朝、目が覚めると見慣れない天井。
起き上がった枕元を一撫でして、ふわふわとしたベッドにもう一度体を沈める。
目を閉じて深く呼吸をしてからそっと目を開けて、タオルケットを引っ張りあげた。

あの後私たちはほんの少し打ち合いを続けて、夜も9時を回ったところで解散した。
シャワーを浴びにいって、少し夜風にあたって、なんだかすがすがしい気持ちで眠りについたことを覚えている。

もう一度目を閉じると、ぼんやりと耳の奥に残る甘い声。
ほんのすこしだけ笑って、今度こそ完全に起き上がる。
今日から本格的に、合宿が始まるのだ。

(がんばります、沢田くん。)

大きく伸びをしてからふぅと息を吐いてベッドの乱れを直し、あくびを噛み殺しながらカーテンを開けに窓のほうへ向かう。
小気味良い音、輝かしい日の光が部屋中を明るくした。
現在、朝の6時ちょっと。
寝巻きからジャージに着替えて洗面台、顔を洗って歯を磨いたらくしを取り出して髪を梳かす。
ふたつにわけて前に流して、よし、これで大丈夫。

部屋には合い鍵なるものがついていて、必要なものだけ持って部屋の外に出たら必ず鍵をかける。
本当ならこんなことしなくていい状態がベストなんだけれど、なんとなく気になる子がいるものだから。

(用心深いっていうより、信用してないだけなのかな。)

ホールに下りるとすでに食堂の方からいいにおい。
部員たちはまだ起きていないのだろうか、私以外には誰の姿も見えない。
ふと靴箱の方を見ると、少しだけ開いたままのものが一箇所だけ目に入って、思わず誰のものだと確認したくなってしまう。

この施設の備品はすべて、ひとりにひとつずつというのを基本に配給されている。
なんでも、自分のものではない借り物だからこそ、愛着と責任を持って扱うためだという。
これは、いつ行う合宿でも変わらない。
青学テニス部の顧問、そして歴代の部長の方針だ。
だから夕飯の後はみんなして、付箋に自分の名前を書いてロッカーとかにべたべたと貼り付けていた。
立海もちょっと戸惑ってはいたものの、素直にこちらの方針に従ってくれた。
まぁ、誰だってモノを所有することに違和感や嫌悪感を感じることはないはずだから、いたって普通なんだけれど。

近づいて名前を確認すると、Ryoma.Eの文字。あぁ、彼か。なんて思って、そっと靴箱を閉じた。
すこし思うところはあるけれど、私は彼のことが嫌いではない。
だって、部長が彼を認めているから。
彼だってもう一人のマネージャーのことがなければ、ただのテニスが好きでたまらない人間の一人。
だから、本当に嫌いには、なれないってこと、私は知ってる。

(すきでもないけど。)


静かにため息をついてから食堂の方に向かうと、ビアンキさんを含めたお手伝いさんたちが奮闘していた。
ただ、ビアンキさんは料理に関わることを断られたようだ。もくもくと食器を水通し、水滴をぬぐい、重ねる。
姿の見えない山本くん、そして野球部のみなさん。そういえば今日朝一番にこちらに野球部が到着するんだ。
だから挨拶とか、あるんだろうな。
今回はこちらのマネージャーとして参加してくれているけれど、この合宿の中で午前のうちは野球部の方にも顔をだして見学させてもらうんだって言ってたから。

(たぶん、山本くんだったら見学だけじゃ済まないだろうけど。)

大きな声でみなさんにあいさつをすると、気持ちの良い笑顔で迎えてくれた。
そこに、田波の姿はない。
ちょっとあかるい笑顔をくれたビアンキさんのとなりに立って水通しを手伝う。
妙に安心したのは、気のせいじゃない。

それから間もなくしてホールの方のざわめきが大きくなってきた。
食堂に流れ込む声の数々にほんの少し緊張して、数回瞬きをする。
厨房で食事をとらせてもらうことにして、部員たちと距離を置きながら今日の練習内容や注意事項を聞き込む。
例年通り、合宿の始め一週間はほとんど基礎練習だ。
長い坂を上り下り、グラウンドでの持久走、砂浜での100本ダッシュなんてのも、今年もやるんだろうか。
容易に部員たちの疲労が想像できて、小さく笑った。

今年は竜崎先生から言い付かった練習内容を中心に、真田さんと相談して練習内容をほとんど決めたようだから、立海の人たちもこのメニューには逆らえないだろう。
立海の部長の幸村さんとか氷帝のみなさんがきたらまた練習内容を相談するんだろうと思うから、明日いっぱいまではほとんど基礎練習かな。
ラケットを使った打ち合いなんかもやるんだろうけど、動体視力を鍛えるカラーボール練習だったり、ベースラインからネットまでダッシュしてボールを拾ったり、そんなことの繰り返し。
試合なんてまだまだ先の先。しばらくは選手たちもちょっとやきもきするだろう。
今日なんかはラケットを握らせてもらえるんだろうか。
だけど、一番大事なのは結果よりプロセス。
どれだけ天才と言われていようと、テニスのセンスが良かろうと、最終的には実戦までの道のりがものを言うんだ。あと、誰にも負けないくらいのテニスへの愛情。

(私だって、テニスへの愛情は負けないもの。)

そうだ、ドリンクを多めに作らなくちゃ。
あと、タオルと換えのシャツも。
自分でも持ってきているだろうけど、それで間に合わないのが夏の合宿の怖さだ。
この合宿で一生懸命練習すれば短期間で確実にうまくなれる。
特に今年なんかは今までになかった練習風景を見て、多くのことを吸収できる。
だからうまくはなれるんだけど、甘くない。
炎天下、何度も倒れそうになりながらしっかりとその足で地面をつかんで、折れない意志と根性をしみこませて。

(桃城くんなんかは去年のこの合宿で、確実に一線を越えていった選手だ。きっとそう。)

立海のみなさんはもちろんだけど、越前リョーマ、彼にも気を配っていないといけないだろう。
なにせ、初参加なものだから加減を知らない。

(気を配らせてくれたら、の話しなんだけど、)



朝食の時間はあっという間にすぎて、部員たちはそれぞれの部屋に戻る。
30分後にグラウンド集合。
私も例外ではなくて、食堂の後のことをお手伝いのみなさんに任せて、部屋に戻る。
歯を磨いてメモ帳とボールペンを持っていることを確認して、ホールに降りていく。

「葵!」

「!」

頭上から声が降ってきて、はっと振り仰ぐとそこには銀の髪と赤い髪。
にっと笑って手を振るものだから、思わず笑った。
甘えてしまっているかな。
最初は彼らを巻き込みたくないなんて考えていた。
私と一緒に居ると、彼らにまで害が及ぶから。
でも、今は違う。
私がつらいと、それをつらいと思ってくれる仲間がいる。
遠くから見ていてくれる人。
ぶっきらぼうに守ってくれる人。
無条件であたたかい笑顔をくれる人。
心配性な人たちで、とっても優しくて、くすぐったくて。
彼らは私をどこまでもあたたかい気持ちにさせてくれる。勇気をくれた。大切な人たち。
だから、そんな彼らを心配させたくないし、傷つけたくない。
だから、逆に私は私のできることで彼らを守る。
そう、決めたんだ。

(何度だって誓うよ。私にできることなんてたかがしれてるけど、それでも、誓うんだ。)








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