焦心
「なぜカインがお母さまを連れていくのよ!」
ダムシアン領の渇いた大地に、王女の悲痛の声が響いた。ダムシアン王国の王女ではなく、隣国のバロン王国第一王女シルビアである。
王子セオドアと名の知らぬ旅人とともに地下水脈を抜けた彼女は、はるか上空に飛空挺を見た。彼らが追っていた【赤い翼】と、王妃ローザと飛空挺技師シドが乗り城を脱出したエンタープライズである。バロン領へ南下する【赤い翼】に対し、エンタープライズはダムシアン城に着陸しようとしていた。
王子と王女は城へと急いだ。きっと母親と会えるのだと信じて走った。
だが、そこにローザの姿はなかった。
焼けただれ、瓦礫だらけの王の間にいたのは、ダムシアン王ギルバートとシドである。
「シド!」
セオドアが叫んだ。シルビアも続く。
孫のように愛おしむ二人の姿を見て、シドは思わず破顏した。分厚いゴーグルの奥には、うっすらと涙が浮かぶ。
しかし、シドは彼らにとって残酷な現実を伝えねばならないのだった。
「そんな……いつも聞いていたカインさんが……」
空高く昇る飛空挺上でセオドアは項垂れた。
ローザを連れ去ったカインを追うため、一行はエンタープライズへ乗り込みバロンを目指した。エンジンの限界まで速度を上げ、風を切る。
「こんなに速く飛べるものだったのか」と、マストに捕まりながらシルビアは思う。
「心配するなセオドア。彼はローザには手を出さないはずだ……。しかしセシルを……」
ギルバートは言葉を続けるのを躊躇った。
彼はカインの本心を聞いていた。すなわち、親友である――親友であった、が正しいのかもしれないが――セシルを殺めようとしている。それを実の子の前で言葉にすることはできなかったのだ。
しかし、事の危うさを感じ取った少年たちは、悲痛の声をあげる。
「父上を……!?」
「お父様が……お父様が、負けるはずないわ!カインなんかに、負けるはずが……でも、今は……」
「姉さん……」
「……いいえ。お父様は、きっと大丈夫……」
不安な表情を隠せないでいる二人を横目に、男はシドを急き立てた。
エンタープライズは、これまでの旅路を確かめるように、上空から影を落として進む。懐かしむ暇もなく、あっという間に地下水脈の通る山脈を越え、砂漠を越えた。
流されていく地上を見下ろす王女は、複雑な表情を浮かべる。
もし、あのまま城に残っていればローザを連れ去ったカインを止めることができただろうか。そもそも、エンタープライズを離れていなければ、ローザを守ることができたのではないか。自分は、果たして、正しい行動をしたのだろうか。
どんなに思い悩んでも答えは出てこない。そして誰も教えてはくれないのだ。
バロンに着陸するやいなや、男は弾かれたように飛空挺から飛び出した。セオドアとシルビアも後に続き、一心不乱に走る。目指すは、バロン城――竜騎士カイン・ハイウインド。
城門にたどり着くと、とうに魔物化した兵士たちに遮られたが、もはや彼らの敵ではなかった。
「どけえ!」
男の怒号を皮切りに、セオドアが剣を構え敵中に潜り込んだ。曲刀を迷いなく振る男の眼は真っ直ぐ王の間へ向けられる。だが、彼の前には幾多の亡き兵士たちが立ちはだかり、行く手を阻んだ。
「くそっ!」
防戦を強いられたその時、轟音とともに火炎が上がった。容赦ない業火に焼けただれ、魔物たちは瞬く間に消滅した。
「何をもたもたしているの!早く!」
後方からシルビアが叫ぶ。
男はシルビアを打見ると、すぐに王の間へと駆けていった。彼女の手が震えていたとには、気づくはずもない。
男の背を追うセオドアに続いて、シルビアも走る。「ごめんなさい」という少女の呟きは、消えていった兵士たちの魂に届いただろうか。
「母さん!」
バロンの中枢へと続く長廊下で、セオドアが叫ぶ。その先には王妃ローザの姿があった。
「……見つけたぞ」
そして、男の瞳はようやく一人の竜騎士を映したのである。
20160926