あなたの季節でしょうに
「春はええよなあ、おんなのこの季節やし」
ぼんやりと都さんは呟いた。その桜色の瞳で、春の初めの澄んだ晴れ空のちょっとした小さな雲を追っている。
「都さんもおんなのこでしょう」
わたくしはベランダの柵に手をついて、上半身の体重を預ける。わたくしたちは何するわけでもなく、ただベランダに肩を並べて立っていた。目下の庭には今チューリップが咲いている。冬を越した花はふんわりとふくらんで、赤や桃、白、黄色のちいさな部屋を風に浮かべていた。
さらりと吹いた風が、わたくしの黒髪を小さく揺らした。ハーフアップにした髪の毛先が頬にかかる。そっとそれを耳の後ろに戻す。都さんの黒髪も、わたくしの左隣で揺れている。ちらりと横目に顔を盗み見たけれど、同じくふわりと短い黒髪が舞って彼女の横顔をすっかり隠した。
「でもな、雛伊ちゃん。うち、もう二十歳やもん」
――そのためにどういう表情をしてそう言ったのかはわからなかった。風が止む。あたたかい空気の動きが止まって、ふたりの黒髪はもとの定位置へと帰った。今一度視線を向けると、都さんは笑っているように見えた。ただ、桜の色をしたピンクの飴のような瞳にうつる雲はとてもとても小さくて薄い。
「その子二十歳」
と、わたくしも都さんの真似をして、春の空の雲を眺めてみる。真夏の積乱雲のように恰幅の良いむっくりした雲はひとつもなく、どの雲もどこか自信なさげにかろうじてそこに存在しているように見えた。
「櫛にながるる黒髪の、おごりの春のうつくしきかな」
わたくしがそう続けると、ふは、と都さんは軽くふきだした。思わず目をぱち、とさせて彼女を見る。
「それは三年後の雛伊ちゃんの黒髪の方が、似合うんとちゃうかな」
と言って彼女はわたくしの髪にそっと手を伸ばした。一気に顔と顔、右肩と左肩の距離が近くなった。はらりと自分の黒髪が都さんの手からすべり落ちるのを、見ていた。それ以外は何も考えない。
「二十歳とは、ロングヘアーをなびかせて、恐れを知らぬ春のヴィーナス」
突然、都さんの関西弁が抜けて、うたうように口から言葉が流れてきた。その言葉をどこか、チューリップのところへでも運ぶかのように風がそよぎだす。わたくしの髪がまた乱れたのを、そっと彼女の指が耳にかけてくれる。
「うん、やっぱ雛伊ちゃんはヴィーナスになる」
にこ、と彼女は屈託のない笑みを見せた。わたくしはただ、冬の外にいるわけでもないのに耳がなんとなく熱いのをこらえて、曖昧にわらった。
もう春は、わたくしたちのもとに来ている。
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その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(与謝野晶子)
二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春のヴィーナス(俵万智)