぇわ丸いぶた。」
「そうだうるせぇぞ丸いぶた。」
「ぶっ!!?てんめ、仁王!獄寺ァ!!」
「…少しは落ち着いたらどうです、丸いくん。」
「丸いっていうな!!」
ぎゃあぎゃあとこちらへ向かってくる赤い髪と銀の短い髪、長い髪。
ソレを見て、なんだかちょっと呆然としてしまって。
肩の力が変な風に抜けて、思わず口元に手を当てて、ちょっと笑ってしまった。
なんて和やかな人たち。
せわしなく浮き沈みする私の感情なんて、彼らの前ではたやすく切り崩されてしまう。
ったく、笑い事じゃねぇよ!なんて、口では言ってもなんだか楽しそうなブン太。
いつの間に仲良くなったのか、獄寺くんと立海の仁王さん、柳生さんも楽しげにブン太をいじり倒して笑っている。
獄寺くんが少しでも気を許しているって事に、なんだか驚いた。
「今日は暑いですから、帽子などを被っておいたほうがいいですよ、外村さん。」
「あ、ありがとう、ございます、…柳生さん。」
「あー、そうだ、ごめんな葵。」
「え?」
「ここにいる奴ら全員、俺らの事知っちまってさぁ」
すこし、申し訳なさそうに言う顔は、なにやら絶対的な自信のようなものをはらんでいた。「仁王の奴がちょっとさ。」何て言いながら、銀の髪の彼をこづく。
あれ、そういえばそうだ。
私、さっきブン太に会ったとき、隣に彼も居たのに普通に名前で呼ばれて、普通に両人から微笑まれて。
よく考えなくても違和感がある、あんな、なにもかもを知りつくして、なにもかもを許したような態度をブン太だけでなく、仁王さんまで。
「仲間は多いにこしたことない、じゃろ?」
ウインクされてしまってはなんだかもう、なにかを言う気力も薄れてしまう。
知りつくしたような言葉に困惑する。
どういうこと?
仲間だって、言ってくれるの?
仲間だって、思わせてもらって、いいの?
いいのだろうか。
私は今までにひとりを味わいつくして、なのに近頃といったら、
(私、こんなにもたくさんの人と居ていいんだろうか。)
(こんなにも、たくさんの人が、仲間だなんて、)
(思って、いいんだろうか。)
獄寺くんとブン太の居る方へ首を傾げると、少しくすぐったそうに笑われた。思わず何度も瞬きをして、辺りを見回す。
何人もの人が私に笑いかけている光景は、あまりに日常的で戸惑った。
(普通に学校生活が楽しい学生なんかは、こんなにも幸せなことが、普通にありふれていたりするのだろうか。)
私は今までも、乾先輩と手塚部長という2人の存在に救われてきた。
うまく部の仲裁に入りながらも、私という人間をいつまでも忘れないでいてくれた、大切な人たちだ。
「…すまないが、ウチの現状と俺たちと外村の関係も、俺と手塚で話しておいたよ。」
「あ、…いえ、」
ちゃきりと眼鏡のエッジに指を当てて、すこし伏し目がちに言った。
何がすまないのだと思った。むしろ感謝すべきで、謝らなくてはならないのは私のほうなのに。
せっかく距離を保ちながら部の中心に居てくれたのに。
(でも私はつくづくわがままで、できることなら仲間と呼ばせてほしいと、ほんの少し願ってしまった。)
(だから、出かけた謝罪の言葉は飲み込んでしまいたい。)
「…あ、そうだ、教授…れん、あー、えぇとその、柳さんは?」
「遠慮しないで蓮二でいいよ。どうせ俺は青学生じゃないし、にらまれる心配もない。」
背後から声がして振り返ると、久々に見る懐かしい姿。
昨日すぐに蓮二だと気がついたものの、ちらりと見るくらいに留めておいたものだから、こうしてはっきりと見るのはゆうに4、5年ぶりだろうか。
ン?という顔のまま固まる立海の人たちと獄寺くん。すこし笑う。
「やな…蓮二は、乾先輩と手塚部長と一緒で。小学生のときの友達なんです。」
「柳が転校しなければそのまま先輩だったんだけれど。」
「それは言わない約束だ。」
すこしかたい雰囲気に首を傾げたけれど、こうしてあのメンバーで今集まっているって言うことが不思議で、なんだか嬉しくて、ちょっと笑った。
あぁ、そうか奴らは幼なじみだったのか、なんて、特に立海の方々は渋々と納得したようで、このことがもし青学に知れたらもっと納得のいかない顔をされるんだろうな、とか、ちょっとだけ思った。
立海の幼なじみたちはとっても慎重で、完全に私だとわかるまでは、完全に個人として対面するまでは、そういったニオイを何も感じさせなかったから。
きっと、驚かれるんだろう。田波は驚くよりも呆気にとられるかもしれない。
辺りを見回すと、たくさんの人が円形になって談笑している。
風はぬるくて、昼にはもっとアツくなるだろうな、なんて、ぼんやりと考えた。
目の前の光景があまりにも幸せすぎて、思考が思うように働いてくれない。
私の周りで起こっているすべての事について、誰かしらに話しを聞いて、すべてを理解してくれて、こうしてたくさんの人が集まっている。
それぞれに思うところは違うのだろうけれど、同じ事を共有して、しっている、わかっているということはとても大切な事で、嬉しいことだ。
(私は、果報者だなぁ。こんなに幸せで、いいんでしょうか、沢田くん。)
そこまで考えてはっとする。
私ったら、また沢田くん。
沢田くん、沢田くん。
(…そりゃあ、考えちゃうよ、だって)
ありがとう、沢田くん。
私がすこしでも変われたことは、全部私の周りにいる人たちとの出会いのおかげだね。
それでね、こんなにも前向きに、すべてに向き合おうと思えるようになったのはもともと、あなたとの出会いのおかげなんですよ。
なんて、いったらきっと、笑われてしまうでしょうね。
to be continued...
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