Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙

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 春、わたくしと彼女は出会いました。どんな花が咲いていたのか、入学してまもないクラスはどんな雰囲気だったのか、わたくしと彼女の席の詳細な位置関係__それらををもう少し丁寧に描写できれば良いのですが、もう昔のことですから、ぼんやりとしか思い出せません。それでも、確かに春でした。
 新学期ということで、出席番号順に自己紹介をしていたのだと思います。わたくしは__そうですね、おそらく無難な自己紹介をしたのでしょう。趣味は何だとか、この部活に入りたいだとか、そんなとりとめのない、つまらないことばかりです。わたくし以外のクラスメイトも、同じような自己紹介をしました。わたくしはそれをぼんやりと聞いていました。時々うなずいてみたり、飽きると爪をいじってみたり…それでも、その人がよろしくおねがいしますと言って席に着くとなんとなく拍手を送りました。ほかの人々もそうでした。
 そして、彼女の自己紹介の番が回ってきました。彼女は、真っ赤なリボンをしていました。それがまず目を引きました。あのような髪飾りは、校則で許可されていたのでしょうか__いいえ、されていなかったと思います。それでも、誰も彼女を注意しませんでした。
 彼女が立ち上がりました。座っていた時ではあまり見えませんでしたが、よく見るとその顔は思ったよりも目鼻立ちがくっきりとしているのがわかりました。曙色の髪は肩の長さほどで、翡翠色の瞳は宝石をそのままはめ込んだようです。わたくしは思わず、その翡翠色の瞳の瞬くのに見とれてしまいました。彼女は自己紹介を始めました。みんなと同じく、とりとめのないものでしたが、その力強い瞳が、鈴を鳴らすような凛とした声が、わたくしにとってはとても魅力的なものに感じられました。彼女が席に座るその時、わたくしと彼女の目が、合いました。彼女はぺこりと会釈をしました。わたくしは、なんだか恥ずかしくて目をそらしました。3センチメートル、開いた窓の隙間から、ふわり、春風が香りました。
 わたくしが下駄箱でローファーを履いていたときでした。急に肩を叩かれて、振り返ると、そこに彼女がいました。ねえ、とわたくしを呼ぶ声は、先ほどの自己紹介のときよりも幾分か低い声でした。あの時は、少々声が上ずっていたのでしょう。人は話をするとき、不思議とそうなるものです。はい、とわたくしは答えました。彼女もまた自分の下駄箱からローファーを取り出して、ぽすんと地面におきました。わたくしのローファーは焦げ茶色、彼女のローファーは黒色でした。彼女がローファーに右足の踵を入れたとき、言いました。

ねえ、親友になってよ。
親友?友達ではなくて?
そう、親友。僕、友達は作りたくないんだ。だって、みんなすぐにいなくなっちゃうから。
…いいけれど、どうしてわたくしなの?
え〜、だってあなた、さっき僕のことずっと見てたじゃん?
__そうだけれど。

 じゃあ、そういうことだから、と彼女はわたくしに手を振るとそそくさと帰って行きました。わたくしはぽかんとその背中を見つめるだけでした。彼女の後を追う気力もなく、わたくしはバス停へと歩きました。わたくしはバス通学でした。彼女はどうやって通学していたのでしょうか?それは知りません。どこに住んでいたかも、家族構成までもよく知らないのです。歩きながらじわじわと、「みんなすぐにいなくなっちゃう」の意味がわからなくなってきました。「すぐに」「いなくなっちゃう」という言葉はなんだか怖いような気がしました。__わたくしは人体実験でもされるのでしょうか?臓器を取られたり、血を抜かれたり___流石にそんなこと、わたくしの生活の中では起こりえないでしょう。きっと、なんとなく言った言葉に違いありません。わたくしは鞄を肩にかけ直すと、また違うことを考えながら歩き出しました。気づかないうちに歩くスピードがすこし、上がっていました。

 __まあとにかく、そうして、わたくしたちは親友になりました。彼女はしきりに親友親友と言っていましたから、いったいどんな生活が待ち受けているのだろうと不思議に思っていましたが、ふたを開けてみればなんてことない日々でした。学校で、次の授業はなんだとか、テストの平均点がどうだとか、とりとめのない話をする、それだけでした。一緒に登下校をすることもなければ、休日に遊びに出かけるということもありませんでした。それでも構わないと彼女は言いました。わたくしもそれで構いませんでした。彼女はやはり友達を作りませんでした。学校にいる間、私以外の誰とも会話しませんでした。そのことについて、彼女は何も言いませんでした。わたくしも何も聞きませんでした。それでも、わたくしには彼女のほかに友達がいました。今思うと、わたくしはその友達と喋ることによってすこしの優越感を得ていたのかもしれません。彼女は優秀な学生でした。成績の面においては、はるかに私より優れていたのです。
 
  夏と秋の間くらいのことでした。わたくしと彼女は二人で教室に残っていました。どうしてでしょうか、あまり思い出せませんが、文化祭のシーズンでしたから、おそらくそれ関連だったのだと思います。作業を終え、わたくしと彼女は箒で床を掃いていました。まだ日が出ていましたから、そんなに遅い時間ではなかったと思います。窓の外から、運動部の掛け声が聞こえました。掃除を終え、箒をロッカーにしまうとき、不意にわたくしと彼女の手があたりました。わたくしはごめんなさいと言いました。彼女もごめんと言いました。
 教室を出る直前、わたくしは彼女に呼び止められました。一緒に教室を出るわけですから、呼び止めるという表現は不自然でしょうか?それでも、道行く人々の中のたった一人に言うような、そんな言い方でした。わたくしは振り返りました。好き。彼女はそう言いました。それだけしか言いませんでした。でもそれは、確かに告白でした。彼女の赤らんだ頬は夕日のせいではないことがわたくしにはわかりました。
 わたくしはそれほど驚きませんでした。彼女がわたくしに恋心を抱いているということを、わたくしは知っていました。風のうわさで聞いたわけでも、彼女の言動を見てわかったわけでもありません。それでも、わたくしはそれを知っていました。わたくしはごめんなさいと言いました。彼女もごめんと言いました。そして、これからも親友でいよう、と言いました。もちろん、とわたくしは言いました。確かに、わたくしと彼女は、それからもずっと親友でした。

 __大切な話をするのを忘れていました。良好な関係を築いていたわたくしと彼女ですが、一度だけ喧嘩をしたことがありました。原因はつまらないことですからお話しませんが、半分はわたくしに非があり、もう半分は彼女のせいでした。仲直りがしたいと思っても、その方法は考えるほどに難しく、お互いなかなかタイミングのつかめないまま日々が過ぎ去りました。その間、彼女と会話を交わすことはありませんでした。一日、三日、一週間と時が過ぎました。彼女のいない日々とは、意外にもつまらないものでした。十日間の冷戦の末、とうとうわたくしが折れることに決めました。どうしたら仲直りができるかと考え、わたくしは彼女に贈り物をすることにしました。思い立ったが吉日、その日のうちにわたくしは雑貨店に行き、ああでもないこうでもないと贈り物を選びました。三週ほど店内をまわったのち、結局購入したのは最初に手に取った桜色のリボンでした。結局のところ、ぐるぐると店内をまわった意味はなかったというわけです。何はともあれ、贈り物を手に入れたわたくしは、すでに仲直りができることを確信していました。そして翌日、わたくしは桜色のリボンの入った包み紙を手に彼女の席へ向かいました。彼女は窓際の席でひとり、外を眺めていました。彼女の髪は出会った時よりもかなり伸びていました。わたくしはそっとリボンを机において、ごめんなさいと言いました。そうして、わたくしと彼女は仲直りをしました。

 わたくしたちはずっとずっと親友でした。夏が過ぎ、冬を越え、また次の春が来ても、その次の春が来ても、親友でした。
 ___そうして何度目かの春、彼女は死にました。二月中旬の寒い朝でした。寒いとはいえ、暦の上では春ですから、春と表記して差し支えないでしょう。とにかく、彼女は死んだのです。彼女は、わたくしと出会ったとき既に病気を患っていたそうでした。中学の時は入退院を繰り返す生活で、高校生になってようやく、体調が安定して学校に通えるようになったのだと。だけれど、立春の頃、容態が急変したのだそうです。彼女の遺体を見た時、わたくしは、ああ、眠っているようだなと思いました。わたくしは人が死んでいるのを見たことがありませんでしたから、眠ったように死んでいるなんて、そんなことあるはずがないだろうと思いました。だけれど、彼女の顔は本当に眠っているようでした。わたくしは不思議と泣きませんでした。このまま生きていれば、またどこかで出会えるような、そんな気がしました。わたくしたちは、やはり、親友でした。

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