Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙

TOP





「あー!ねえ、バンおにーちゃん!見て、雪だってば、雪」
 ほんまや、とおれ、あられの指差す窓の外を見た。白く曇った空から、しんしん、雪が庭に降り積もっている。あられは窓に手と鼻の先をくっつけて、じっと外の雪景色をみつめてはきゃっきゃとその場で飛び跳ねている。おれっちは思わず頬を緩めて、あられの横で窓の外を眺めた。ほう、と息をつくと、館内は暖かいのに、外の白さに吐息が白くなったように錯覚する。
「ホワイトクリスマスやのうて、ホワイト大晦日や」
「ホワイトおーみそか!ねーねーおにーちゃん、今からダッシュしておへやに手袋とか取りに行って、外で遊ぼうよ」
 ぴょんぴょんとあられは跳ねる。ツインテールもぴょんぴょんと揺れる。そこで、今日のあられ髪ゴムについているくるみボタンが、遠目だと水玉模様に見えるハート柄なことに気づいた。紺地に白い、ちっちゃなハートが並んでる。これに今日気づくのは何人いるだろうか、とちょっと考えてみたくなった。
「ええやん、雪遊びしようや」
「何する〜?わたし、まずは雪だるまかな」
 窓に映るあられの顔がふふ、と満面の笑みを浮かべる。あられが楽しいことを思い浮かべてるときの顔だ。おれっちはじゃあ決まりやな、と腕を組んで言った。
「んじゃ、その後雪合戦や」
「ふたりで?」
 あられが不思議そうに目をぱちくりさせた顔をこちらにむけた。くりっとした青い瞳におれの顔が映ってる。おれっちは思わず、あられの頭に手をぽんっと乗せた。
「せやで、ふたりで」
 うんっ、とあられが笑った。まだ外に出てないのに、窓に映るおれらの頬がちょっと赤いのは、たぶん、気のせいってやつ。

   ○

「ヴァレちゃん!メリー大晦日!」
 がちゃ、と書架の扉が開く音がしたと思えば、次の瞬間にはわたしの首と肩にはどかっと誰かさんの体重が乗っかっている。わかりやすく状況を説明すると、わたしが窓際で座って本を読んでいたところに後ろから首をしめるような形でメルトが抱きついてきたのだ。読みかけの本を閉じて置いて、首に巻きついた彼女の腕を解こうとするけれど、手が腕に触れると余計にきつくしめてきたので今は解くことを諦めざるをえない。わたしの手は用がなくなってだらんと肘掛に乗せられる。はあ、とおもわず溜息が漏れる。
「おも……あなた、体重増えたんじゃないの」
「乙女にデリカシーのないこと言わないで頂戴よ!そんな子のところには来年サンタさんこないわよっ」
 ぎうとまた抱きつかれて、今度は右に左に揺さぶられる。後ろから絡まれているのでメルトの顔は見えないけれど、きっと彼女は顔を膨らませているだろう。もう、配慮がないのはどっちからしら。これ、かなり苦しいのよ。
「あなた、いつまでクリスマス引きずるつもりなの、もう大晦日なんだけれど」
 上目にそう言ってみると、ちょっとだけメルトの顔が斜め上に見えた。下から見てもわかるくらいに、彼女は口を尖らせている。
「だって、あたしのところ、25日にサンタさんこなかったのよう、それじゃあ引きずりたくなっちゃうわよ」
「そもそもあなた、わたくしもだけれど、プレゼント貰える年じゃないでしょうに。この館にくるサンタの規定、プレゼントをあげるのは12歳までって決まってるんだから」
「やだー!そんなルール決まってないわよう、あたしもバンちゃんとかあられちゃんみたいにプレゼント欲しい」
「あたしがあげたじゃない」
「そうだけどさあ」
 メルトが肩を竦めたのを感じる。いつにもまして今日のメルトはわがまま、だ。年末わがまま総決算でもしてるのかしら。わたくし、思わず目をぐるりとさせてこういうことを言いたくなる。
「まあでも、そんなに駄々こねる精神年齢の低くて悪いお子様には来年のクリスマスから枕元に豚の臓器でも置いてあるんじゃないのかしら」
「ブラックサンタじゃん!いやだ、ヴァレちゃんぐらいかわいいあたしの純真な夢の味方してよう」
 メルトは今度は声音を変えて、猫なで声を操った。またぎゅんと抱きしめられる。その手の作戦には乗らないわよ。今度こそ、わたしはぺちんとメルトの腕をはたいた。
「しーまーせんっ」
「ケチぃ」
 その声とともに、メルトは少し腕の力を緩めた。これはチャンスだ。でもここで無理に外そうとすると、たぶん、また締められる。そこでわたしは窓の外を指差した。
「ねえほらメルト、雪よ、雪」
 わたしの指差した高い位置にある窓の向こうは、地下室のため窓のすぐ下が地面で、雪がうっすらと積もっているのがよくわかる。はらはらと白い雪が舞うのを見て、彼女は完全に腕を緩めた。
「――あ、」
「ほら、あれ、わたくしからの2個目のプレゼントだから、今年のクリスマスはあれで我慢して頂戴な」
 そう言ってわたしは首に巻きついていた腕を解くと、彼女の方からするりと腕を離された。やっとわたしは首と肩の重みから解放される。メルトは窓とわたしの顔を交互に見つめている。口は半開きである。彼女はぽつりと零した。
「え、うそ」
「うそじゃないわよ」
 否、うそだ。自分ができる限りの涼しい顔で言ったが、うそだ。いくら魔法を使っても、わたしはとても狭い範囲でしか雪を降らせない。まあでも、このくらいのうそは、かみさまも許してくれるだろう、年末だもの。これでメルトの騒ぎも落ち着くかしら、なんて子供をあやしているときみたいなことを考えてふうと一息ついたのだが、途端、今度はメルトに肩を揺さぶられる。
「――うそー!」
 メルトはさんざんわたしの肩を揺さぶった後は、ひとりでにそこらへんでぴょんぴょん跳ねだした。頬もあかくなっちゃって、大分興奮しているらしい。書架ではお静かに願いたいのだが、ここまでくるとなんだか微笑みが零れてしまう。と、ぱし、とわたしの手がつかまれた。びっくりして心臓が跳ねる。メルトが興奮気味にわたしの両手をシェイクしながらまくし立てた。
「ねえ、おそと、おそと行くわよ、これは、行かなくちゃ」
「えええ……」
 騒ぎが落ち着くどころか、逆効果だった。さっきと負けず劣らず騒がしい。まあ、いつも騒がしいのは知っている。それより、わたし、本、読みかけなのだけれど。じたばた、メルトは足を踏み鳴らす。
「ね!行きましょ!ほら、あたし、いつでも外に出る準備は万端なんだからっ」
 と、メルトはポケットから手袋を取り出してぶんぶんと振る。わたしがクリスマスにあげた、赤くてもこもこのファーがついた手袋。
「……ほんとうに、しょうがないわね、」
 やったあ、と彼女が手をひくままに、わたしは立ち上がった。

   ○

「うわあ、うぇるるくん、とっても難しそうなことをしているのだな」
「……今は話しかけないでくれ」
 かたかたかたかたかたかた。2階の主様の書斎の横の部屋にはデスクトップパソコンが置いてある。うぇるるくんは、館の会計係だ。家庭でいうところの、家計簿みたいなのをつけてる。今日は大晦日なのに、いつもより一番忙しそう、だ。年末総決算、とか言われてるものだろうか。さっきからずっと、かたかたかたかたかちかちかちかち、パソコンと睨めっこ。ちらっと画面を覗いたら、表みたいなのにずらららららっと数字が打ち込まれていた。エクセル、とかいうやつなんだって。ワタシには一生理解しえない、文明の利器。
 今は話しかけないで、と言われたので、ワタシは窓のそばの壁にもたれて、パソコンのキーボード音をききながら庭の外を眺めることにした。うぇるるくんに特別な用があったわけじゃないけど、ただ、ちょっと、うぇるるくんを待ってみたかった、なんとなく。
 窓の外は、いつのまにか白い雪が降っている。ここの窓からは庭を上から見渡せる。すっかり葉を落としたカエデの木の下に、もう雪だるまがふたり仲良く並んでる。その近くで、パンくんとれあさんが雪の玉を投げ合っていた。雪合戦かな。ふたりで雪合戦。楽しそう。たぶん、鼻がすっごい赤くなるんじゃないかな。赤いおはなのトナカイみたいに。あれ、ルドルフって言うんだったかい?
 ちょうどこの窓の真下、多分リビングの吐き出し窓かな、そこから長い髪のおんなのこがふたり外に出てきた。黒髪と赤みたいな茶色の髪のひとたちだから、たぶん、ルトメさんとヴァエさん。おはなしながら、きゅっきゅっきゅと雪の積もったお庭にふたりで真っ白な足跡をつけていく。あの、雪を踏むような感触って素晴らしいよね。今、地を踏んでるんだ、というか。そんな感じがする。
 いいな、雪。ワタシはぼうっと、窓の外の雲を見つめた。はあ、と息を吐くと、窓に映った自分の顔が曇る。指できゅ、と曇った部分をなぞると、水滴が指について、その分の水分が窓から消えた。ワタシはそのまま、指で窓にハートを描いた。特に意味はない。描きたくなっただけだ。描いてみたけど、右のふくらみがちょっと、いびつ。手の甲でごしごしと曇りを全撤去すると、ワタシはもう一度息を吐いた。ハートリベンジ。今度はうまく線が閉じられなかった。もう一度やりなおす。うーん、ハートの先がとがりすぎ。もう一回。うわ、横長すぎる。あちゃ、縦長だ。
「……何してるんだ」
 気づくと隣にうぇるるくんが立っていて、ぎ、と目を細めてこちらを見ている。パソコンを使う作業は終わったらしい。そういえば、さっきからキーボードの音が聞こえなかった。
「ハートを描いているんだよ……うまくかけなくて、あっ、これはいいかもしれないな!」
 六回目のチャレンジにして、きれいなハートが描けた。左右均等のふくらみ。とがりすぎでも、丸みすぎでもない先端。絵文字に出てくるようなハート。完璧。
 だが、うぇるるくんの反応は違った。
「__変なハートだな」
 と、言ったのである。ワタシは驚いた。
「そうかい?結構シンメトリーに描けたと思うのだけれど」
 うぇるるくんは几帳面なひとだ。仕事はばっちりこなすし、立ち振る舞いにも気を使うし、自分のことだけじゃなくて他人のこともきっちりみている。そういうひとだかから、こんなに綺麗に描けたハートをうぇるるくんが変だと言うだなんて、と思った。いや、このハートはワタシの目から見ると綺麗なのだが、うぇるるくんの繊細な視線からすると歪んでいるのかもしれない。
「左右対称すぎるから、だ」
 ありゃ、ワタシの見通しは違っていたようだ。
「綺麗で完全なものほど、自然にはないだろ__だから、変だと言ってるんだ」
 と、うぇるるくんも窓に向かって息を吐いた。きゅ、きゅ、と軽いタッチの指づかいでワタシと同じようにハートを描く。でも、ラフな感じで、左右対称じゃないし、右に傾いてる。でも、なんだか、さっきまで自分が描いていたハートよりとてもいいものに見えた。ふうん、とワタシは思わず漏らす。なんかわかった気がして、に、と笑みを浮かべた。
「なるほどね。そんなこと考えちゃうなんて、うぇるるくんはすごいなあ」
 ワタシがそう言うと、うぇるるくんは眉間を寄せた。瞳が何か言いたげに細くひかる。でも、ワタシはうぇるるくんが褒められてちょっと耳たぶが赤くなったの、気づいたよ。
「……おまえ、本当にわかってるのか?」
「きれいはきたない、きたないはきれいってことだろう?」
「――なんか、ちがう」
 だめだ、というふうにうぇるるくんはワタシから顔を背ける。あっはっは、とワタシは笑った。「何がおもしろい、」とうぇるるくんは口を尖らせる。
「まあでも、要するに、うぇるるくんのこころはこのハートみたいに、ちょっといびつだけど優しいってことだ」
 ワタシはありったけのきもちをこめて、ばちこん、ウインクと一緒に言ってあげた。が、いつもどおり彼の反応はひややかなものであった。
「……馬鹿にしてるのか?」
 がしがし、とうぇるるくんは窓の水滴を端から順に手の甲で消した。そういうところは、きちんとさんなのだ。かわいい。
「うぇるるくん、もう仕事は終わったんだろう?折角だから外に出て雪の世界でも堪能しようじゃないか」
「雪遊びなど子供じみたことはやりたくない」
「子供じみた、だなんて――キミ、ワタシの5歳も下だぞ」
「やっぱり今日、馬鹿にしにきてるだろう、。あと、おれは大晦日と正月の料理の仕込みをしなくてはならないんだ」
 多忙だねえ、とワタシは呟いた。多忙な16歳は、一瞬窓の外を見つめると、目を伏せて、また遠くを見つめた。
「手伝ってくれてはやく終われば雪遊びをしてもいい、と言おうと思ったが……よくよく考えるとおまえに料理などまかせられな――」
 頭をぐしゃ、と抱えたうぇるるくんの言葉を最後まで待たずして、ワタシはうぇるるくんの肩に手を置いて言った。
「なんでも手伝うよ!うぇるるくんのためならね、」

   ○

 ポニーテールにしようかと髪を高い位置に手でまとめながら、いつのまにか真っ白な雪の降っている自室の窓の外に何気なく目を向ける。そういえば今日、何日だっけ。12月31日?大晦日じゃん!今気づいた。衝撃。もうさっきお昼ご飯食べたし、一日も半分終わったんだけど!なんとなく周りが年末ムードだなあとは思っていたけど、今日がほんとのほんとに年末だとは。ばさり、僕の手から赤い髪が大きく零れ落ちる。ドレッサーの鏡の中のエナも、高いところから落とされた髪がばさんと右に左に揺れた。
 僕は鏡のエナを見つめた。ただただ何もいじらないでおろしてると、前髪は長いし、いわゆる陰キャみたいだ。でも、と僕は自分の髪の毛先を指に巻きつけてみる。しなやかに赤い弧を描く僕の髪。そう、僕の赤髪って、たぶんいろいろやれば新年映えするんだよね!ほら、中国じゃあ赤ってオメデタイ色だから、中国って年賀状が真っ赤じゃん?たしか、ね。あと、僕の髪色は赤だし、白っぽい髪のひとと並べばもっと紅白でめでたーくなるんじゃないかな。よし決めた、これは銀髪ズの男子をひとり捕まえてきて、僕とだれかとで紅白セットで髪をセットしよ。
 僕はそう決めると、善は急げ、手にしていたブラシも髪ゴムもほっぽり出して、自室をどたばたと出た。
 銀髪の子で一番最初に巡り合わせたのはココクン。ポケットに手を突っ込んで、どこへ行くのか知らないけど廊下をこちらへ歩いていた。彼はバサバサの銀髪である。バサっとしているため短髪と言うほど短くはないので、ヘアアレンジはできそう。
 ねえ!と声をかけると彼は顔をあげた。僕と目線がかち合うと、一瞬目をぱちくりさせるとずずーと目線を横に逸らした。
「おま…めずらしいな、髪が全体的に鬱陶しいの」
 そう言われて僕は気づいた。僕、髪、なんにもしてない。太腿まで、髪が、ばっさん。
「いやでもしょーがないんだって、僕、銀髪の子とセットでヘアアレンジする予定だからさ。僕の赤い髪と、銀髪の子の髪で新年のおめでたい紅白に」
「__おれはやらねえよ、じゃあな」
 ココクンは軽く手をあげたのみ、僕とサッとすれ違った。えー、ちょっと、と言いながら彼の後を走りながら追ったけど、ちょっとした追いかけっこの末、「おれはそんなことして長髪のだせえやつとは一緒にされたかないんだ」などと言いながら彼は姿を撒いた。
 どうやら彼の理解は根本的なところから得られなかったようだ。はあはあ、と軽く上がった息を整えようと立ったまま膝に手をつきながらそう考えた。てか、だせえってなんだよ!
 軽く走ったら喉が渇いたので水をもらおうと、僕は1階のキッチンに行った。そこにはウェルクンとオペラクンがいた。ふたりで野菜かなにか切っているらしく、とんとんと心地よいまな板と包丁の音が響いている。
 コップもらうね、と調理台横のシンクの水切りカゴからひとつ、コップを取った。すると、オペラクンの方が「あ、ナナエくんじゃないか!」とこちらを振り向いた。その反動でぱさ、と彼の銀髪の三つ編みが宙を舞う。
「あ」
 僕は呟いた。彼の髪はいろいろできそうな長さをしている。オペラくんは僕があ、などと呟いたので、不思議そうに眉と首を傾けた。口が開けば、「どうしたんだい?」とでも今すぐに言いそう。
「包丁を持ってよそ見するな」
 ウェルクンがキャベツをみじん切りにしながら静かに言った。はいはーい、とオペラクンはまな板に向かいなおした。ちら、とまな板の上をのぞくと、ニラがでんと横たわっている。うーん、今日は大晦日だから、水餃子でも作るのかな。この辺りじゃあ年越しに水餃子のスープはつきものだ。
 僕は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してコップに注ぎながら考えた。確かに彼は今回の紅白ヘアアレンジ企画には持ってこいだけど、なんだか忙しそうだし、勧誘するのはやめた方がいいかも。それに、僕はおいしい水餃子だって食べたいし。それにはオペラクンに僕の企画に付き合ってもらうよりは、ウェルクンと調理してもらった方がいいだろう。
 喉を潤した僕は、それ以上は特に彼らに声は掛けずキッチンを後にした。廊下はやっぱり寒かった。けど、こう、太腿まで髪を伸ばしてるとズボン履いてなくても割とあったかいんだよね。
 のんびり、廊下を歩きながら考える。あと銀髪のやつって誰?えーと、シンイクンは銀髪だな、たしかキュークンも……だけどあいつはいいかな。ヘアアレしてる最中にうるさいし、気が散っちゃうんだよ。あとはそれから――、
「シャロクン!」
 僕がびしいと指さしたのはキッチンを出た廊下の突き当たり。ぎょ、とそこに立っていたシャロクンがこちらを見た。僕はぱたぱたと彼の方へ駆ける。
「ねえシャロクン、僕さ、ちょっと、お前の髪借りたいんだよね!」
 でん、と彼の肩を叩いて僕はそう言った。なぜか彼はいつもの燕尾服ではなく、モッズコートにネックウォーマー、スノーグローブにスノーブーツという重装備をしていて、割とばしばし叩いたつもりなのだが肩の感触にはちょっと弾力があった。そしてシャロくん、すぐにおでこに皺を寄せていやそーな目と口をつくる。
「何したいんか知らんが、俺は暇じゃねえんだよ」
 そう詳細を聞く前にバッサリ切り捨てられて、僕も黙ってはいない。でしでし、も一回シャロクンの肩を叩く。
「話くらい聞いてよってばねーエ、」
「見てわかんだろ、俺は極寒の中雪かきすンだよ」
 はあとシャロくんは溜息をついて、グローブをした右手で通用口の脇を指差す。ここ、廊下の突き当たりには表玄関ではないが館の敷地外へと出れる通用口があるのだ。そしてその通用口のドアのすぐ横に立てかけてあったのは雪かき用のシャベル。
「大晦日も俺に仕事はあンの、なんかわけわからんことに付き合わせるくらいだったらお前も雪かきしろってんだ」
 そう言うとシャロクンはスノーブーツでどかどかと廊下を踏み鳴らしながら、がしっと大きなシャベルを掴んで通用口のドアをあけた。ほんの1センチ開けただけで、びょうと恐ろしいほど冷たい風がこちらに吹き込んできた。やべえ。赤い髪が弱々しく風に揺れながら、僕の太腿まわりに纏わりつく。ひえ、と声を漏らすと、僕はシャロクンに睨まれた。そのまま彼は外へ出て、ばたんとドアを閉めた。通用口の辺りの廊下はすっかり冷えていた。僕はへくしゅ、とくしゃみをした。
 ティッシュは生憎持ち合わせがない。僕は今、ティッシュを求めて自室の2階へと階段を上がっている。先ほどの寒風で髪は乱れるし、さらにくしゃみで鼻水が鼻の穴の縁のぎりぎりまでせまり来てるし、銀髪男子は一人もつかまんねーし、いや、ついてねエ。そりゃ、だんだんって階段を一段一段踏みつけたくなるの、わかるでしょ?
 だん、だん、とイライラを一歩一歩に込めながら階段を上がっていると、上の方からもだん、だん、と階段を下るイラついた足音が聞こえる。これはもしや。足元から目線を上に上げると、そこにはシンイクンがいた。
「オラ、どけよ」
 僕は1階と2階の間の階段の踊り場に立っている。彼は丁度2階に、ジーンズのポケットに両手を突っ込んで立っている。僕らの間の段数は7つ。シンイクンを下から見上げると、伸ばした銀髪が光の加減できらきらして見える。逆光で濁った三白眼が暗く見えるのも、なんだかカッけえ、気がした。僕は思わず、息をのんだ。
「シンイクン」
 気づくと僕は彼の名前を読んでいた。彼の目つきがきゅ、と鋭くなる。ア゛?とでも言いたげに口を開けた。だが僕はお構いなしに彼の元へと階段を駆け上がる。シンイクンは僕が近づいてくるのだとわかるとすぐにジーンズから右手を出して拳を構えた。だが殴られる前に握ってしまえば問題ない!のだ。殴られる前に抱きついてしまえばもっと何も問題ない!のだ。
「やっぱりお前しかいないよ!」
 僕はシンイクンに殴られる前に抱きついた。彼の銀髪の毛先が僕の首筋をくすぐる。なんだよ、と彼は一瞬怯んでから、じたばたと僕の腕の中でもがいた。無造作な銀髪に埋もれた耳たぶがちょっと赤くなっている。
「離せよッ、」
「いやだね、やっと見つけたんだよ」
 は?とシンイクンは荒げた声を出した。が、もがく四肢の動きはぴたりと止まった。僕は腕をするりと解いて、彼の手を取った。
「ヨシ、ついてきてもらうからね!」
 僕はその手をおりゃあと引きながら、自室の方へと突っ走った。は?はなせ!なんて声が後ろから飛んでくるけど、気にしねえ!
 かくして、僕はひとりの銀髪をつれて自室へと戻ってくることができた。ミッション達成である。
「…オイ、マジでなんなんだよ」
 うきうきでドレッサーに置いていたブラシを手にしたところ、背後から小突かれた。なぜか派手には殴ってこなかったので、あれ、と僕は振り返る。心なしか、シンイクンの顔が赤い。やべ、一気に走らせすぎたか?
「僕の赤髪とお前の銀髪で新年を祝う紅白ヘアしよーと思ってさ、」
 にか、と僕は笑って見せた。しかし彼はちッと舌打ちをする。
「何でオレなんだよ、他の銀髪捕まえてくればいーじゃねエか」
「別にいいじゃん、シンイクンがなんかかっこよく見えたんだよ」
 肩をちょっと竦めて僕は言った。なんか殴ってくるかと思ったけど、彼の返事はシンプルだった。なんでか赤い頬を隠すように、顔をふいと反らす。
「__そうかよ」
「……あれ、殴んないの?」
「髪いじられ終わったらコロス」
「うわあ」
 僕は思わず笑った。シンイクンは頭を掻きながら舌打ちした。そこで僕はようやく気づいた、彼の頬が赤いのは――。

   ○

「ねえクザトくん、なんでエナくんとシンイくん、あんな髪だったんだろ」
「知らねえよ、おめでたい脳だからじゃねえの」
 オレはゆらゆらと湯気のたちのぼる水餃子のスープを飲みながら答えた。ふうん、とリィは水餃子をひとくち、噛み切る。屋台の生姜の利いたタイプの水餃子のスープは、今日の夕食のあっさりとしたシンプルなタイプより飲むと身体がぽかぽかしてくる。大晦日の晩はこれを食べるのがこのあたりの慣わしだ。となりの国・日本で言うところの、年越し蕎麦。いわゆる年越し水餃子である。
 今日のエナとシンイの髪型は、なんというか、おめでたかった。発想からかたちまで、おめでたい。まだ年は明けてないのに、エナの赤髪とシンイの銀髪が紅白そろっておめでたいほどに高く盛ってセットされていた。しかもなんか、おめでたい簪やら羽根つきの羽やらなんやらぶっさして。今の世にあんな盛りヘアするギャルなんざ、そうそういねえよ。てか絶滅してんだろ。それを何でわざわざ男子が、と言いたくなる。エナは自分が言い出して自分自身でセットしたんだろうが、シンイは完全に被害者だろう。エナのインスパイアにはオレ自身も絶対に身をまかせたくない。それなのに、なぜあのシンイが髪があんなになるまで大人しくいじられたのかは、この年最後の謎にして今世紀最大の謎である。タピオカ女が晩飯の水餃子を食べているふたりを腹が爆発しそうなくらい笑いながら連写していたのが記憶に新しい。
「……どうしたの、そんな狐に抓まれたような顔して」
 リィが水餃子を食べながらオレを見上げている。コートの襟についたふわふわのファーに彼女の薄い茶色の、柔らかい髪がもたりと乗って、何束かはファーからぱさりと落ちた。いや、なんでもねえ、とオレは返事した。
「それより、リィ、寒くねえの」
「水餃子あったかいし、人多いから大丈夫だよ」
 そっか、とオレは呟いた。オレとリィは今夜――正確には明日の未明、初詣するために館近くの神社に来ている。つまり神社で年を越すというわけだ。このくにのこの地方は色々わけあって日本文化の影響をばりばり受けているので、神社も初詣もあるのである。御都合主義で申し訳ない。ともかく、拝殿の前に列を成してはいないが、まだ年明けの1時間前ながら境内にはそこそこひとがいた。水餃子を出す屋台も、揚げたてフライドポテトを出す屋台も、やきたてのベビーカステラを売る屋台も参道に並んで、ちいさな神社の割にはひそかに賑わっている。オレらはその賑わいから少し離れたところにいた。冬、すっかり夜も更けて、時折冷たい風が吹くが、人の熱気とコートと水餃子のスープでなんとか寒さを堪えている。
「雪止んでよかったな」
「……うん」
 静かにリィがスープを飲む。オレは手の中の発泡スチロールでできた器を見つめた。水餃子がひとつと、スープが少し残っていたので一気に食べてしまう。手の中には空の器と割り箸が残った。
 オレはリィが水餃子を食べ終わるのを黙って待っていた。まとめて器を捨てに行くためだ。手が寒くならないように左手はポッケに突っ込んで、右手でかろうじてまだ温もりの冷め切っていない器を持って待つ。日中降った雪は地面に積もったままだ。地面を踏んでみるとざく、と音がする。やっぱり寒いな。マフラーを口元までかぶさるように引っ張る。ほう、と息を吐くと湿り気のある息がマフラーにぶつかって、口元が温かくなった。リィはというと、リスみたいに水餃子をちまちまと頬張っている。はふ、と彼女の吐いた息が白くなって器から立ち上る湯気と混じりあった。そんな様子を見ていると、視線に気づいたのか、なに?とリィは首を傾げた。なんでもない、とオレは首を横に振る。
「器なら、先捨ててきなよ」
 あ、ああ、とオレは思わず頭を掻いた。言葉は交わしてないのに、なんで器を捨てに行こうとしたかわかったんだろうか。まあ、わかってて言ってたとは限らないけど。
 行ってくる、とオレはリィを残してその場を離れた。たしかゴミ箱は、水餃子を売っていた屋台のすぐ横にあったはずだ。オレは雪の上をざくざく歩きながら、人の集まっている屋台の方へと向かった。
 屋台のあたりはオレンジ色のぼんやりとした照明をどの屋台もまわりにつけていて、境内でもひときわ明るい。お祭りみたいだ。夏の祭りと違うのは、若干屋台の数が少ないのと、とびきり寒いのとくらいか。先ほどからどこか遠くで鐘の鳴る音も聞こえており、新年はもうそこまで来ているのだろう、屋台で水餃子を買ったときよりはやや人が増えた気がする。人と人の微妙な間をすり抜けながら、オレは水餃子の屋台の横の大きなゴミ箱に器と割り箸を捨てた。顔を上げると、屋台の中でにいちゃんがせっせと水餃子を器に盛って、その隣でおばちゃんが湯気を浴びながら陽気な笑顔でお客と会計をしていた。なんかすげえな、と思った。
 すぐリィのところに戻ろうと思ったが、水餃子の屋台からゴミ箱スペースを挟んで隣の屋台の雑貨が目を引いた。あまり客は来ていないようだが、ばあちゃんが店の真ん中でちょこんと椅子に座っていて、その前の机にずらりとブレスレットやら陶製の置物やらが並んでいる。オレの目に留まったのは、くるみボタンのヘアピン。赤い小さな花がぎうと詰まった布でつくられている。なんか、花のかたちがリィのワンピースの裾の刺繍の花のに似ている気がする。彼女に似合うだろう。オレはジーンズのポケットから財布を取り出して、ヘアピンを指さした。
「ばあちゃん、これ、頂戴」
「ん、三百ポルンだよ」
 オレはきっかり三百ポルン払った。小さい袋に包むかね?と聞かれたので、ああ、と返事をした。ばあちゃんはヘアピンを小さな紙袋にいれて、セロテープで口を留めたのを渡してくれた。ありがとうございました、とばあちゃんのゆっくりとした言葉を背に、オレは屋台を後にした。
 リィのところに戻ると、彼女はすっかり水餃子を食べ終わっていた。リィにさっき買ったヘアピンを渡そうかと包みをいれたポケットに手を入れたが、
「じゃあ、わたしも器捨ててくるね」
 と早々に行ってしまったので、オレはひとり、ポケットのヘアピンと一緒に立っていることになった。
 リィは中々戻ってこない。数分は経ったはずだ。寄り道をしたオレだが、さっきはものの3分くらいで帰ってきたと思う。ぐ、腕組みをして、足元に目線をやる。水餃子を食べているときもそこにずっと経っていたからか、だいぶ雪が踏み固められている。じょりじょり、靴の先で雪を少し掘る。何やってんだろ、と掘り出した雪をもとの位置に寄せ集めてまた踏む。今度は顔を上げて夜空を仰ぐ。雲に隠れたり出てきたりして、真っ黒い空に星がぴかぴかしている。白い息を吐いた。リィが、遅い。道に迷ったのか、コケたのか、誰かに絡まれてるのか。トイレが混んでるのかとも思ったが、トイレはここから見て屋台とは全く逆方向、背後の方にある。オレは腕を組んまま指先でとんとんと自分の二の腕を叩いた。ちらり、腕時計をみやってみたり、足元に目線を落としてみたり、よく見えないが気休めに屋台の方に目を凝らしてみたり、ポケットからヘアピンの包みを出して眺めてみたりする。が、なんでかリィは遅い。
 11時50分。目を瞑って溜息をつき、そろそろ探しに行った方がいいのでは、としびれを切らしてオレは一歩踏み出した。が、そのとき、やっとリィが人ごみの中から出てきた。ほう、とオレは息をついた。いつのまにか入っていた肩の力が抜ける。
「ごめん、遅くなっちゃった」
 ふたつ結びを揺らしながら、ぱたぱたとリィはこちらに駆けてくる。心配した、とか、そういう言葉が喉の奥まで出掛かったけれど、なんだか恥ずかしくて口には出来ず、ちょっと目を伏せる。まあでも、ふふ、と笑っているのでリィは何事もなかったのだろう。ひとまず安心である。
「ちょっと寄り道しちゃったなあ……それ、どうしたの」
 リィに指さされたのは、さきほどまでわけもなく眺めていたヘアピンの包みである。
「これ?これ、さっきあげようと思って買ったヤツ」
 ほらよ、とオレはリィに包みを渡した。リィは瞼をぱち、と瞬きさせる。
「開けていいの?」
「別に」
「…開けるね」
 と、リィはセロテープをはがしてヘアピンを取り出した。
「あ、これ、」
 リィはヘアピンをじっと見つめては、ちょっと掲げてそう零す。ちょっと苦笑しているようにも見える。まさか、同じのを持っていたとか。それはオレ、ショックだ。誰でもショックな気がするけど。
「これ、わたしがさっき買ったピアスのと同じ柄のだ」
 ふは、と彼女は手を口もとに当てながら笑った。ぽかん、とオレがしていると、リィは革のショルダーバッグからオレがばあちゃんにヘアピンを包んでもらったのと似た紙袋を取り出した。
「ほら、さっきゴミ捨てに行ったとき、隣の屋台で売ってたからクザトくんにあげようと思って買ったんだけどね」
 紙袋を傾けて彼女は自分の手に中身をあけた。出てきたのはくるみボタンのピアス。見覚えのある、赤い花柄。
「ついでに、神社に今年のお参り納めしたの、ピアス、喜んでくれますようにって」
 でも、おそろいになるとは思わなかったなあ、なんてリィは笑った。きらきらしている。思わず溜息がつきたくなるように、まぶしい。
「……、おそろい、つけるか」
 そうだね、とリィが言った。年を越すまで、あと10分弱。誰かとおそろいのものをつけて年を越すのは、オレの人生で初めての年越しになるだろう。来年もリィのこの楽しそうな笑顔を隣で見れたらいいな、と、オレは静かに白いキューブのピアスを外した。

  ○

「__あら、パァルじゃない」
 紅白歌合戦はもう終わりかけ、結果発表がそろそろ行われる頃。わたしが自室のドアを開けたところに立っていたのはパァルだった。
「やっぱり、雛伊さまのとこにお邪魔しよーかなって思って」
「美容に夜更かしは禁物、じゃないの?」
「んー、今日はやっぱりいいんです」
「そう、まああがって頂戴」
 と、わたしはパァルを部屋に通した。
 今、わたしの部屋は完全は冬モード。11月くらいにシャロに運び込んでもらった炬燵が、でんと部屋を占領している。その上にはお決まりのミカンのはいったカゴと、ミカンの皮が入っている適当なチラシで作ったゴミ箱。ついているテレビ番組は、日本でいう紅白歌合戦のこのおくにのバージョン。ちなみに、部屋に入る前に入り口のすぐそこで靴を脱ぐのは年中同じ。
 炬燵に入っていないと寒いと感じるからだになってしまったので、部屋に入るやいなやわたしは炬燵に入った。パァルは「炬燵だあ、」などと言ってこたつとミカンとを自撮りで写真に収めてから炬燵に入った。なぜかわたしも写真に入ってと言われたので、軽くピースだけしてあげた。
「やったあ、この年最後の雛伊さまとの写真〜、」
 パァルはうきうきでスマホを眺めている。まあ、楽しそうなら写真に写ってよかったかしら。
「そういえば、大晦日もお肌のために起きての年越しはしないって言ってた気がするのだけれど」
 わたしはミカンをひとつ手にとりながらそう言った。ヘタの近くの皮に親指の爪を食い込ませる。眠たげな目をした彼女は、両手で頬杖をついている。
「そう思ってたんですけど、年越した瞬間地球にいなかった!っていうのやりたいなあとも思ったんですよう」
「なあに、それ」
「知りません?年越しの瞬間にジャンプして、地球にいなかったーってやるやつ」
「ふう、ん」
 むき終わったミカンを1房口にいれると、むかしなつかしい、酸味の程よく聞いたミカンの味が広がる。にしても、年越しの瞬間ジャンプなんて、わたし知らなかったわ。パァルがカゴのミカンに手を伸ばした。
「あたしもミカンひとつ、いいです?」
「いいわよ、どうぞ」
 ミカンをぱく、と口に入れると同時、テレビからうわあぁっと歓声があがった。ちら、とテレビ画面を見やると、歌合戦の紅組の方々の喜んでいる顔がクローズアップされている。へえ、とパァルがみかんをひとつ、ふたつ、口に入れた。
「あ、紅組が勝ちましたね」
「最近白組が勝ち続きだったのに」
「そうなんですか?あまり見たことないから覚えてないです」
「去年まではいつもどおりに大晦日も寝てたものね」
「結構、ずっと起きてるのって慣れてないと辛いですね」
 と、パァルが目をこする。
「峠を越えたらそうでもないわよ」
「経験者は語る……」
 あくびをしながらパァルがそんなことを言うので、ふは、と笑うと食べかけのミカンが口から零れ落ちそうになる。パァルはぱくぱくと残りのミカンを口に入れると、ごてん、と頭だけテレビの方を向けながら炬燵に突っ伏した。いつのまにか紅白は終わっていて、12時まであと15分を切っていた。
「へえ、紅白の次の番組って『ゆく年くる年』って言うんだ」
「ちょっと、そのまま寝たら首がおかしいことになるわよ」
「大丈夫です、寝ません」
「そんなこと言って寝るでしょ」
「えへ、たぶん、そうかな」
 もう、と呆れたが、わたしも去年そうなったので人のことは強く言えない。あら?去年かしら、今年かしら。まあ細かいことは、いいのよ。
 しばらく会話のないまま、ぼうっとふたりでテレビを眺めていた。お寺とか、教会とか、神社とかの中継が次々に行われる。
「あ、これ、うちの近くのやつですね」
「あら、ほんとだ」
 中継されたのは、館近くの××神社だ。そう大きくないけど、歴史だけはあった気がする。よく覚えてないけれど。カメラは人ごみを映した。その中、画面右上、見覚えのある人影があった。わたし、思わず瞬きする。
「あら、あれ、クザトさんじゃないかしら」
「あ、リリィもいる」
 むく、とパァルは頭を起こして画面を指さした。確かに、クザトさんの隣にリリィさんがうつっている。見たことのないくるみボタンのヘアピンをしていた。と、ん?とパァルが眉をゆがめる。
「あのクザトのピアス、いつものじゃないですね」
「確かに」
「__あ、リリィのあのヘアピンと同じ柄のくるみボタンのピアスなんだ」
「おそろいじゃない、あつあつね」
「らぶらぶって言うんですよ」
「そうなの?」
「そうですよう」
 ふはは、と笑いながらパァルはごてん、とまた炬燵につっぷした。はー、とパァルは声に出す。
「なんか、今年、楽しかったなあ」
 その言い方からは、なんだか、パァルの2019年が本当にいい年だったことが感じられた。なんだか、うれしい。大切なひとがいい年を過ごしてると、うれしいわよね。
「雛伊さまとおデートもいっぱいしたし、今日写真とったし、ミカン食べたし」
 パァルは指を折りながら言っていく。え、とわたしは頬を赤らめた、と思う。
「あと、今から雛伊さまと一緒に年越すし!」
 いえい、とパァルは突っ伏したまま拳を突き上げた。くはり、あくびも一緒に。わたしは思わず眉間を曇らせる。
「……本当に年越せるの?」
「うーん…それはわかんないです」
 わたしはテレビ台の上の小さなアナログ時計に目をやった。ぺちぺち、彼女の肩を叩く。
「ほら、あと5分なんだから頑張って」
「じゃあ、雛伊さまも一緒に年越したいって思ってくれてるってことですね__ってあたし、今すごい面倒な女と同じこと言ったじゃん、ちょーねむい」
「はいはい頑張れ頑張れ」
「がんばりまーす……」
 大丈夫かしら、と失笑しながらわたしは今年のできごとに思いを馳せた。1月も楽しかったし、2月も、3月、4月、…今月も楽しかった。でも、思い出すできごとの近くにはいつもパァルがいた、気がする。
「わたしも、楽しかったなあ……」
 ごてん、とわたしもパァルと同じように炬燵に頭を預けた。わたしの独り言に対するパァルの返事はなく、テレビでは、カウントダウンが始まっている。5、4、3、2、1、と自分の心の中で数える。
「ゼロ……」
 日付が変わった。テレビ横のアナログ時計の秒針と短針と長針がそろった。
『今、12時を過ぎました。2020年の幕開けです』
 アナウンサーの声が流れる。
「ねえ、パァル、年越したわよ」
 身体を起こして、とん、とわたしはパァルの肩に手を置いた。反応がない。あれ、と頭もぽんぽんした。返事がない。あら?顔を見ると、しっかり瞼を閉じて、でも口は少しだけ開けて、すやすや、寝ている。
「もー、年越しの瞬間は地球にいないんじゃなかったの?」
 聞いてみても、返事はない。ふはり、というあくびの交じった笑みをわたしは浮かべると、またごてんと炬燵に突っ伏した。翌朝、わたしとパァルがおそろいで頭を炬燵に預けた体勢で寝ていて、ふたりともがモーニングティーを届けにきたシャロに起こされ、ふたりとも元日中ずっと首が痛かったのは言うまでもない、でしょう。



TOP

×
「#寸止め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -