骨の髄


 『骨の髄』。この映画の内容をざっくり一言で言えば、アクション・サスペンス映画である。今、これを僕と映画館で一緒に見ているヴァレーニエのすきな映画シリーズの最新作だ。表の顔は新聞記者である主人公の女が鮮やかに、いとも簡単に人を殺しながら事件の真相に迫っていく。裏でばんばん人を殺めつつ世界を震撼させるような大事件の最深部にたどり着き、「事件の裏に隠された真相」という情報を手に入れ、最終的には新聞の記事にしてスクープをとる、というのがこのシリーズの基本的な流れ。年齢制限がかかるのがそりゃまあ当たり前なほどそこかしこで血が流れるのだが、流石ロシア映画と言うべきか、映像の芸術性には全く劣りがなく血さえも美しく見える。
 さて、今、本の数十秒前まで協力関係にあった、新聞会社内で隣のデスクの男の喉元に主人公の女がナイフをつきつけたところである。女はあかい紅をさした唇の端をにんまりとあげている。男は呆れたように笑った。
『骨の髄までお前は性根が腐ってる』
『褒めてくれてありがとう、あなたもね』
 と、字幕には表示されている。僕はロシア語が聞き取れない。僕はロシア語圏どころか、スラブ語圏出身でもない。字幕と映像とを一度に見ないといけない。見ないといけない、と言ってもそんなに大変なことじゃないけど。
 隣に座っている彼女は男のあかい血が壁に散る映像を平然と見ている。頬杖をついて、きゅ、と結んだ唇はいつもどおり冷たく無表情で、赤みがかった焦げ茶色のまっすぐな髪は彼女の顔の輪郭の一部分を隠している。彼女の黒い瞳に映る映画を、彼女は楽しんでいるのだろうか。いや、楽しんでいるのだろうけれど、顔には一切出ていない。いつもの、ひんやりとした顔。
 僕と彼女の席の間にはポップコーンが置いてあるのに、食べているのは僕だけだった。頼んだのがSサイズでよかった。キャラメルのポップコーンだから、自分の指からはこの映画に似合わぬ甘い匂いがした。塩味かチーズ味かとミックスしてもらえばよかった。口の中が、甘い。口の中だけが、甘い。
 僕、どこかじゃ女たらしのリクとか呼ばれてるらしい僕だけど、実は今日、彼女――ヴァレーニエにこの映画デートの終わりに告白する、つもり。――え?……うん、本命。遊んでばっかだけど、僕だって一途に想う相手くらいいる。何回かふたりでデートは行った。全部、僕が誘った。彼女は乗り気なのか乗り気じゃないのか読み取れない表情で、何回かは予定が合うからいいわ、と、何回かはごめんなさい、と言われた。毎度最後に「楽しかったわ」と言ってはくれるけど、いつも凍るような表情だから、真意は藪の中。ぴきっと凍ったような表情で僕はすきになったけど、相手からどう思われているかは正直わからない。年の割に恋愛、というか遊んでいる方だとは自覚しているけど、ヴァレちゃんのことは全くわからない。僕の勘では、ダメ。たぶん振られる、かな。今朝のテレビの星占いでも牡牛座は最下位だった。「物事は最後まで捉えて!」、らしい。
 今日、恋愛映画だったらもうちょっとよかったかな、なんて今更どうにもならないことを考えた。でも、彼女がこれを見るなら映画館に付き合うって言ったから、しょうがないか。でもこの空気の雰囲気は何。手をつなぐとかそういうことじゃない。映画ではきらめく刃物とどろりと流れる鮮血がちらついて、ヴァレーニエはそれを食い入るように見ている。こうなることは知ってはいたけど、やっぱり僕にはお構いなし。ポップコーンを三粒口の中に入れて、口内くらいあまあまの恋愛映画にしてやろう。キャラメルがとうもろこしにかかって恋愛映画ができるなら、恋愛映画なんてフィルムにキャラメルかければ完成じゃん。この映画には血糊がかかってるな。スクリーンで今何かの腕が飛んだ。おぞましいのに綺麗。ヴァレちゃんの顔みたいだ、とぼんやり考える。またポップコーンを口に入れる。
 いつのまにか映画は幕引き手前だった。主人公の女は最高なほど最高で最高な情報を手に入れた。女は会社の自席でパソコンを打っていた。並んでいる机の中で、一番端が彼女の席である。隣の席、男――中盤で殺された、女と協力関係にあったはずの男の座っていた机は空。やがて女は席を立ち、歩きつつ印刷機から紙が吐き出されたと同時に手に取り、その紙をデスクの机に置く。中年のでっぷりした格好のデスクがノートパソコンから顔をあげ、無言でその紙を読む。デスクは読み終わると苦笑を零した。
『これまた、えらいスクープだな――おまえ、どうやって手に入れた?』
 にんまりと笑う女の口元だけが、大きなスクリーンに映し出された。あかい紅をひいた唇が開く。
『骨の髄まで、わたしは新聞記者ですからね。血も滲む努力と尽きない探究心とがスクープを掴むには必要、そうでしょ?』
 ポップコーンのカップが空になったと同時、『Конец(終わり)』とスクリーンに表示された。最後までヴァレーニエはポップコーンに手をつけなかった。フットライトと非常口のランプがつき、短調のピアノの音楽がかかり、クレジットがスクリーンで流れ出した。ふう、と隣の彼女が息をつくのが聞こえた。場内では席を立つ者がちらほらいた。ヴァレーニエも席から腰を上げた。エンドロールは最後まで見る主義の僕は、え、と声を漏らす。
「もう行くの?」
「行かないの?」
 ヴァレーニエは立ち上がったまま、瞬きをひとつ、ふたつした。
「映画は終わったわ」
「まだクレジットが」
「そうだけど」
「僕は見たい」
「なぜ?」
 彼女は首を傾げた。「なぜ?」と言ったのは苛立っているからだろうか、それとも単純な疑問からだろうか。黒い瞳に見つめられ、僕は唾をのんだ。思えば、なんでエンドロールを僕は最後まで見るんだろう。ここで、脳内を今日の星占いの結果がよぎる。
「だって、エンドロールの後に何かあるかもしれないじゃん。物事は最後まで見ないとわかんないこともある、でしょ」
 彼女は何か言いたげに口を開いて閉じたが、そのまま無言で席に座りなおした。
 結局、クレジットで監督の名前が表示されても、場内の明かりはつかなかった。代わりに、スクリーンに新たな映像が映し出される。たぶん、1,2分くらいの短い映像だった。続編があることを匂わせるような内容で、ちら、と彼女の方を見ると、心なしか少しだけ口角が上がっているような気がした。
 ふわり、とオレンジ色の天井の明かりがついて、映画は全て終わった。僕はポップコーンの入っていたカップを持って立ち上がる。彼女は軽く伸びをした。
「行きましょう」
 と、彼女が言って立ち上がった。何度か誘ったデートの中で、彼女がそういうことを言うのは初めてだった。僕はなんかちょっと嬉しくなった。彼女に続いて、僕は場内を出た。
 
「ああ、おもしろかった」
 僕らは館の方面へ向かうバスの停留所が近くにある駅方面へと歩いていた。上映中の映画館の暗さとはまるっきし違って、外は爽やかな晴れ空。隣のヴァレーニエは満足そうだった。肩からかけている小さい茶革の鞄がゆらゆら揺れる。
「おもしろかった?」
「おもしろくなかった?」
「おもしろかったよ」
 これは嘘じゃない。おもしろかった。付き合ってない、片思いの相手とふたりで観る映画としては微妙だけど、純粋にあの映画がおもしろいのは確かだ。
「続編があるみたいじゃん?」
「シリーズ最終作品ではないことは確かね」
「次はいつかな」
「ああいう演出をするってことは、たぶん、脚本はもうできてるわね」
「もう撮影始まってたりするのかな」
「エキストラ募集してないかしら」
「僕、一回だけ映画のエキストラやったことある」
「本当?すごいわね」
「ここを通ってくださいと言われた道を何度か歩くだけだけど」
「1秒も映らなくてもいい、それでもいい、わたしあの映画の一部分になりたい」
 ふふ、と彼女が笑みを零して会話は途切れた。暫し沈黙が流れる。
 ひとつ、言えることがある。おんなのコに告白するときは、ちょっとした沈黙の後に名前を呼んで「なに?」と返されてから言うと大概雰囲気がそれっぽくなる。まあ返答は相手次第だが、雰囲気に呑まれるタイプなら割と落とせると思う、経験論的に。だが知っての通り彼女は芯が強くガードもがちがちだ。成功確立は計算できない。だからこそそんなところがすきになったんだけれども。
 あかい自動車が車道を通った。スーツの男とすれ違う。右手のカレー屋からスパイシーな香りがする。左手の公園からリュックを背負った子供が駆けていく。そんな道で、僕とヴァレちゃんはふたり、並んで黙って歩いていた。ただ黙っているだけなのに、手のひらがじとじとしてくる。僕はこのまま告白してもいいものなのか。また今度、遊園地の観覧車とか、恋愛映画を見たあととか、そういう方がいいんじゃないのか。
 ちらり、と彼女をみやった。と、彼女が右耳に髪をかけた。さらりとした髪が指の誘導したとおりに流れる。その仕草は美しかった。美しかった。やっぱりすきだなと思った。
「ねえ、ヴァレちゃん」
 と、思わず声に出していた。口にした後に自分が彼女の名前を呼んでいたことに気づいたほどに、思わず。僕は足を止めた。彼女も足を止め、何、と瞬きしてこちらを見あげた。見上げた、と言っても僕と彼女の身長差はあまりない。彼女の履く靴はいつもヒールが高めだから、5センチとか、そのくらい。僕はそっと彼女に顔を近づけた。キスをした。1秒くらい、だったと思う。
「――好き」
 僕は言った。たぶん、自分のなかで今までないほどに衝動的な告白だった。段取りとか、タイミングとか、そういう一切合切を無視して。彼女はちょっと目を見開いて、そのまま目を伏せた。表情はあまりくずさなかった。僕も目を伏せた。彼女は黙ったままだ。ダメ、か。下唇を噛む。
「ごめん」
 手のひらのじとじとがなくなった。ぎゅ、と僕は拳を握った。
 自転車がちりんちりんとベルを鳴らして僕の脇をさっと通った。公園からはきゃあきゃあと子供の楽しそうな声がする。ざあ、と木の葉が揺れた。
 と、彼女がこつ、と靴を鳴らして2,3歩前に進んだ。僕は顔を上げた。僕らの距離は1メートル。彼女がこちらを振り返った。いつもの冷ややかな目をしている。
「歩きましょう、バスに間に合わないわ」
 そう短く言うと、彼女はまた歩を進める。僕はついていくしかない。右足を踏み出すと、爪先に石が当たってかつんとどこかへ転げていった。思うように歩けない。
 僕の純愛物語はここで終わり。じゃあね読者さん。僕は彼女にぶち当たって砕けるどころか、躓いて転んで砕けてしまいました。ちゃんちゃん。やっぱり僕に本気の恋なんかお似合いじゃあないのです。
「ごめん、さっきの、忘れて」
 ちょっと声が震えた。彼女は再び振り返る。きゅ、と唇を結んでこちらを見て、ため息をひとつつく。
「――骨の髄」
 確かにそう彼女は言った。僕はえ、と瞬きせざるをえない。
「バスに間に合わなそうだから、歩きながら言いたかったんだけれど。骨の髄。すなわち、骨髄。一。骨の内腔を満たしている柔らかい組織。赤血球・白血球・血小板をつくる造血器官。二。心の奥。心底。三。最も重要な点。主眼。骨子」
 辞書を読んでいるかのようにすらすらと彼女は話し出す。ついてけない。
「あの」
「話は最後まで聞かないとわからないこともあるわ」
 ぴしゃり、彼女は言った。はい、と肩を縮めるしかない。
「今日見た映画はわたしの骨髄の一部なの。あなたのその想いも、あなたの骨髄まで徹してるんでしょ?」
 彼女は僕に近づいた。細い指の右手が僕の左肩に乗せられる。
「好きじゃない相手と二人きりで映画なんか見たりしないわ」
 彼女はまっすぐ僕の目を見て言った。黒い瞳に僕が映っている。隣をバスがごうと過ぎ去った。どちらともなく、僕らは唇を重ねた。甘い味が、今度こそ、した。

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※ これはかてぃさまとプロット交換をしてできたものです。なぜかかてぃさまが敷いてくれた線路から脱線してしまいました…(なんてこった)
すてきなかてぃさまのプロットはこちら↓

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ヴぁれちゃんに猛アタックをするリク、、というはなし  リク→(←)だな、、デートならいいよみたいな流れで映画デートをする  たぶん何回めかのおデート  という雰囲気  おそらくリク時点
 
映画の本編がおわりスタッフロールが流れた瞬間席を立つせっかちヴぁれちゃんvsスタッフロールのその先があるかもしれないのでじっくり見たいリク 「最後まで見なきゃわかんないこともあるでしょ? 」  結局スタッフロールの後もお話がちょっぴりあった

なんやかんやあり、帰り際告るものの、なんか微妙な反応をするヴぁれちゃんに、フラれたなとか思うリク、、、  この辺の過程は自由に決めていただいて構わないです

結局おっけーしてくれたヴぁれちゃん「 最後まで見なきゃわかんないこともあるって言ったのはそっちでしょう、?」 ( キスシーンが欲しいな!!! ) ( ほちい )

しあわせなおわり

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すぺしゃるさんくす:かてぃさま

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