拝啓
 最近局地的な雷雨が多くて、天気が不安定になってきました。女心と秋の空、という感じがします。女の子の感情が変わりやすいのって、ホルモンの影響もあるし、仕方ない気はするんですけれどもね。
 さて、今回も前々回と同じくうぇろぜ、さらには短歌をオマージュして書きました。わたしうぇろぜと短歌が大好きなんですよ。
 月の短歌とか山ほどありますから、そこから好きなのを十個以上選んで、そこからさらに六個に絞る作業って、大変だけどその分幸せになれました。短歌はすごい。三十一字だけの世界なのにとても広い。とても広いのに、狭い。この矛盾が、日本に伝わる伝統的な定型詩の魅力の一つなんじゃないかな、って歌詠みの端くれの端くれなりに思います。
 短歌がとても広い、というのは、オマージュした六首の短歌それぞれに、独自の世界が広がっているということからわかると思います。月ひとつとっても、こんなに世界がある。様々な三十一字の世界がある。例えばこちら。

  「月がない」「ラピスラズリが食べたんだ」「どこかでふふふと微笑みながら?」/島本純平

 これは初めて読んだとき、もう、惚れました。破調ではありませんが、現代短歌らしい歌だと思います。ラピスラズリが月をふふふと微笑みながら食べる世界について、二人(もしくは、三人)で話しているのだとわたしは読み取りました。ラピスラズリというのはきっと――ということについてまでは、話すと楽しくなくなっちゃうかな。

  やわはだをすべる三日月 君はただ後ろから抱かれていればいい /笹井宏之

 同じく、月がモチーフとして出てくるのですが、島本氏の歌と比べると、こちらはぐっと恋の歌の色が強まります。「君」のやわはだの上を、三日月が、すべっちゃうんですねえ。三句目からの言葉の強さに、わたしは逆に哀愁を感じてしまいます。「君は抱かれていればいいから、○○」ということなんでしょうが、○○に入りそうなフレーズってなんでしょうね。「〜〜していればいい」ということなのですから、○○は少なくともマイナスイメージなフレーズでしょう。
 「君」には何があったんでしょうか。そこがわからないのが短歌の狭さです。想像を掻き立てる狭さ。
 その狭い空間の外には何があるのかな、と思って、わたしは短歌をオマージュするお話を書くのが好きなんです!もしかしたらこういうことが起きたら、自分ならその歌を詠んだかもしれない、というのを想像して書くのが好き。だから、七月の「星」で短歌やったんだから「月」でも短歌をオマージュしちゃお!と思ったのです。
 たぶん2020年度アンソロのうぇろぜ短歌シリーズ(??)(いつからシリーズ化してたのか)はこれで終わりです。お付き合い頂いてありがとうございました。それではまたお会いする日まで。
かしこ
  九月十二日
飴玉
ぎんさじ民のみなさま


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