Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙

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 薄暗い。おれはしぱしぱと瞬きを繰り返した。薄暗い。この部屋の明かりと言ったら、小さな窓から差し込む微かな日の光だけだった。蛍光灯はあるが、えらくホコリ被っていて、スイッチを押しても反応がない。替えを取りに行ってもいいが、部屋の距離を考慮して断念する。じきに目も慣れるだろう。また一歩、足を踏み入れるとぶわりとホコリが舞った。おれは顔を歪める。そもそも、なぜおれは一人でこんな劣悪な環境に放置されているのだろうか。時計がないので正確にはわからないが、もうとっくに約束の時間を過ぎているだろう。
 __愛しい人の足音というのは、なぜだかわかってしまうものだ。ほわほわとした覚束ない足取り、エナメルのストラップシューズの鳴らす音色___現におれは、急ぐそぶりもなくやってきた彼女の足音がすぐにわかった ( 勿論、こんな離れにはあまり人が来ないというのもあるかもしれないが )__とにかく、約束の時間を少し遅れて、彼女は現れた。
「 ごめんなさい 」
 倉庫の古いドアからぎいぎいと音が鳴って、ロゼは開いた隙間に体をするりと滑り込ませた。そのままドアを締め切ろうとするので、換気になるから開けておこうと提案すると、またぎいぎいと音を鳴らしてドアを開けた。廊下の光が少し差し込んで、先程よりも室内が少し明るく鳴ったような気がする。
 ロゼはつかない蛍光灯を不思議そうに眺めながら、ぱちぱちと何回もスイッチを押し続けていた。無心にスイッチを連打するその姿が、レタスを人参をむしゃむしゃと頬張るウサギのようであまりにもシュールで、思わず頬が綻ぶ。
「 …その蛍光灯、もう使えなくなってるようだぞ 」
 ロゼはぴたりとスイッチを連打する指を止めると、ああ、と独り言のように呟いて、今度はゆったりと倉庫の中を見回した。そこでおれはようやく、いつもの彼女とシルエットがなんとなく違うことに気づいた。
「 __ロゼ、髪? 」「 髪? 」
 ロゼは不思議そうに首をかしげると、しばらく自分の髪をゆるゆると撫でていたが、やがて気づいたように声をあげた。ああ、髪。
「 ちょっと邪魔になるかなと思ったので、結びました 」
 おれとロゼはふたり、薄暗い倉庫の中にいた。館の中でも人がほとんど来ないような離れである。わたし一人ではとても終わらないだろうから、一緒に楽譜の整理をしてくれと彼女は言った。といっても、処分する楽譜とそうでない楽譜がおれに判断できるわけがない。気になるものがあれば持って行って練習しましょう、と言われたが、ただただ気になるか気にならないかを判別するだけではおれがここにいる意味もさほどないような気がする。
 楽譜の入った段ボールは、さっとみた感じだと、全部で三つ。うち二つは中に楽譜がびっしりの詰まっていて、もう一つは半分くらいだ。おれはてっきり整理する楽譜はロゼのものだと思っていたが、どうやらそういうわけではないらしい。前ここに住んでいた人が残していったのだろうか。たしかに、楽譜の詰まった段ボールはかなり年が経って劣化してるように見える。
「__どれから片付ければいいだろうか」
「…一番少ないやつにしましょう、それが一番新しそうですから、」
 ロゼはまた、自分の首を触った。先程から、しきりにその仕草を繰り返している。いつもより寂しい自分の首もとに違和感を感じているのだろう。__そんなどうでもいいことを考えてるうちに、ロゼはもう段ボールから楽譜を取り出し始めていた。「ウェルさん、?」「…ああ、」
 
 それからしばらく時間が経った__ような気がする。やはり時計がないので正確な時間というのはわからない。 ( 影が動いているから時間が経ったことはたしかなはずだ ) ロゼは大人しめな性格なので、会話らしい会話というのはないが、そこまで気まずさは感じない。二人で黙々と作業しているうちに、早くも( 内容量が少ないので当然といえば当然だが )一つ目の段ボールが片付きそうになっている。
 そしておれはというと、彼女にある話題を持ち掛けようとそわそわしていた。今日は2月14日である。バレンタインタインデー__そして、ロゼの誕生日だ。会ったその時におめでとうと言えればよかったのだが、髪のことに話題が行ってしまったので、言い出せなかった。そして、次のタイミングがつかめないままずるずると時間が過ぎている。今言って、ひょっとして忘れていたのではないかと思われるのが怖かった。おれはこんな言葉のひとつひとつにうじうじするようなタイプではない。それとも、相手がロゼ__自分の好きな人だからこんな風に思っているのか?もともと、おれはそんな臆病な人間なのかもしれない___とにかく、どこかのタイミングで言わなければ。プレゼントは今度の日曜に彼女をコンサートに連れていくことで合意しているとはいえ、折角年に一度の今日なのに、言えずに終わるというのはごめんである。そもそも、ロゼは今日が2月14日であることに気づいているのか?流石に気づいているだろう。年中ほわほわと生きている彼女だが、日記は毎日つけているのだ。日付感覚はしっかりしているに違いない。
「 …今日、バレンタインデーだ 」
 なんの脈絡もなく彼女がそんなことを言うので、どきりと心臓が跳ね上がる。まさか、おれの心を読んでいるのか?それとも、早く言えという遠回しの圧力なのか?( ロゼに読心術があるとはとても思えないし、圧力をかけるような人間でもないので、おそらくどちらでもないだろう ) __いや、ただの独り言か。現にロゼはあっけらかんとした表情である。
「 _ああ、そうだな 」
「 はい、この時期になると街全体が少しそわそわしたムードになるので、面白いです… 」
 本来ならおれのところで終わるはずの会話だが、珍しくロゼの方から話を広げてきたので驚いた。ピアノ以外のことでは、彼女は本当に無口なのだ。

 ___プリンスオブウェールズは、たしか英国の紅茶ですよね。英国では、バレンタインにバレンタインカードというメッセージカードを送る習慣があるんだそうです。文面には手書きで「 Happy Valentine's Day 」とか「Be my Valentine 」なんて書いて、誰からかは書かないで、「 From your Valentine 」とか「 secret admirer 」とか、ぼやかすんです、それで___

「 ……詳しいんだな 」
 彼女はいつになく饒舌だった。本当に、いつになく。おれの方から彼女の顔は見えないから、どんな表情でそれを語っているのかはわからないが、なんだかいつもよりも言葉がうきうきとした雰囲気を帯びている気がする。
「 わ、そんなことは、ないですけど… 」
 暗闇の中で、ロゼが自分の唇を触るのが見えた。照れている。ロゼは照れると唇を触る癖がある。おれは、ようやく空になったひとつ目の段ボールを潰してそばに放り投げた。
「 …なんだ、これ、 」
 二つ目の段ボールを開けたところで、乱雑に積み上げられた楽譜の上に、直方体の缶を見つけた。クッキーやチョコレートを入れて売られていたものだろうか。ヨーロッパのどこかの風景が描かれている。手に持ってみると、ずっしとした感じはしない。振ると軽い音がする。裏面を見て、そこに書かれていた賞味期限に驚いた。まだおれが生まれていない頃じゃないか。
「 音と重さからして、紙、ですかね… 」
 いつの間にか、ロゼがおれの隣にやってきていた。さっとおれの手から缶を取って、なんのためらいもなく開ける。中に入っていたのは、手のひらサイズのメモや手紙などだった。どれも色褪せていて、手に取ると今にも崩れてしまいそうなくらい繊細だった。
「「 手紙…? 」」
 不意に重なった声に、思わず笑い合う。ロゼはひとつひとつの手紙を斜め読みでさっと読んでいった。人の手紙を勝手に読んでいいのかわからないが、長い間ここにあったというこそは、持ち主もこの手紙のことを忘れているはずで、もう時効になっているだろう。
「 ラブレターです、これ… 」
 ロゼが持っていたうちの一枚をおれに差し出した。受け取って斜めに読むと、ところどころ掠れてわからなくなっているが、たしかにラブレターだ。遠くに住む女性からの手紙で、熱烈な愛が綴られている。手紙の中での呼び名は二人にしかわからない愛称のようなものだったので気づかなかったが、封筒を見て、相手の男( つまりこの楽譜の持ち主 )の名前がわかってしまった。その名前は…
「 主…!? 」
 危ない、思わず手紙を落としそうになった。めまいがする。確かに、主にそういう相手がいる(いた)としてもおかしくない。主にだって若い時代があったに違いない。
「 あ、ショック…、? 」
 ロゼは固まってるおれを見て、くすくすとおかしそうに笑った。笑い事ではない。事態は深刻である。主とそういう話題になったことはないのだ。
「 もって帰りますか…? 」
「 いや、やめておいたほうが良いだろう 」
 おれは素早く紙を折り畳むと、また缶に戻した。全部取り出して読みたいという気持ちがないと言ったら嘘になる。もしまた気が向いたら、この離れに取りに来ればいい。ロゼは缶をいじっていたが、暫くすると蓋を閉じて適当な棚の上に置いた。棚の場所を、正確に記憶する。

 外も暗くなりいよいよ明かりが本当に乏しくなってきた。結局、楽譜の整理は数時間では終わらなかった。残りはまたいつか、言ってロゼは自分用に残した楽譜を紙袋に入れると、ぱんぱんとスカートの誇りを払いながら立ち上がった。それを見ておれも立ち上がる。足腰がぴりりと痛い。思わずあくびをしそうになって、噛み殺した。
 ロゼはこの後すこし用事があるという。だから、倉庫の前で手を振って別れた。手を振って自室に戻る途中、おれは忘れていたことを思い出した。結局言えてないじゃないか。いや、あの手紙を見たときの衝撃といったらない。おれはその後の作業はほとんど言葉を発しなかったような気がする。ただ、そんなのは言い訳である。だが、おれはとぼとぼと廊下を歩きながら、あることを思いついた。

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 わたしは、楽譜の入った大きな紙袋を持ちながらピアノの部屋への道を歩いていました。あの後、倉庫の鍵を主さまに返してから少しばかり世間話 ( もちろんラブレターの事は言っていませんよ ) をしていたらただでさえ遅れてしまったのに、冷やしたチョコを取り出しに立ち寄ったキッチンでもまたパァルさんに捕まり、長々と女子トークを聞かされ、予定していたものよりかなりペーズが乱れてしまいました。ウェルさんは、あの後、しっかり自室に戻れたでしょうか。あの手紙を読んで、相当衝撃を受けていたような様子だったから。
 ポケットから鍵を取り出して、わたしはドアを開けました。わたしの鍵には、淡い青色をした、ロゼのRのキーホルダーがくっついています。これは、ウェルさんがクリスマスにわたしにプレゼントしてくれたものです。
 スイッチを押して電気をつけて、部屋の中に入ると、テーブルの上になにやら小さな紙が置いてあるのが目に留まりました。折りたたみ式のメッセージカードのようです。表紙には、わたしの名前。わたし宛であることは間違いないはずです。
 ぱらりと紙をめくると、丁寧に字でこう書かれていました。

『 Happy valentine's day and happy birthday.  flom secret admirer 」

 それを見て、わたしは思わず笑ってしまいました。だって、こんなメッセージをわたしに送る人なんて、一人しかいないでしょう? わたしは手紙を元に戻すと、このことは絶対日記に書こうと心に決めました。



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