朝、起き上がった瞬間に、どことなく蒸し暑い気がした。
寝汗をかいたキャミソールを指でつまみ、かるくため息をついてからバスルームへむかう。

着替えにジャージのハーフパンツとTシャツを取り出した。
今日も、部活だ。

すこしだけぬるいシャワーを頭から浴びて、現実が脳内にゆるゆると語りかけてくるのを感じる。

彼が飛んだということは、今はもうすでに夏休みに入っていて、私はテニス部の、マネージャーなのであるから、早く起きなくてはならないのだ。


(沢田くんがいない。)

(私は、甘えちゃいけない。)

(闘わなくちゃいけない。)

(強くならなきゃ。)


(逃げたら、だめだ。)




きゅっと大きな音を立てて、コックをひねった。
水滴は、すこし寂しくぽたりとおちた。


部活がある人間はやはりもうすでにリビングに集まっており、奈々さんはにこやかに、それでもどこか寂しげにキッチンにて朝食を作る。
奈々さんは、食事は他の人にまかせようとは、絶対にしない。
3食きっちり手料理をご馳走になっている。
いうまでもなく、とても美味しい。


「おはようございます。」

「おはよう、葵。」

最初に挨拶を返してくれるのは、いつも決まってビアンキさんだ。
艶のある声色で微笑みかけられると、いつまでたってもなんだか照れてしまっていけない。
リビングには部活組の他に、ビアンキさん、リボーンさんがいるのだが、あとの皆はまだ眠って居るらしい。
それは当然の事だ。
なにせ、夏休みなのだから。

「葵ちゃん、今日は部活の日でしょう?」

「あ、は、はい…」

「青学のテニス部ってお昼以降までかかるらしいじゃない?
お弁当、作っておいたわよー」


ふふ、と、本当に可愛らしく微笑み、奈々さんは淡いオレンジ色の布に包まれた箱を差し出した。

お弁当。
いつもはどこかで何かしら買って、済ませていたものだ。
いつも学校があるようなときは、たいてい朝練に間に合わなくて、購買にお世話になっていた。
作るような暇はなかったし、奈々さんも、これだけの人数分の朝食を毎日つくっているのだ。
お弁当をつくる時間はないだろうし、事前にすこし、謝られたこともあった。
お弁当をつくってあげられなくて、ごめんなさいね、と、そこまで気遣ってくださるようなすてきな人。
私も、前に一人暮らししていたとき、夕飯があまってしまったらたまにおかずとしてお弁当箱に詰め込んでいた。
でも、それだって、ごく、まれなことだ。

だから、差し出された包みにはなにか、感動してしまうものがあった。


「いつもつくってあげられないから、こういう時こそって、思ったのよ―」

「…すみません、こんなに、よくしていただいて…、」

「いいのよ、お料理は趣味のうちだし、楽しいもの!」


「…、ありがとう、ございます…!」



本当に、本当に心が和らいだ。

ほっとした。

お母さんって、こんな感じだ。


(あったかくて)

(優しい。)











やっと、足取りが軽くなった。

あんな姿の部活には本当は出向きたくないけれど、それでも私はいかなければならない。
テニスが、好きだからだ。

重い腰を浮かすためにはそれなりの要素が必要だったけれど、私はもう、今日一日良い気分で居られそうな予感がする。


朝ご飯をいただき、歯を磨いて、髪をとかして、バッグを肩にかける。
ローファーではなく黒色のコンバースのスニーカーにそっと足を通し、私はずり落ちるバッグを肩にかけなおす。

後ろから複数の「いってらっしゃい」が聞こえ、私はそっと微笑み、返事を返した。


彼が居ないことで、私のどこかはやはり穴が空いたようにぽっかりと薄暗いけれど、それでも穏やかな気分だった。










外に出ると、むわりと暑苦しい空気が喉の奥に押し寄せた。
軽くむせ返り、私はマンションを後にするべく歩みを進める。

少し前に、獄寺くんと山本くん、そして了平さんがいるはずだ。
先程一緒に行こうといわれたけれど、まだ時間がかかりそうだったので先に出てもらっていたから。

(ひとりで行くの、久しぶりだな。)


空を見上げて、きらきらと光る太陽に目を細める。

隣には誰もいない。
存在は希薄で、こうしてひとりで歩いているとまた世界が違って見える。
すこし、寂しい。
それでも前より、世界がきらめいてみえた。
あつい風が心地良くて、思わず目を閉じてから、はっとした。


「…ひとりが久しぶりって思えるんだ、私。」


独り言は誰にも聞かれる事がない。
おそらく歓喜に満ちた瞳の潤みだって、誰にも見られる事はない。



(そうか、)

(いつのまにか、まわりの存在が大切になりすぎていた。)

(居るだけで心が安らぐような、あの人たちの存在。)











マンションを少し出て、広場のようなところを通り抜けたときに、大きくエンジン音が響いた。
少しばかり驚き、そっと音源を伺うと、そこにはさらりと短い黒髪をなびかせ、半そでのシャツにネクタイ、黒に細かくチェックの入ったスラックスを身に纏い、バイクにまたがる青年がひとり。

耳には、紅いピアスが光る。

私は、自分の耳にそっと触れ、その姿に近付いた。



(離れることのない存在が、やはり少なからず在る。)








「…なにを、なさっているんですか?」

「…やぁ、おはよう、葵。」




小さくあくびを残しつつ、こちらに微笑みかける、あの人の幼馴染。

美しく光を反射するジャパニーズビューティー。

そらにかがやくしろいシャツ。




「恭弥さん、今、帰りですか?」

「…まぁね。アレが飛んでから、ちょっとやらなきゃならない事があって。」

「…そうなんですか…。」


少しばかり物悲しい沈黙が訪れ、後、恭弥さんはふと微笑った。



「乗ってくかい?」









風を切る鳥になった感覚が、頭を全て空っぽにする。
途中、少しばかり獄寺くんを轢きそうになりつつ、恭弥さんはいまだかつてないほど、快活に笑った。
それでもやはり、かなり忍んではいるのだけれど。

(これってたぶん、貴重だ。)


マンションからかなり近いはずの学校は、途中迂回してスポーツショップによって貰ったために、少しばかり長い道のりになり、楽しかった。

単純に、楽しかった。



今度はサイドカーに乗せてもらおう、どうやら彼はもっているらしいから。

後ろには、沢田くんが乗ればいい。

3人だけとなると皆には少し申し訳ないけれど、私が乗るとするならば、この3人がいいと思った。

(バイクを運転するのは、恭弥さんが一番上手そうだな。)









えいえんにひょうひょうとわらう。


きらりかがやくあかいピアス。


あおい空にはいつだって


二羽の「雲雀」が天を裂く。





(ヒバリと似通う別の鳥。
彼と恭弥さんはそんな関係。)






*3.cucchiaiata




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