呆然


「なんで起こしてくれなかったのよ!」

砂漠の白んだ空にシルビアの声が響いた。東に昇る太陽は、地面を黄金に照らし少女の瞳をより強く輝かせている。
激昂の原因は、数刻前まで遡ることになる。それは生命が寝静まり、幼い王女も夢の世界へと誘われていた夜半のことであった――。



男の眠りは、何者かの気配によって再び妨げられた。微睡む頭のまま周りを見渡すが、子どもたちは深い眠りに落ちている。
部屋の外から忍び寄る気配は、金属音を混じえて、やおら扉へと迫り来る。それは次第に殺気へと変貌していった。
乱暴に開かれた扉によって、セオドアが目を醒ます。声を上げる間もなく、突き付けられた刃が鈍く煌めいた。

「見つけたぞ……」

それは、バロンの兵士だった。
月影を背にした男たちの顔を窺うことはできない。しかし、その姿は間違いなくバロン兵の風体である。バロンの国章が刻まれた鎧を纏った兵士が三人、王子の前に立ちはだかっている。
いつか、城内ですれ違った人かもしれない。いつか、挨拶を交わした人かもしれない。セオドアの脳裏によみがえった情景の中に、彼らはいたはずなのだ。
――どうして、戦わなければならないのか?

「油断するなセオドア!」

男の声で、セオドアの意識は現実へと戻された。大きく振りかぶられたロングソードが目に映り、咄嗟に身を捩る。ベッドから転がり落ちるようにして、空を切る刃を躱した。
続けざまに襲いかかる剣を、男の曲刀が受けると、鋭い金属音がセオドアの鼓膜に突き刺さる。兵士が怯んだ隙を見て、セオドアは剣を手に取り、構えた。

――やらなければ、やられる。

脳裏を掠めた感情がセオドアを突き動かした。
床を蹴り、兵士の懐へ入る。突き出した剣が相手を捉えた、その刹那、兵士の体がぐにゃりと曲がった。セオドアの一撃を、すんでのところで躱したのだった。
勢いそのままに窓際まで飛び出したセオドアが振り返り、構え直す。
背筋が凍てつくのを感じた。
兵士たちの顔が月光に照らされている。そこには、もはや人間の面貌はなかった。瞳孔は開かれ、顔面には青い血管が浮き出ている。切り裂いたように大きな口から、牙を覗かせているではないか。
魔物が再び剣を振り上げる。セオドアは既に床を蹴り上げていた。一瞬にして間合いを詰め、セオドアの剣が相手の喉を貫いた!
叫び声にならない籠った音を立てて、血が噴き出す。剣は振り切られることなく落下し、鈍い音を立てた。一呼吸置いて、人間の皮を被った魔物が崩れ落ちる。そのすぐ側では、すでに二体の魔物が人間の姿を保てずに横たわっていた。
室内は元の静寂に包まれた。セオドアは、未だ全身が激しく脈打つのを押さえることができないでいた。

「い、今の兵たちは……!」

人間ではなかった。そう言おうとして、男に同じ言葉で遮られる。かつて人間だったことを諭すように「すでにな」と付け加えた。

「バロンの兵と思って手加減していては、おまえもあのようになるぞ」
「……。はい……」

手加減したつもりはなかった。実際己の手で、バロンの兵士だった魔物を仕留めたのだ。しかし、一瞬でも気の迷いがあったことは否定できない。それが優しさなどではないことを、幼い王子は理解していた。

「急がねばな。夜が明けたら、北東の地下水脈を目指す…… 」

男の言葉はそこで途切れたが、何かを言いたげに訝しげに眉を顰めた。
セオドアが男の目線を追うと、そこには静かに寝息を立てるシルビアの姿があった。セオドアが目覚めた時と寸分違わぬ姿勢で毛布にくるまっている。
よくも、まあ、こんな状況で寝れるものだと、セオドアは感心のような呆れたような思いを抱く。そして、その時の男の表情を生涯忘れることはないと、彼は思った。





「あたしだったら、一撃だったのに!」

シルビアの言葉にセオドアは頷くが、起こさなくて良かったとも思う。彼女なら、兵士はおろか宿まで破壊しかねないのだ。勿論、それを口に出すような失態はしないが。

――父さんは、無事だろうか。

城に残ったという国王が気がかりだった。あの勇ましい父親がそう簡単に負けるわけがない。そう思ってはいたが――。

――変な女が現れて、それからお父様も城もみんな変わってしまったの。

姉の言葉が脳裏を過り、不安は一層つのるばかりだった。昨晩の兵士のような事態が父親にも及んでいたとしたら、自分たちには手のうちようがないのではないか。
最悪の状況を想像して、セオドアの表情は暗くなる。

「大丈夫よ、セオドア。お父様は大丈夫。……だって、伝説の聖騎士セシル・ハーヴィなのよ」

に、と目を細めるシルビアにつられて、セオドアは思わず笑みをこぼす。こんなとき、姉のまっすぐな言葉は心強い。なんとなく、大丈夫なような気がしてくるから不思議だった。

「――あれが、地下水脈だ」

男の声に前を向くと、ダムシアン領を横断する山脈が見える。そして、山のふもとには洞窟があった。およそ人の通る道ではない洞穴である。
今は、父や自分を信じて前に進むしかない。そう自身に言い聞かせて、幼い王子は砂の大地を渡った。




20160306
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