夢路



 熱が出た。びっくりした。いつも体温計で体温を測る真似をすると、LOW、って表示されて何にも測れないんだけれど、さっき、頭がぼうっとするなあと思って体温を測ってみたら、液晶に数字が出た。37.0℃。この体温は、ぼくにとっては、それだけで頭が割れるような大事件なのだ。こんな数値を見たのは何年ぶりだろう。
 今日は館の近くの神社で、秋祭りが行われることになっていた。せっかく今夜、キリネと蒼と、お祭りに行こうっていう話をしていたのになあ。熱が出たことをすぐに二人に話すと、絶対安静を命じられた。お祭りに行くなんてもってのほかだ、と言われ、冷えピタをおでこにぴたーっと貼られて、ベッドで布団をきっちり被らされて、解熱剤を飲まされた。薬が効くのか、自信はなかったけど、久しぶりに冷たいものに触れて気持ちいいと思った。おみやげは買ってくるから大人しくしてて、と言われたが、ぽやぽやとした頭では言葉を消化するのに時間がかかった。十秒ほどして、ぼくはやっとうん、と頷いた。
 そのまま、うだされるように眠りに落ちた。目を覚ますと十七時過ぎ。最初に熱を測ったのが、ちょうど戦争が終わったくらいの頃だから、二時間くらい寝ていたことになる。もう夏は終わったけれど、今日みたいにまだ暑さの残る日もあって、布団が熱気でじっとりしている。布団をはがして、自室の窓の外を見やると、空はすっかり茜色に染まっていた。少し歪んでいるような気がする落陽を眺めながら、体温計を口にくわえる。37.7℃。ああ、解熱剤、全然効いてない。
 飲み物が欲しくなって、そろりと部屋を出る。絶対安静とは言われたけど、仕方がない。蒼とキリネ、もう出かけちゃったかな。と、思っていたが、ふたりだけではなくて、館のほとんどの人がいなかった。みんな、お祭りに行ってしまったんだなあ。館のしんとした空気が、廊下に敷き詰められた赤いじゅうたんの上に、絶え間なく降り注いで、夕焼けに照らされている。なんだ、誰もいないじゃん。そう呟いてみたけど、本当に誰も返事をしてくれないので、さみしい。こういうときは、ぼく以外の霊にもここにいてほしくなる。いたらいたで、嫌なんだけどね。
 ダイニングで水筒に水を入れて、自分の部屋まで持って上がった。夕日が山の向こうに落ちかけている。稜線が光にぱっと浮かび上がって、その上にオレンジの太陽がかぶさって、指輪の輪と宝石みたい、と、想像してみる。指に太陽をはめるって、どんな感じなんだろう。右手の人差し指と親指で、左手の薬指をなぞってみる。だからなんだ、って話だ。水を二口飲んで、また寝た。
 部屋をノックする音で、目を覚ました。外はもう暗い。部屋も明かりをつけていないから、薄暗い。はあい、と言うと、蒼とキリネが部屋に入ってきた。ふたりが開けたドアから、廊下の光と館のざわめきがこぼれている。
「調子はどうなの」と、蒼は部屋の電気をつけてくれた。
「熱は、さっきは落ちてなかった。今測る」とぼくは答えた。
 枕元の体温計を、もう一度口にくわえる。その間、ふたりは手に持っていた水風船をヨーヨーのようについていた。クララの分もあるぜ、って、キリネが両手に水風船を二つ持っている。やったあ、って言いたかったけど、体温計をくわえたままだったので、それを落とさないようににや、と笑うしかできなかった。
 ぴぴぴ、と、小さく体温計が鳴った。37.6℃。横ばいだ。
「全然だめ」
「そっかあ」
 蒼が眉根を下げる。黄色の水風船と緑の水風船とどっちがいい、とキリネが聞いてきたので、黄色、と答えた。キリネは枕元に黄色の水風船をそっと置いてくれた。指でつつくと、揺れて、中の水がぽよ、と言った。
 もう、ずっと寝とくんだからな、と、蒼に釘をさされながら、ふたりが出ていくのを見送った。ありがとう、と言うと、ふたりは照れたように笑った。
 また寝た。夢を見た。お祭りに行って、屋台でいろんなものを買うんだけど、神社の外に出ると、それらがすべて、ふわっと消えちゃう夢。目を覚ました時、かっと目に入ったのは、消し忘れていた自室の天井のあかりだった。はっと枕元の水風船を見ると、無事だった。薄黄色のゴムの中で、水がゆらゆら揺れていた。
 時計を見ると、二十三時を回っている。みんな寝てしまったんだろうな。みんな、お祭り、楽しかったんだろうな。ごろりと寝転がって、布団を自分の身体に巻きつける。暑い。すぐに布団を蹴とばして、外に出ることにした。涼しいところ行かないと、気が狂いそうだよ。
 がちゃ、と自分の部屋のドアをしめると、ふと後ろから声をかけられる。
「寝てないとだめじゃん。発熱病人」
 ぼくはびく、と肩を震わせた。振り返ると、からし色のTシャツを着たミコトくんがいた。ぼくはもごもご、と答える。
「寝ててもどうにもなんないよ」
「寝てないとサンタクロースは来ないのに」
「まだ十月だよ」ぼくは顔をしかめた。「てか、なんで熱出たの知って」
「俺もお祭り行ってみたらさ、蒼とキリネが、水風船取りながら言ってたよ。あいつ熱下がったかなーって。それで、クララのことかなって」
「そう」
 ぼくは肩を竦めるしかない。
「それで、本当に、寝ててもどうにもなんないわけ?」
「これまでの経験上、寝ても意味ないかな。嵐が過ぎるのを待つだけっていうか。なんか、風邪菌とかのせいじゃなくて、この世界のバグなんじゃないかなって思ってる」
「ふーん。まあ、行こうぜ」
「どこに」
「祭り」
 そう、にやりとわらったミコトくんに着いて、玄関の方に歩いて行った。もうお祭りなんて終わったでしょ、とは思っていたが、ミコトくんの発言に乗っかることにした。どうからかわれて、どう騙されるんだろう。そういうところに、興味なくはない。
「ちょっと、手繋いでて」
 玄関の扉を開けようとした時、ミコトくんにそう言われた。はあ、と思っていると、右手をするりとつかまれた。ミコトくんが館で一番大きな扉を開ける。つられて外に出ると、そこはぼくの知っている館の外の世界ではなかった。目の前に広がる夜闇の中に、ゆるやかな石の階段が走っていて、その脇に提灯が連なっている。ぼくはいつの間にか甚平を着ていた。ちろちろ入っている柄は、とんぼ、かなあ。ミコトくんも似たような柄の甚平を着ていた。
 階段を上り切っても、不思議と息は上がらなかった。そこは神社の境内だった。社を囲むようにして、屋台が並んでいる。祭り、だった。人はいるけど、変な空気がする。ああ、と分かった。みんな死んでいるんだな。みんな、異様に青白い肌をしていた。手を放してくれないミコトくんを見上げた。彼の頬も白い方だけれど、ここにいる他の人間に比べれば、顔色は良い方だ。なるほど、ぼくがミコトくんに繋がれてるんじゃなくて、ミコトくんはぼくの手を繋いでいないといけないんだな、と直感する。
「どこに行っていいの」
「どこでも」
 当たり前のように死んだ人しかいない空間で、当たり前のように遊んだ。変だな、と思うけれど、どうも脳が処理しきれない。それよりも、目の前にある射的の的とか、金魚すくいのポイとかに念を送ることに集中していた。片手しか使えなくて、ぼくもミコトくんも、射的はだめだった。金魚すくいも、ぼくが左手でポイを持って、ミコトくんが右手でボウルを持つのだけれど、一匹捕まえたと思ったらポイが破れた。りんごあめは味がしなくて、ただあめの部分がぱりぱりしていた。たこやきは熱すぎてよく分からなかった。店員もみんな、死んでいた。
「ねえ、くじ引きならさあ、片手でもできるよね」
 なんだかやけになっていた、気がする。熱があるからかなあ。でもこの時、館にいたときはあったはずのおでこの冷えピタがなくて、今一つ相対的な体温感覚がわからない。ミコトくんは、はは、と笑っていた。「やってみればいいんじゃない」
 くじ引きの屋台では、座っているおじちゃんの後ろにいっぱい景品がつり下がっていた。一等は大きなサメのぬいぐるみ。二等はゲーム機。一等と二等の価値、逆じゃない、ってミコトくんに囁かれて、思わず苦笑する。
 ぼくは左手を、くじ引きの箱の中に突っ込んだ。三角の紙の角が、手にたくさん当たる。まさぐってまさぐって、ちょうど薬指に触れたものにびびっと来て、それを引き抜く。渡すと、おじちゃんが紙を開いてくれた。
「ああ、惜しいなあ、十五等だよ。十四等だったら、パンダの木彫りだったのにねえ」
 別に、パンダの木彫りはいらなかったかなあ、なんて思っていると、おじちゃんが十五等の景品を持ってきた。ぼくの左手に手渡されたのは、小さな指輪。安っぽくて、小学生女児が好きそうな、大振りのきらきらした赤い石が乗った、指輪。
「お兄ちゃんもやんの?」
「やりまーす」
 ミコトくんは、見事一等を引き当てていた。そういう変な運の良さ、たまにちょっとむかつくんだよなあ。いや、むかついてるわけじゃないけど。羨ましがってるんだよ。
 指輪を手の中でもてあましているぼくと、脇でつぶされているかわいそうなサメを抱えたミコトくんは、神社の階段を下っていった。お祭りの音が遠ざかっていく。
「そういえば、指輪、はめてやるよ」
「なんで、いいよ」
「消えてなくなる前に、終わりにしたくない」
 ふ、と、木々がざわめいて、夜風が辺りをすりぬけていく。このふわっとした世界の中で、唯一と言っていいほどの、現実味のある言葉だった。気付くとぼくは、手のひらの中の指輪を差し出していた。ミコトくんは、右腕でサメをはさみながら、右手でその指輪を取る。提灯のあかりの中で、ミコトくんによって、ぼくの左手の薬指に、ゆっくりと指輪がはめられていく。人工的な赤みを放つその石は、提灯のオレンジっぽい光に、より一層輝く。
「どうして」
「夢の中くらい、いいじゃん。いや、だめか」
 はは、という、ミコトくんがよく上げる乾いた笑い声とともに、指輪がぼくの薬指の付け根まで行きついた。ぼくはミコトくんの顔を見上げたけど、暗くてどんな顔なのか分からない。ぼうっと、彼の輪郭は提灯に照らされていた。ぼくはそっと、繋がれていた手を振りほどいた。ぼくの右手がミコトくんの頬にたどり着く前に、全部、泡のように溶けた。
 目を覚ますと、自分の部屋のベッドで、朝だった。ぼくのおでこにあったはずの冷えピタが、とれて髪にひっついている。あーあ、と思いながら、起き上がって、ぺたぺたしている冷えピタの裏面から髪を剥がす。体温を測ろうと思って、枕元に置いてあった体温計を取った。その枕元には、昨日キリネがくれた水風船に加えて、あの指輪があった。え、と思いながら、とりあえず、体温計を口にくわえる。
 体温を測り終わるのを待ちながら、自分で左手に指輪をはめてみた。安っぽくて、軽くて、なんの重みもなくて、ただ透明な赤い石がでんと乗っかっている、指輪。右手には水風船のゴムのわっかをはめてみる。
 ぽよぽよ、水風船を打つうちに、ぴーっ、と体温計が鳴った。LOW、という文字列が、液晶にふわっと浮かんでいた。

texture: エンドロールには僕の名を射止めて/ Garnet様

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