「シャロさんって、好きな人居るんすか」

 ぽつりと呟くように問いかけた言葉に彼は目を丸くした。一体何事だと聞き返すように。そんな視線をわざと逸らして、机に重ねて置いた手に顔を伏せた。これでシャロさんも何も見えない。ばくばくと心臓の音が高まった気がする。

 「…急になんだよ」

 どこか呆れたような、つまんないとでも言いたげな溜息と共に返事は帰ってきた。急に、まあそうだ。さっきまで何も言わなかったのに、口を開いた途端これだもんな。
 …オレも、なんで聞きたかったのかは正直分からない。今すぐ絶対に知りたかった訳では無い。それ以前に特段気になるような話題ではなかった、シャロさんの好きな人なんて、別に。けれど、なんだか無性に聞きたくなってしまったのだ。話題探しでもあるけど、何故だかその時はすごくその疑問が駆り立てられた。

 「…わかんねー、けど…なんだろ、なんか……、知りたい」
 「なんでそんな」
 「気がする」
 「気がする程度かよ」

 一拍置いて付け足した言葉にシャロさんの笑みが零れた。その笑顔がなんかくすぐったくて、オレも笑みが零れた。吹き出すようなのじゃなくて、なんだかもう、嬉しくて堪らないような、内側から幸せが溢れ出るような。
 その笑みの後に吸い込んだ息とともに、シャロさんはまた口を開いた。今度は何を言うのだろう、オレの目が彼の顔に向かったのが分かった。

 「クザトが好きだ」

 一方的に向けていたオレの視線に、シャロさんの視線が絡んだ。ぐるぐると絡め取られて、一切の揺れも許されないような、そんな沈黙。呼吸も瞬きも出来ず、ゆっくりと近付いてきた顔をただ眺めてぼんやり思考を運ばせることしかできなかった。目を伏せた時の睫毛の影が綺麗だとか、艶めいた赤い唇と同じくらい頬が赤いだとか、近付いた吐息が熱くて、触れた唇は案外柔らかい、と、か。
 優しく触れた唇は震えていたのに戻るのは一瞬で。一部始終を眺めて終わったオレは、潤いを取り戻すようにゆっくりと瞬きをした。それを見たシャロさんは、緩んだ瞳から驚愕の色を滲ませた大きく丸い瞳に変わった。

 「──わ、るい。…泣かせるとは、思わなかった」
 「…は?泣いてなんか、………あれ」

 明らか動揺と悲哀を含んだ目はあちこちに揺れ、誤魔化すように首筋に手を当てたシャロさんは横を向いた。オレはというと、言われた言葉に疑問を浮かべていた。
 泣いてなんかない、特段泣くような出来事でも無かったのに。ほんのり首を傾げつつ頬に触れてみれば、じんわりと手を濡らす涙に気づいた。…え、オレ、泣いてる?
 やっとシャロさんが言っていた事実が分かると、逆にオレまでもが混乱したようにぱちぱちと瞬きを繰り返す。その行為にもまた涙は溢れ、とうとう頬を伝って服にじわりと広がっていく。

 「…えっ!?…あ、え?オレ、なんで泣いて」
 「嫌だったんだろ、…キス」
 「え」

 シャロさんの手が揺れた。オレに向かって自然と伸びた手が止まって、不自然に降ろされる。涙でも拭うつもりだったのだろうか、辞めなくても良かった、のに。
 そんな手を目で追いかけつつ、先程の行為をぼんやり思い浮かべた。記憶も曖昧で正直はっきりしないけれど、唇に触れたあの感触は紛れもなく、キス、だった。不思議と嫌悪感は現れず、寧ろ、もう一度___。そこまで意識が飛んでしまうと、条件反射に顔がぶわりと赤らんだ。
オレは一体何を、なにを考えて!浅ましくも無恥な思考にがくりと頭を抱えこんだ。確かに嫌ではなかった、けど、それとこれは別だろう。

 「…く、クザト?大丈夫か」
 「だ…いじょ、ばない…」
 「っやっぱ、嫌だったよな」
 「や、そういう事じゃなくて…!」

 またさっきのように顔を暗くしたシャロさんに慌てて顔を上げる。ちがう、そういう顔をして欲しいわけじゃない。
 なんだかよく分からない感情のままに彼の隣まで行けば、落とされたままの手を拾い上げた。ぎゅうと両手で握って、気持ちを伝えるように。

 「オレもよく分かってねーけど…なんか、その…」

 「…もっかい、したい……とか…考え、ちゃ、って…」
 「え」

 今度はシャロさんがえ、と言葉を詰まらせるのを聞いて、更に顔が赤く染まるのが分かる。二度目の鼓動の高鳴り。詰まるような息が漏れる。なんて返されるのかが、怖くて。
 今更ながら大変恐ろしいことを口走ってしまったのでは、なんて恐怖に駆られながら少しだけ高い位置にあるシャロさんの顔を見上げてみた。…と、それと同時に肩を掴まれる。そっと触れるとかじゃなくて、迫真の勢いで、がちっと。

 「嫌じゃなかったのか」
 「え、あ、……う、ん」
 「…もっと、したくなったのか」
 「っ……その言い方、やだ」

 直球な問いに少し俯いた。だってさっき言うのも恥ずかしかったのに、再確認されるとか、普通に恥ずかしい。それの数秒後に息を飲み込む音が聞こえた。目線は合わせずともちらりと目を向ければ、真剣な表情をしたシャロさんがいて。

 「……クザト、好きだ」

 二度目の言葉。どくんと心臓が跳ねた。それと同時に内側から幸せが溢れる感覚。それは少しむず痒くて、少し泣きそうになるような感じがして、すんと鼻を鳴らす。それが泣いてる時と同じように思えてきて、何故だかまた涙がじわりと浮かんできた。きっとこれは嬉し涙だ、なんて気づく頃にはオレの顔に影が落ちていた。
 それでやっとシャロさんの顔が近付いていたことに気付いて、どくりと心臓が煩く音を立てる。…オレ、またシャロさんと。

 「シャロさん、大好き」

 オレの一世一代の愛の言葉は、ふはりと笑ったシャロさんの唇に触れてとけた。




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