冬の寒さの一番厳しい、1月の下旬。週1度の都さんとのお茶会。窓から注ぐ日光はやさしげだが、この北風と降り積もった雪、防寒具をつけずに外を出歩けばきっとすぐに寒さに震え崩れるだろう。
「マフラー、編もかな」
 そう窓の外の雪をちらりと見やって、都さんは砂糖を入れた紅茶をティースプーンでくるくると混ぜる。
「都さん、編み物得意そうですよね」
「え、ほんまに?」
「家事とか、針仕事とか」
 都さんはわたくしの憧れの人である。お料理、掃除と家事が得意で、きっとこの館で一番きちんと仕事を果たしている人だと思う。わたくしはといえば、そんなに主様に住まわせてもらっているかわりの御奉仕をしている覚えがあまり……ない。今日は窓を拭いたわね、二階の廊下の。
「雛伊ちゃん、あんまマフラーせえへんよね」
「そうですね……服と合わせるの、難しいので」
 と、わたくしは今日のお茶のお供・抹茶のミルクレープをフォークでぷすぷすと一口サイズに切り分けた。抹茶色をしたクレープの生地は、自分の着物ドレスの色と似ている。この服はお気に入りだし、特に洋服に変えようとかいう気持ちはないけれど、冬にばっちり防寒できるコートやマフラーなどを合わせにくいのは難点だと思うのよね。
「たしかに、着物に合わせんのってちょっと躊躇するよなあ、マフラーとか、コートとか」
「そうなんですよね…――はあ、寒」
 わたくしは羽織を着た肩を震わせると、はむ、とミルクレープを口に運んだ。「お茶飲んであったまろな、」と都さんが優しく笑った。外の雪が、きらきら、光った。

 カレンダーは2月に変わった数日後、夜。なんとなく眠れなかったわたくしは、そっと部屋を抜け出して誰かがいるかもしれないリビングへと向かった。夜の廊下は昼にも増して冷たく、響く靴音も静謐。しかし居間のドアの僅かに開いた隙間から、廊下の絨毯へと伸びる光の筋は暖かい。それはリビングに誰かがいることを示していた。わたくしはほうと安堵の息をついて、リビングの戸を開ける。
「あ、雛伊ちゃん」
 ぱちぱちと音のする暖炉の前、ロッキングチェアに座ってこちらを振り向いたのは、マフラーを編んでいる都さんだった。
「こんばんは、――マフラー、編んでるんですね」
 わたくしは室内に踏み込んだ。ゆらゆらと暖炉で揺れる大きな炎の色が、優しく部屋を照らしている。リビングにいるのは都さんとわたくしだけだったので、時折爆ぜる火の音と、薄いピンクの糸と糸が編み物をして擦れる小さな音とがかすかに聞こえる。
「編み物、そんなにやったことはないんやけど、たまにはええかなーって」
 と、彼女は鈎針で桜色の毛糸を操る。本人はあまりやったことがない、と仰るけれど、するすると動く手はわたくしには熟練者の手捌きに見える。それをぼんやり見ながらわたくしは暖炉の前のもうひとつの椅子に腰掛けた。
「わたくしもやってみよう、かしら」
 自分はそれほどお裁縫をしたことはないのだけれど、思わずそんな言葉が口から出た。都さんはあら、と手を止めて顔をあげた。
「自分用、とかに?」
「――いえ、なんだかやってみたくなって」
「楽しいで、編み物。途中飽きてきてもなあ、完成して使うときのことを考えんねん――マフラーは大きいから時間かかるけど、小さいもんから初めてみてもええと思うよ」
 小さいもの。編み物で作れそうな小さなものをわたくしは脳内に思い浮かべてみる。
「手袋とか、靴下とか」
「そんな感じやね」
 ふふ、と微笑んで鈎針を動かす都さんは本当に楽しそうに見えた。その姿にわたくしは、都さんのようにやってみたいから編み物をしてみたいのだとぱち、と気づく。暖炉の炎も呼応してぱち、と爆ぜた。

 マフラーを編む都さんと暖炉の前でお話した翌日、わたくしはすっかり都さんに感化されてその日のうちに糸と鈎針を買いにまちへ行った。都さんにあげる靴下を毛糸で編むために。色は水色にした。自分のために編んでもよかったのだけれど、飽きてしまうときがくるのが怖くて、とりあえず何か、都さんにあげる用にしようと決めた。彼女にあげようと決めたのは、もしかしたらアドバイスを貰えるのではと踏んでのことだということにする。都さんに喜んでもらえたらうれしいな、とちらりと思ったからでもあることにはあるけれ、ど。取りあえず目標は今月14日までに編み終えること。都さんとのバレンタインギフトの交換のとき、一緒に渡せばいい。
 今日はその、編み物道具一式を買った次の日。午前のお掃除を終えて、時計は10時を指している頃。ひとりの部屋で編み物をしながら暖房をつけるのはなんだか燃料が勿体無い気がしたので、わたくしはひとの居そうな部屋を探していた。応接室にはふかふかのソファがあるので誰かしらがいるのでは、とアタリをつけて行ってみると、やはりそこでは数人が寛いでいた。ヒーターがついていて、暖かい。わたくしは一番ヒーターに近い、3人がけソファの右端に座った。
「あ、雛伊さま」
 わたくしの座ったソファのもう一方の端に腰掛けて、スマートフォンをいじいじしていたのはパァル。わたくしに気づくと顔をあげて、わたくしの持っていた紙袋に目をぱちりとさせる。
「それ、もしかして雛伊さま、編み物するんですか」
「あ、ええ、まあ」
 パァルって、なぜか、目ざとい。いつ何についてきたかわからないけれどとっておいた紙袋にいれたのは、昨日から編み始めた靴下と毛糸の玉と鈎針。たしかに、ちょろっと水色の毛糸の先が紙袋から覗いてはいるけれど、これが流行を見逃さない彼女の観察眼なのかしら。
「そういえばみやぴもマフラー編んでましたね、誰かにあげるって。バレンタインに間に合わせる!って言ってましたよ」
「え」
 わたくしはその言葉に、紙袋から取り出しかけた編みかけの靴下を落としそうになる。
「マフラー編むってやっぱり驚きますよね!手作りしようという発想があたしにはない……だってあんなに長いのに!」
 と、パァルは同士を見つけたうれしさか、目をややきらきらさせて肩を竦める。そう、ね、とわたくしは曖昧に相槌を打った。わたくしの脳内では、さきほどのパァルの言葉が反芻されている。
『マフラー編んでましたね、誰かにあげるって』
 別に、都さんが誰かにマフラーを編むなんて、わたくしには関係のないことだ。そう。そうなんだけれど。都さんにマフラーをあげるような相手がいたって何もおかしくないのだけれど。同じ手の動きを繰り返す編み物のように、繰り返し繰り返し、その言葉はリフレインされてしまう。
「雛伊さま、?」
 どうかしましたか?とパァルがわたくしの顔を覗き込んだので、やっとわたくしはぱちりと瞬きをした。わたくしはひとつ、息をついた。
「なんでもないわ」
 ヒーターの温風がぶおうと足元にかかった。わたくしは鈎針をぎゅ、と握り締めた。

 ついにバレンタインの日になった。わたくしが手から提げている紙袋には、昨日館のみなさまに配るために作って一人分ごとに包装した抹茶とチョコの市松模様のクッキーと、それと交換してもらったお菓子と、なんとか編み終えた靴下一足。ほとんどチョコ(もとい、クッキー)は配り終えた。わたくしのクッキーと交換してくれたお菓子は、手作りのものは少し不揃いでかわいらしかったし、既製品だけどごめんね!と小袋いっぱいにお菓子を詰めたものもあった。例年なら楽しく気分も上がって、最初は何を食べようかなとか、手作りのものは早めに食べないと、と考えるのだけれど――。わたくしは紙袋の中に残ったクッキーの一包みと水色の毛糸の靴下を見やる。都さんとは、まだ交換していない。なんとなく。パァルが言ってたじゃない、都さんがバレンタインに誰かに手編みのマフラーをあげるって。だから何、という感じだけれど、なんとなく心が重たくて出向けない、のだ。
 だから、わたくしはここ――都さんの部屋の前の廊下の窓際から歩を進められないでいた。皆は主に1階のリビングなどでチョコを交換しているから、部屋のある2階以上はいつもよりひっそりとしている。こつんと一歩踏み出してみると靴音がやけに響いて、わたくしは足をそれ以上前に出せない。
 はあ、と細い息をついた、そのとき。
「あ、雛伊ちゃん!こんなとこきてたん、探したわあ」
 わたくしはその声に振り向く。廊下の向こうから、都さんがのんびりとした足取りで歩いてくる。あ、とわたくしは僅かに口を開けた。
「うち、まだチョコあげてへんやろ?ブラウニー作ったし食べてやあ」
 がさごそ、と都さんは自身の手に提げていたトートバッグを漁る。どうやらそれにはわたくしの持っている紙袋と同じように交換したお菓子が入っているらしい。彼女はレースペーパーを合わせてラッピングしたクラフト紙の包みをわたくしに差し出してくれた。うまく気持ちの切り替えが行われていないわたくしは、慌ててそれを受け取る。と、あ、と思い出したように都さんが声をあげた。
「そや、マフラーもあげな!緑色の着物と薄いピンクのマフラーって合うと思うねん、桜餅とかもそんな色しとるやろ」
 と、都さんがもうひとつ鞄から出したのは丁寧に折りたたまれ、十字にリボンがけのされた淡い桃色の、見覚えのあるマフラー。わたくしは瞬きをひとつして、都さんの顔を見る。
「これ……前、編んでた」
「そうそう、それ。ほら、あんまマフラーつけへんって言うてたし、あげよと思うて」
 そうなんだ。そうなんだ、とわたくしはなぜか、ほうと安堵の息をついた。
「あ――わたくしからは、クッキーを」
 わたくしも用意していたお菓子があることを思い出して、わたくしはクッキーの包みを紙袋から取り出す。そこで、紙袋の中に横たわっている靴下が目に入る。わたくしは胸をできるかぎり膨らませて、息を吸った。その息を、声に変える。
「クッキーと、それから、靴下、です」
 靴下?と、きょとん、としたような都さんの目線を感じた。が、お構いなしにわたくしはクッキーと編んだ靴下のペアを同時に差し出した。
「あ……靴下って、編み物始めるって言ってたときの」
「そうです、ね……」
 ちんちくりんな靴下だとは思う、ので、わたくしはずっと目線を自分の足元に落としていた。クッキーと靴下とを受け取った彼女の顔は見れずにいた。が、ふふという都さんの笑い声で、わたしは顔をあげる。
「ええやん、マフラーと靴下の交換こなったなあ」
 えへへ、と嬉しそうに、彼女は靴下を受け取ってくれたみたいだ。わたくしもつられて、口角をあげる。
「はい」
 マフラーはきっと、桜が咲く春がくるそのぎりぎりまでわたくしの首元を覆うことだろう。勿論、桜色の、マフラーが。

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おまけ
「でもな、意外とマフラーって簡単やねん、ずっとまっすぐ編むだけやし」
「え!そうなんですか」
「逆に靴下難しなかった?なんか輪編みってごちゃごちゃしてうちあんますきちゃうねん……」
「だからあんな難しかったんですね……」
「まあでも初めてで靴下編めるって中々才あるんやと思うで」
「……!!」
「おうい、そんな固まってしもてどないしたん」
「都さんに認められる日が来るとは…と思ってですね」
「そんな大げさな!鬼教師とちゃうねんから」
「……」
「いやそこ黙らんといてほしいわあ」

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