結局山本くんと帰路を共にしたので、それを伝えようと恭弥さんに電話をいれたところ、くすりと笑い声が聞こえて耳を疑った。

「それなら早く帰っておいで、30分もしたら仕事に行ってしまうから。」

じゃあまた、とか言って、恭弥さんは電話をきった。
電話の内容に耳を傾けていた山本くんは、走るか!と言って、からっと笑った。
急ぎ足でマンションにむかい共同リビングに駆け込むと、優雅に足を組んでコーヒーをすする恭弥さんに遭遇して、すこし安心してしまったのは言うまでもない。

どうやら恭弥さんは私たちが帰ってきてから仕事に行こうと思っていたらしい。
心遣いがすてきだ。

(恭弥さんは、忙しいのに迎えに来てくれると言っていたんだな。)


そう思うと、心があたたかくなった気がする。


行ってらっしゃい、と、見送ると、恭弥さんは微笑んだ。

朝までかかると言っていたな。
寝不足で倒れたりしないだろうかと、心配した。
















「ぐっしゅん!」

「…風邪か?」

「あ、いえ、たぶん違うと…」

「無理すんなよな、マネージャーって体力使うからよ!」

「…はい。」




朝になったが、結果的に恭弥さんは仕事から帰ってこれなかった。
いつも思うけれど、彼はまだ中学生だというのに一体なんの仕事をしているのだろう。

隣には獄寺くんと山本くんが居て、3人で並んでスポーツバックを肩にかけていると言うこの奇妙な光景。
いつもならば、真ん中には彼が居て、私はちょっと後ろから付いていくような陣形になっていたのだが、今は私が彼のポジションに着いてしまっていて。

いいのだろうか、と、なんとなく罪悪感にさいなまれつつも、ちょっとだけくすぐったいような感覚に見舞われて、私は強引に、ちょっと気丈に歩みを進める。

この2人の間に居て、彼と、…沢田くんと、同じような態度なんて、とてもじゃないけれど私にはとれない。

だけど、ちょっとだけでも沢田くんのように、彼に近付けるように、前を向いて歩いた。

強く、ならなくてはならない。




「…あれ、でも、山本くんは今日お休みなんじゃないんですか、だって、」

「野球部は休みなんだけどよ、テニス部に用事があってさ!」

「テニス部に…?」




思わず、曇った、ぬるい雨の空を見上げた。




夏には珍しいような雨足に、なんとなく背筋をただし、傘の柄を握った。









先ほどからなにもいわない獄寺くん。

今日はテニス部はミーティングのある日であって、それなのに隣には沢田くんが居ないものだから、おそらくつまらないのだろうなと思うことにした。

それ以上の思考は、私の精神をもろくする気がする。


会議室前。

私にとっては、戦場のようなその場所。


ノブを回したら、最後。


そんな場所だ。





でも、だからわたしは扉を開ける。













「遅かったじゃないか、早く席に着いて。」

「…はい。」


大石という名の副部長は、私にとってよくわからない存在である。
味方なのか、敵なのか。
または、そのどちらでもないと言うのか。

私はそっと2人からはなれ、彼女の向かいに座った。

私の、最大の敵である、彼女の前に。


2人はそれぞれ私の右隣に並んで座り、配られたプリントに目を通す。
山本くんに至っては、どう考えてもテニス部ではないメンバーに手を軽く振った。
おそらく、彼らは野球部だ。
以前山本くんと一緒に居たのをみた事がある。





「そろったところで、ミーティングを始める。
まず、手元のプリントを見てくれ。」


静かな声でつらつらと内容をのべる部長の目は、なんとなくいつもより和らいでいるような気がして、わたしはちょっとだけ驚いた。

驚くべことはそれだけで、それからプリントに目を通しても、なにも感じなかった。

だって、こんなのは去年だって行った。
去年は青学だけで行ったものが、合同に変わるだけだ。

ただ、一番違うのは、

去年は目の前の彼女が居なくて、今年は居るという事。

去年は私はみんなと助け合って難をこえてきたというのに、今年はそんな事は絶対にありえないという事。




気が、やはり重くなった。



想像はしていた。
この時期になって、わざわざこんな雨の日に学校に集まってまでミーティングをする理由なんて、どうせ強化合宿の知らせのためであると、想像はしていたんだ。


ただ、実際にこうして集まって、直に知らせを受けると、空気が違う。
体が重くなる。

今こうしてこんな場所に座っていられるのは、隣に獄寺くんと山本くんが座っているからだと思う。

2人が居なければ、おそらくこんなミーティング自体、出席なんてしなかっただろうに。







プリントを裏返せという指示のもとに、一斉にプリントを翻す音が響く。
私も例外なく、紙を返す。

そして、一瞬の内に、固まった。







「今回のレギュラー強化合宿は他校と合同であると先程言ったな。
相手校と、メンバーを発表する。

立海大付属

幸村精市
真田弦一郎
柳蓮二
柳生比呂士
仁王雅治
丸井ブン太
ジャッカル桑原
切原赤也

以上、8名だ。

なお、途中参加で氷帝学園も合流する予定だ。

メンバーは、
跡部景吾
忍足侑士
樺地宗弘
芥川滋朗
向日岳人
宍戸亮
鳳長太郎

以上7名。
総勢23名の選手が集まる事になる。
心してかかれ。

それと、マネージャー。」



放心していたような体に、緊張がゆったりと戻ってきた。

だって、立海だ。氷帝だ。

記憶に懐かしい赤髪の彼と、眠り羊が、
合宿に、来るって?









「…外村。聞いているか。」


「……、はい、すみません、」



部長はこちらを向いてなんとなくたしなめたが、そんなのは気にならなかった。

隣で、獄寺くんが笑った気がした。









「マネージャーのことだが、立海も氷帝も、マネージャーは居ないそうだ。
よって、今回の合宿はうちの2人にマネージャー業の全般をゆだねる事になる。
異論のあるものは。」


「あ、あと、まって手塚、野球部の皆さんの事も…」


「あぁ、あと、わかってはいると思うが、今年も例年通り野球部が同敷地内で一軍強化合宿を行う。
そこで、今年はマネージャーとして、野球部から臨時の人員を借りる事にした。
…女子生徒2人だけで、23人もの選手を見るのはさすがに限度があるのでな。」
一斉に、野球部のメンバーに視線がいく。

大会議室というからには室内は結構な広さがあり、一角はテニス部、また一角には野球部が陣取る。

先程部長は、テニス部は「レギュラー強化合宿」と言い、野球部は「一軍強化合宿」と言った。


山本くんが居るのは、なぜだろう。

彼は最近転校してきたばかりのはずであるのに、もう一軍の資格を勝ち取ったというのか。そんな、まさか。




「野球部のほうには一軍候補が居るんだ。
彼らにマネを手伝ってもらおうと思ってね。
左から、佐藤、竹林、小泉、山本。
この4人だ。
外村、田波、合宿中は色々と教えてやるといいよ。」




乾、先輩の言葉でなんとなく納得してしまうから恐ろしいと思う。
山本くんは一軍候補で、マネージャー業を手伝う人員として派遣されるわけだ。

なぜこうも上手く人がそろうのだろうかと考えてみた。


もしかしなくとも、沢田くんの力は大きいのではないかと思った。








「よろしくな、外村、田波!」


快活に笑って手を差し出してくる山本くんは苗字で私を呼ぶ。
一見何も考えていなさそうな彼は、本当は人一倍よく思案し、さりげなくそれを表に出す人間だ。


私は思い切ってその手を握ろうか考えたが、瞬間、後ろから飛んでくる冷たい声に、固まる。




「どうせ外村が頼んだんでしょ、そんなの。
いまさら演技なんてする必要ないじゃない。」


「…不二、先輩、……」


「合宿中にまた果歩に仕事押し付けたら、ただじゃおかないからね。」





冷たく笑って立ち去る悪魔。

ソレに続いて、何人もの部員が冷たい視線をむけては眉を寄せて立ち去る。

彼女だって、ソレに付いて、でも彼女は、ちょっとおびえたように、



「…、いいの、葵ちゃん、わたし、頑張ってお仕事するから…、あの、お、怒らないで、ね?
わたし、がんばるから……」






うつむいて、越前の腕にすがり付いて、そして彼女はこちらを更ににらむ越前と共に、会議室を去っていった。



憎悪の気持ちはなかった気がする。


ただ、なんとなく、空っぽな感じがした。





また、始まるのだと







そう、思った。














こちらをなんとも言えない視線で見てくる部長と乾先輩に一礼をしたのち、私は獄寺くんと、野球部のミーティングが終わるのを待ってから会議室を出た。



雨がやわらかく降る。




ぬるいソレは、足元ではねる。






昇降口のちょっと冷たいスペースから抜け出して、並んで、静かに雨をふむ。



コンバースのスニーカーが光った。

傘は頭上で小さく音を鳴らして、屋根を作る。
でも足元って、やっぱりぬれてしまうものなんだなと、小さく思った。








「………葵、」




静かに、名前を呼んだのは、山本くんだった。








「……打ってくか?」







親指で、指差したのはテニスコート。


外灯により、なんとなく赤く光る。



まだ昼間なのに、薄暗く見えたソレ。


私は躊躇なく傘を投げ捨て、フェンスを開け、足を踏み入れた。







山本くんの苦笑は、なんとなく暖かかった。











冷たくなってきたように感じた。






にわか雨、霧雨、小雨、なんとでもいえばいい、夏の初めに降るこのしずくなんて、白い切っ先で切り開いてしまえばいい。





部室裏にそっと隠しておいたラケット。

カバーを開くと現れる白いその刃を、そっと強く抱きしめた。





なんとなく、雨の音しか聞こえない気がした。


















「…野球バカ、お前知ってたのかよ。」


「ん?なにをだ?」


「いちいち言わせんじゃねーよ!
葵のことにきまってんだろーが!」


「あれ、獄寺、いつから呼び捨てになったんだ?」

「うっせー!どーでもいいだろうが、んな事!!」

「昨日はじめて見たんだよなー、なぁ獄寺。」

「…んだよ、この野郎!」



「キレイだよなぁ、アイツ。」




「………まぁ、…な。」







白い残像が雨を弾くのを見た。


長い髪が翻り、ボールの行き先を導く白い切っ先。



なんとなく、





「俺の剣技に似てる気がすんだよな、アイツの動きみてっとさ!」









反論ができないのは、きっと、アイツの動きが綺麗で、でも、なんとなく寂しそうに見えたからだと思う。











弾く冷水シャワー、降り注ぐそれに一筋の光を。







*6.バイバイ泡沫の夏




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