「はじまります。ええ、丸井も…芥川も来ます。十代目、合宿に間に合うように帰ってくることは…、そう、っすね、はい。わかりました。まかせてください。」




ため息を深くついて、相手方が電源ボタンを押した事を確認してから、無機質な電子音と共にボタンを軽く押した。
紺の傘をそっと閉じて、蒸し暑い外気と湿った小雨を振り払って、ロビーに入った。このままエレベーターへと乗り込んで自室のある階までのボタンを押してしまえばよかったのだが、なんとなくすぐには帰りたくないと思い、ふらりと押してしまったのは以前葵が十代目と共に制服のデザインを考えていたあの部屋のある階。

この部屋はここに住むメンバー全員の部屋から、パソコンで確認することができるようになっている。
パソコンを立ち上げると、まずこの部屋の映像がうつるように仕掛けてあるのだ。
たぶん今自室でパソコンを開いている人物は、俺がこの部屋に立っていることがわかるだろう。

つまり、この部屋はそれほど重要な部屋だということだ。
葵が十代目に連れてこられた時、まず俺は葵の細かな荷物を部屋に運んだあと、自室へと走りパソコンを立ち上げた。
そのときにはまだ2人は例の部屋にいなくて、俺は山本と待機していた。
葵がもし例の部屋に連れてこられたとしたら、それはすごく意味のある事になる。


「で、この部屋に連れてこられたんだから、十代目は最初から葵をここに連れてくる予定だったんだろうな…」


あの、長い髪の女。
最初に青学に来た時、十代目にぶつかった女。
目を合わせることが出来なくて、いつでも下を向いていた女。

昼に見た、祈るように、ラケットを振るう女。


今にも消えちまいそうなくらいの存在感で、それでもアイツの振るうラケットから繰り出されるボールの音はあり得ないほど存在感があって。



「なに、青白い顔してるの。」

「…お前かよ。」

「僕だけじゃないけどね。」

「ようスモーキンボム、シケた面してんな!」

「…跳ね馬……」


黒髪の後に現れた金色に、なんとなく脱力した。
奴の肩に乗る小さな最強の赤ん坊を見て、あぁこいつら今まで修行してやがったのか、と。

瞬間、ぎりとこちらを睨む黒髪の視線に驚いたが、それは俺に向けられたものではないということに気が付いた。


「に、睨むなよ、ヒバリ!」

「なんで君もここにいるんだい?」

「や、パソコンつけたら、みんないるからよ、大事な話しでもあんのかなーって思って。」


正直に言うと、この野球馬鹿がこんなに鋭いとは思わなかった。
大事な話しこそないが、ここにこのメンバーが集まるということはこれから大事な話しが誰かの口から飛び出すという前兆であると言っても過言ではない。


「で、どうするわけ、君たち明後日から合宿でしょう。用意できてるの?」

「…地味に。」

「俺まだ!」


快活に笑って、野球馬鹿は黒色のタンクトップの襟をまたくつろげる。
真剣な顔つきになるのにはそう時間はかからなくて、奴の目が寂しげに細まった。


「葵は明日、買い物いくらしーぜ。」


そう、と、ヒバリは目を閉じてからため息をついた。
リボーンさんがそれを見て、そっとハットを深く被る。


「ツナがいねーからな、アイツも、オレらも、なんとなく心元ねーよな。」

「…十代目、合宿中には帰ってこれねーって言ってたぜ。」


静まり返る部屋のなか、おそらくアイツと一番かかわりのなかった金髪が、苦笑してから口を開いた。


「でもよ、俺からしてみっと、葵の顔、そんなに沈んじゃいないと思うぜ。
お前らがいるだろ、そばに。
もっと笑ってやれよ、な?」


「…言われなくても。」



ヒバリがそう言って、部屋から出た。
リボーンさんがにっと笑ってディーノを促すと、部屋には俺と野球馬鹿の2人が残った。


なんとなく目を合わせて、口元だけで笑って、奴が先に部屋を出た。




「…まだ、子供の考えしか出来てねーってか。」



跳ね馬の正論に、少しだけ肩の荷が降りた気がして、深くため息をついてから自分も部屋を出る。




「…強く、なりてぇな。」














妙に優しい獄寺くんをちょっとだけ笑ったら、顔を赤くして、でも荷物を運んでくれた。

今日は憎たらしいほどにいい天気で、私は昨日マンションの中に入っているお店で買い物を済ませ、そういえばディーノさんが消毒液と包帯と絆創膏を買っているところに出くわしたけれど、大丈夫だったのだろうか。

(あれ、私まだ、ディーノさんになにもお話し聞いてないな。)

いつだったか、彼にはじめて会った日のことだ。
ディーノさんが何かを話しに来たというのに、私は部活に遅れそうだからという理由で、彼の話しを聞かずに走っていってしまったような記憶がある。
それからだいぶたつけれど、何も話してこないということは、まぁ、そういうことなのだろう。




快晴が肌を刺激する。
夏が来たって言うのに、私の心の中はなんとなく沈みきっているような感じがして、またこっそりとため息をついた。

今日から合宿が始まるのだ。

初日は私服で来るようにという事は、おそらく初日から練習に励むような事はないのだろう。
持ち物リストの中に水着という欄があったのも気になる。

アロハシャツのよく似合う獄寺くんと、タンクトップをさらりと着こなす山本くん。
あぁ、沢田くんの夏服って、どんなかんじなのだろうか。
そんな事を思いながら、先程半そでのワイシャツ姿で見送ってくれた恭弥さんの姿まで思い出してしまった。

昨日、京子ちゃんとハルちゃんとの3人で見て回ったショッピングモール。
そこに売っている物は結構な値段なのだけれど、私たちはかなり安くしてもらっていて、一般の客に申し訳ないような感覚を覚えつつ、3人揃ってとても腰を低く買い物をしてきた記憶が鮮明によみがえる。
京子ちゃんと色違いで買ったウェッジソールと、ハルちゃんと色違いで買った半袖のロングパーカーがそれを物語っていた。

集合場所に着くまでに、私は獄寺くんと山本くんから荷物を受け取って、大きく深呼吸をした。

この門をくぐったら、青学のテニス部が待ち構えていて。

この門をくぐったら、あの子がたぶんミニスカートを穿いて笑っている。

しっかりと、マネージャー用のスニーカーの入ったバッグを持ち直して、私はここのマネージャーなんだと、

選手をサポートする役割を、与えられているのだと、


意志を持てば、きっとなんでもこなす事が出来るのだ。



強く、ならなければ、ならない。






(白いラケットを獄寺くんのバッグに忍ばさせてもらったのは、たぶん本当に私がテニスを好きだからだ。)















ぎっと、睨み付ける視線には気が付いた。


それでも気丈におはようございますと、そう言ったアイツは、たぶん俺たちが始めてであったころから比べて、かなり成長しているんだと思う。





野球部の連中もテニス部と同じ場所が集合場所となっていて、ここ何ヶ月で随分と親しくなった先輩や同期とにこやかに会話ができるのは、たぶんここにいるのが一軍の奴らだからだ。
二軍がいたら、俺はめちゃくちゃ睨まれてると思う。
いや、だってよ、新参者がいきなり野球部入ってきたと思ったら一軍候補になっちまうんだもんよ、そりゃおもしろくねーよな。
でも俺は野球が好きだから、諦めねーし、妥協もしねぇ。
相手が誰だろーが容赦はしねぇよ。だって、そういうもんだろ、真剣になれるものがあるってのはさ。


(だからたぶん、葵も妥協しねーんだ。)









「これから2週間、よろしく頼む。」
「あぁ、うちの2年が迷惑かけるかもしれないけど、よろしくな。」


まるで先生のように、眉間にはいつだってしわを刻むのはテニス部部長の手塚センパイ。
あの人は葵のことなんか知ってるみてーだから、俺も悪いようにはいわねーつもり。
あと乾センパイか。
眼鏡の奥は逆光のせいでよく見えなくて、でも口元はちょっと微笑んでいるから、まぁいっかな。


「よろしく。」

「あ、ども、よろしくっす!」

「…頼むぞ。」


握手を求められた手はなんとなくひやりとしていて、最後に言ってきた言葉は、おそらく臨時マネージャーの件に関しての物ではない。

目が、なんとなくやわらかく見えたから、あの言葉は葵に関しての事だ。



なんだ、手塚センパイって、見た目と違ってやさしーのな!






(そのあとにみた、もうひとりのマネージャーの、なんとなく赤くなったような頬は、見なかったことにする。)
















バスに揺られる前に、こちらを見て笑う山本くんと目が合い、なんとなく恥ずかしくなって笑った。

私には今、味方と呼べる存在がある。
心強い存在が、ここにいるんだ。


こちらを鋭い眼光で睨んでくる彼らと目が合っても、こんなに穏やかな気持ちになれるわけは絶対にないので、とりあえず空を見てみた。

青く広がる空には飛行機雲が走り、あぁ、あの飛行機がイタリアへと向かうものだったりしたらどうしよう?
彼は今何をしているのだろうか。
元気でやっているのだろうか。
まだそんなに日にちが経ったわけではない。
まだ、たぶんこの2週間の合宿が終わるまでに帰ってこれるかこれないかくらいの頃合なんだろうな。
なんとなく、あのススキ色が頭をよぎって、ふと、寂しくなってしまった事は、きっと私がどこかで空っぽだと思ってしまっているから。


「葵、遅れんなよ。」


ちょっと、力強く頭を小突かれて、よろめいた。
さりげなく笑う獄寺くん。
あぁ、なにを考えているんだろう、私は。

頑張らなくてはならない。

こんなにも心強い仲間が、そばにいてくれるのだから。



「…ありがとう、ございます。」

「…別に。」




越前君の、こちらを驚愕の瞳で見つめる顔が気になった。

でも、そんな事を気にしていたら、たぶんまた私は闇に飲まれそうになってしまって、そう、強くならなくてはならないのだから。



風はぬるくて、バスに乗り込む瞬間の後ろから吹き付けるそれに、私はそっとバッグを肩にかけなおして。



「帰ってきたら、みんなで海に行こうね!」



そう言った京子ちゃんの顔を思い出して。



ありがとう、でも、私はまだその夢のような言葉に甘える事は出来ない。

しばらくの間はそうね、バイバイ、泡沫の夏。



(帰ってこれたらみんなで、もちろん彼も一緒に、素敵な夏を取り戻すことが出来たなら、素晴らしいことだと思うのです、ねぇ。)





*7.al cento per cento




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