暗夜


人の動く気配に、男は目を覚ました。
まだ明ける様子のない深更に、2つの月が煌々と輝いている。窓から射し込む月光で室内はいやに明るく、もぬけの殻となったベッドを青白く照らしていた。男の隣のベッドでは、セオドアが静かに寝息を立てている。――どういうわけか、シルビアが部屋を出ていったらしい。ぼんやりとした頭で思うと、彼もまた柔らかい布地から身を起こした。
建物のどこにも少女の姿を認められないことに、彼は眉を潜める。宿の外へ出ていったとして、それは何故なのか。釈然としない面持ちで、宿屋の出入口へと向かった。
扉を開けると、日中の熱気が嘘のように、外気は冷えきっていた。
温暖な祖国とは異なり、砂漠地帯では昼夜の気温差が激しい。うだるような暑さだけでなく、この寒暖差が先行く旅人を苦しめるのである。厳しい気候が身体を蝕み、高熱に倒れる者も多い。少年たちの体力を思うと、一刻も早くカイポに辿り着かねばならず、二人が無事だったことに彼は誰よりも安堵したのだった。
しかし、安息を求めていた少女の安らかな寝息は、忽然と消えていた。生き物の気配のない砂漠の、どこへ向かうというのか――姿を眩ました少女を探し、男は月夜のしじまを歩く。渇いた砂地は微かに音を立てるばかりだった。




村の北側には、大きな泉があった。生命の源泉の水面は月影を宿し、眩しいほどに輝いている。
探しびとは、そのほとりに立ち尽くしていた。まるで月に魅入られたようだと、男は思った。
男の気配に気づいたシルビアが、ゆっくりと振り返る。途端に怪訝な表情を見せたが、瞳は切なげに揺れていた。

「さっさと寝ろと言うんでしょ。……分かってる」

か細い声を溢し、再び顔を背ける。
男は口を閉ざした。
目の前の少女は、本当に彼の知るシルビアだろうか。弱々しい声色は本当にシルビアのものなのだろうか。彼が出会ったシルビアは、誰よりも強情な王女で、誰よりも勇敢な黒魔導士ではなかったか。

「……眠れないのか」

迷いに迷って絞り出した言葉は、渇いた空気に溶けていった。
しばしの沈黙。それは男にとって居心地のよいものではなかったが、話を続けることができなかった。虚ろな背を眺めている間中多くの言葉が過ったが、とうとうそれらを口にすることはなかった。
どれほどの時間が経ったのだろう。月が輝くだけの静寂を破ったのは、シルビアだった。

「初めてだったの」
「なに?」
「お父様が負けるのなんて、初めて見たわ」

振り向きもせずに、シルビアは続けた。表情が見えないことに男は不安を覚える。

「強くて、偉大なバロン王がよ。世界を救った英雄なのよ。それなのに――それなのに!お父様は逃げろと言ったわ。嫌だった。そんなの嫌。お父様一人では――」

そこで一度声は途切れた。張り詰めた空気を和らげるように、息を吐く。続く言葉を探しているようだった。
男は思う。彼女は何も知らないただの子どもなのだと。たとえ強力な魔力を秘めた黒魔導士だとしても、英雄の子どもだとしても、まだ十五にも満たない幼い少女なのだった。
男は目眩を覚えた。同時に、少女に告げるべき言葉が浮かぶ。
シルビアが言葉を紡ぐより先に、彼が口を開いた。

「あいつは――バロン王は、簡単にやられるような奴ではない。それはおまえが一番分かっているはずだ。おまえが信じずに、誰が信じる?」

男の言葉にシルビアは思わず振り返る。驚き見開かれた目は、やがて細められた。

「そうね。……うん、そうだわ」

ようやく見せた笑顔だった。




20160206
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