毎日が充実している。
学校って、楽しい。
勉強は、どこまで進んでるのか分からなかったから、もうすでに高校一年生の内容まで勉強してしまった。
病室にひとりきりというのは、どうにも勉強をする時間が有り余っていて。
だから、ついていけないなんてことはなかった。
友達も、できた。
かわいらしい笑顔の笹川京子ちゃんに、ちょっと大人っぽくてお姉さんみたいな、黒川花ちゃん。
どちらも、とってもいいお友達。
相変わらず、ツナとは毎日のように一緒に帰っているし、花壇のコスモスも、欠かさず見に行った。
それだからね、私、忘れてたの。
いつもと変わらずに、穏やかな午後の日。
明日は休日で、皆の気分もどことなくうわついていた。
私も、休日はツナたちと遊ぶ予定を立てていて、なんとなく気分が良かった。
もうそろそろ衣替えらしく、私はおかげで、1年半ぶりにこの学校の冬服に袖を通すことができるらしかった。
だって私、採寸してから一度も制服を着ていないもの。
放課後が近付き、私はツナと帰る約束を取り付けて、なんだか上々な気分のままに「さようなら」の号令を終えた。
ただ、ツナの顔が、どことなく煮え切らない感じがする事は、少し気がかりだった。
「葵はさ、手術とか、考えたことはないの?」
言われた言葉は、私の目の前を暗くさせた。
時が、とまった。
あがりきっていたテンションは、氷点下のグラスへと放り込まれた。
(だからわたし、)
(忘れてたの。)
(終わりはあるって、こと。)
深刻な顔で言う彼に、思わず聞き返してしまった。
「……なんて、」
「…手術は、しないの?」
あぁ、聞き間違いではなかった。
聞きたくなかった。
私は、その言葉を避けて生きてきたというのに。
「…私はっ」
吐き出すように言って、強く拳を握って。
「どうせ、死ぬもの。」
安易にこの言葉を口にしてはならなかった。
私は、涙をこらえるのに、必死だった。
風はなおもあたたかく、それでも、私の背中は冷たく固まっていた。
「…なんで?」
隣を歩いていた、彼の足がとまった。
「なんで、そんな事を言うの?
葵、死にたいわけじゃないだろ?
オレは、お前に生きててほしくて、言ったのに、葵、
何で決めつけんだよ、お前、
なんで、
なんで、お前!!」
必死に、私の肩を掴む彼。
どさりと、鞄が落ちた。
「…私、学校にこれて、よかった。
つなに、あえてよかった。
…コスモス、みせてくれて、ありがと。」
わたしは、にげた。
落ちた鞄を掴み、必死に逃げた。
心臓がうるさいのも、
息が苦しいのもかまわずに、
ただひたすらに、ひたすらに。
私は、家まで、一目散に走った。
玄関の鍵を空け、家に入って自室まで駆け込むと、なにかが音を立てて切れた気がして、一瞬にして私は崩れた。
生を求めては、いけなかった。
いつかなくなるこの命に、希望を持っては、いけなかった。
私は、
前と、違う感情を持っていたことに気が付いて、
ただただ、驚いた。
わたしは、恐怖を感じているだけ。
『学校に、二度と行けなくなったらどうしよう』
『ツナに、二度と会えなくなったらどうしよう』
そんな恐怖が私を動かし、
いらない希望を芽生えさせ、
私を生に導こうとしている。
学校に行ったら行ったで、私は。
「ばか…っ」
お願い。
いわないで。
終わりはあるってこと。
「つな…っ!」
ありがとう
ありがとう、つな。
気づかせてくれて、ありがとう。
私はやっぱり、
生きていたいんだって、
気づかせてくれて、
「生きたい。」
(生きたいんだ。)
小さくつぶやいた声は、涙にかき消された。
私はもうしばらく、きっと学校へは行かない。
決めたのよ。
スケッチブックの、最後のページを、そっと開いた。
あの日からもう、3日たつ。
葵はやはり、学校へは、こない。
「…はぁ……」
本日何度目かのため息をついたところで、教室の後ろのドアから、担任に声をかけられた。
「…なんですか、これ?」
「あー、これなぁ、頼まれ物なんだが、誰の物だか分からんのだよ。
朝きたら教頭先生に渡されてなぁ。
郵便受けに入ってたんだと。」
名前のない、サイズの大きい茶封筒。
ただ、メモとして『2-Aの沢田綱吉へお願いいたします』とだけかいてあった。
「…あ、あの、ありがとうございました。
それじゃ…」
担任にちらりと視線をよこし、さっさと教室へと戻った。
一日の授業をただつまらなく受け、意識は茶封筒の中身。
放課後になって、オレはひとり教室に残り、おそるおそる、のりをはがしていく。
中に入っていたのは、何の変哲もない、クリーム色の表紙のスケッチブックだった。
「…スケッチ、ブック……?」
予想は、付いていたんだ。
この予想が、確信に変わるまで、そう時間はかからなかった。
美しいものだけではない。
素朴に、天井を描いたものもある。カーテンを描いたものもある。
花瓶にささった花。
食事の内容。
スリッパ。
手。
点滴針。
外の風景。
ビルの明かり。
夜中の自販機。
紙コップの中身。
彼女の身の回りは、こんなにも寂しく、暗く、それでも、暖かかった。
複雑な思いは、どこまでもオレの心を驚かせ、揺さぶる。
そろそろ、最後のページに近付いてきた。
「…、あと、……。…一枚。」
どこからともなく、静寂の細かな音が響く。
ぱらりと、めくる音が、やけに大きく感じて、その音に驚いた。
めくった先。
そこには、
「…あ、れ……」
なにも、かいていない。
「あ、でも、なんかうしろに…」
影が見えて、ぱらりとめくって見る。
そこには、彼女の繊細な文字で、こう書かれていた。
『なおして、くるから。まっていて。』
「…まってるに、きまってんだろ、ばか………」
そうか。
彼女はいったんだ。
自分で決めて、
彼女は、いってしまった。
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