今、11時よ


 メルトが死んだ。空をすきまなく雪雲が埋めた日に死んだ。降り積もった雪に埋もれて死んだ。細い枝だけを残して庭に立っているカエデの木のすぐ下で死んだ。布団の上で左を向いて眠るように横たわって死んだ。真っ白いベッドで寝ているように死んだ。
 いつもくるはずの地下の書架に来ないと思ったら、こんなところにいたのね。ひとりで探すのは大変だったのよ。そう言おうと思ったけど、やめた。わたくしは無言で彼女のもとにかがんだ。警察を呼ぶ前に、彼女の姿を目に焼き付けておきたかった。黒い髪はまだあのいつもの艶めきがあった。顔は白かった。雪に負けず劣らず白かった。赤い紅の差してある唇がやけに目立つ。いつも目立つのに、やけに目立つ。手袋を外して、そっと唇を撫でた。冷たかった。自分の指も冷たかった。外気も冷たかった。今にも瞼はぱちりと開きそうだった。いつ目覚めて「おはよう、今何時?寝すぎちゃったかも」なんて言ってもおかしくないような、そんな死にようだった。わたしは目を閉じる。「今、11時よ。いつもあなたがそろそろ午前の仕事を終えて暇になって、地下室に遊びに来るような時間」
 彼女は死んだ。雪の上に、その事実が、その事実だけがぽんと乗っている。とある言い伝えを思い出したわたしは彼女のワンピースのポケットを探った。やっぱりあったわ、アイライナー。ネイビーのアイライナーで、そっと彼女の瞼に瞳を描いた。彼女のもとにかがんでいるだけでは描きづらかったから、雪に左手をついて描いた。体温が左手から左腕、と奪われていく。両目に描き終わって、やっと左手は雪を離れた。冷たい手で自分のコートからスマートフォンを取り出した。かじかんできた手で電源を入れた。ぱしゃ、とメルトの顔の写真を撮った。瞼に瞳の描いてあるメルトの写真を撮った。亡骸の瞼に瞳を描いて写真を撮れば、そこに死者の魂が閉じ込められるんですって。わたしは画面の中のメルトの瞼をなぞった。はあ、と漏れたため息は白い息になった。
 わたしはカメラを閉じた。警察に電話をかけた。じきに、警察が館にくるだろう。わたしはこの場を立ち去る前に、もう一度、メルトの写真を見た。
「おはよう」
 確かにそう聞こえた。どこからか聞こえた。メルトの声で聞こえた。確かに、聞こえた。画面の中の瞼の瞳はいつしかあの茶色の瞳になっている。「今、11時よ」と思わず呟いた。パトカーのサイレンの音が聞こえた。わたしはスマートフォンの電源を落とした。とりあえず館へ戻ろうと歩を進めた。一度だけメルトの方を振り返った。なぜかアイラインは消えていた。わたしは目を伏せながら館への道をたどった。雪にくっきり、ブーツの跡を残して。

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