心地
水の音がする。
音がするのに静寂を覚える。ふしぎな感覚だとセオドアは思った。
ダムシアン領を横切る広大な山脈。その一角に、反対側へと抜ける洞窟がある。地下水が巡るそこは人が通るための道とは言えず、地面のほとんどが水に浸されており、入り組んだ地形も相俟って通りづらい隘路である。加えて、油断ならない魔物が静かに潜んでいた。
ゆえに、ダムシアン領を行き来する多くの旅人は海路を迂回する。
海路は安全だが日数を要し、便の数も少ない。そのため地下水脈をわざわざ通るのは、よほど腕に自信のある者か、急ぎを要する者か、旅費を浮かせたい命知らずというところだった。
そして王子たちには、迂回するほどの余裕は決して残されてはいなかったのである。
水の音が響く空洞に3つの影が照らされていた。
男の持つ松明の灯りを頼りに、ひたすらに進む。そのたびに、新しい波紋が生まれては消えた。
初めのうちは歩くごとに「水が染みて気持ちわるい」と嘆いていたシルビアだったが、じきに慣れてしまった。一度腰まで浸かってしまったら、どこまで濡れようと同じなのだった。
そのシルビアはというと、先を進む男が気になって仕方がなかった。男をじっと見つめるシルビアに気がつき、セオドアは思わず声をかける。
「姉さん?」
「あの人、なんか変だわ」
「変?」
同じように男を見るが、変わった様子は窺えない。何もないよと言うようにシルビアの顔を見ると、やはり怪訝な表情を浮かべている。
「いつもと違って、よく行き止まりに当たると思わない?ミストの洞窟は全然迷わなかったのに」
これまでの道程を思い出すと、勝手知ったるという様子で進む男の姿が浮かんだ。目の前の男は、たしかに、足取りに迷いがあるようにも見える。
「初めて来るところなのかしら」という姉の言葉に頷いた。
セオドアは心のどこかで、安心とも喜びとも言いがたい奇妙な感覚を覚えていた。洞窟に進入するころから張り詰めていた胸懐が、ふっと緩んでいる。
どうしたことだろうと不思議に思っていると、シルビアが不意に笑みを溢した。どうやら同じ心情らしい。
「おかしいけど、なんだか安心しちゃうわ」
「うん、なんでだろう」
「ね。ふふ……」
こそこそと笑いあう二人に気づき、数歩先を歩く男が振り返る。何か言いたげに眉を顰めたが、黙したまま歩を進めた。
20160627