目が覚めた。チリチリと鳴るアラームに心臓がきゅっと小さく縮こまる。放り出していたはずの手はシーツを強く掴んで、足は金縛りのようにピンと張っていまにもつりそう。いたい。身体中が、痛覚に通ずる神経が、じくじくと、いたむ。私は暫く起き上がることが出来なかった。午前5時30分のことだった。





 だいたい、2時間後。廊下の向こうから人の声がして、やっと少し力が緩まった気がして、慌ててベッドを飛び起きた。髪を結ぶことも着替えることもせずに扉を開けた。
 「…寧ちゃん?」
 廊下でぱちりと目を丸くしていたのは忌々しい姉だった。相変わらず視線は鋭くて、あたしは睨み返すように見上げる。
 「おはよう。何故そのような格好なのですか」
 あたしの立ち姿を見て、心配そうにお姉ちゃんが首を傾けて、眉を下げる。
 「……べつに。お姉ちゃんには関係ない、でしょ」
 そう言って髪をうしろに流すと、心配そうなのは変わらず、でも肩をぽんと叩いて姉は歩いていった。「夢はちゃんと覚ましてくださいね」とかけられた言葉に、あたしは舌打ちを落とした。





 あれから私は部屋に戻って、カーテンを開けた。勢いよく。刺すような太陽光が今日は何故か柔らかくて、ちょっと気持ち悪い。相変わらず浅い呼吸を整えるように一度深く空気を吸い込む。吐く。もう一度、吸う。吐いた。やっぱり今日の空気は気持ち悪くて、もう二度と吸いたくない。
 あの時間に起きてから私はずっとこんな調子で、何をする気もおきない。髪をセットするのもだるくて、もう、何を思われたっていいやと思って、そのまま部屋を出た。どうせ好かれてないなら、好かれてない人にとって髪なんて微々たるものなんだ。自分の視界のためにピンでとめるだけしてダイニングへと向かう。
 すると、その途中で同じように歩いている人をみかける。いつもと違うけれど、たぶん、そうだ。私が知ってるあの人だ。普段はそれだけで終わるのに、今日は何故だか体が勝手に動いた。
 「あれ、今日ピンだけなんだ。珍しい」
 ぎゅっと、心臓が縮こまった。全身を駆け巡る血管が一気に稼働する。じんじんと頭が痛む。
 「…おはよう、ございます。いっつも髪あげてたから、気になって声かけちゃった」
 目の前まで回って覗き込みつつ、再度言葉を投げかける。髪で隠れた彼の目に私は映らない。色のついたピンをつけた彼はすう、と息を吸った。

 「………おはよう」

 思ったより、ハッキリとした声が聞こえた。たぶん、私に返された言葉で一番、ちゃんとしてる気がする。ぱあっと表情が明るくなる。彼はどこかほっとした様子で「ごはん、食べようぜ」とダイニングを指さした。いままで彼から誘ったことなんてないのに。私は嬉しくって、うんうんと何度も頷いた。穏やかな日々だ。私はこれを望んでいたのかもしれない。





 22時53分。夜だ。大抵の人がごはんも風呂も済ませ、自室へと入った頃だろう。私もその1人で、ぽかぽかと暖かい体に布団をかけてぼんやりとベッドの上で座っている。今日はなんだか、すごく良い日だった気がする。なんというか、なんというか…良かったと、思う。ぼんやりとしてきた頭に眠気が襲ってくる。そろそろ寝るか、と思った、そのとき。私は思い立ったように突如立ち上がる。何故だか分からないけど、私、行かなきゃだめだ。体はもう既にどこかへと向かっていた。


 「キリネさん、いますか」


 ノックが響いて、次に私の声が響いた。一気に頭が冴えて、すうっと体が冷えていくのを感じる。何故だろう。こんなにも今日は良い日だというのに。
 「あたし、ちょっと聞きたいことがあって」と言葉を続ける私を遮るように「分かったから、入れよ」と扉が開いた。相変わらず髪で隠れた瞳には何も映っていない。私はそのまま彼の部屋に足を踏み入れた。

 「ごめんなさい、寝る前なのに。…でも、どうしても聞きたいことがあって」

 申し訳なさそうに手を合わせて謝ると「ああ、…いや、いいよべつに」と返される。良かったと言葉を落としたら、彼は少し眉を下げていた。緊張しているのだろうか。それでもお構いなしに、私の口はまた言葉を繋げていく。

 「ねえ、いつになったら外すの?それ」

 私が指さしたのは彼の右手だ。訳が分からなくてフリーズしていたけど、すぐに理解した様子。
 私が指さしたのは、指輪。過去に、本当に昔に彼と交換した、お揃いにした指輪。私は■■■したけど、彼はずっとつけたまま。だめだ、頭がまわらない。靄がかかったように、急速に思考がかすんでいく。未練なんてないくせに、未練たらしくつけている指が憎い。

 「…あ、ああ、悪い、…そういう意味じゃねえんだけ、ど…」

 この空気がいたたまれなかったのか、居心地が悪かったのか、右手が後ろに隠される。下を向いたままの彼をじっと見つめる。どうしようもなく震えている彼の手を、私はぐっと強く、引っ張りあげた。

 「そういう意味じゃないなら外してよ」

 泣きそうだ。堪えるようにぐっと顔に力を入れる。苦しくて、辛くて、息苦しい。それなのに彼はただ突っ立っているだけ。ああ、どうしよう、と思った。私、このままどうしてしまうんだろう。手を強く握る。ぎちりと皮膚がつっぱる。

 「そんなつもりないなら、そんな気がないなら外してよ!あたしが、あたしがっどんなつもりで…!」

 ぐあ、と耳がびりびりするほどの声。息があがる。私も、彼も。怖い。こわい、こわい、こわい。今すぐこの場からにげたかった。今すぐ手を離して扉を強く開けて走って逃げたい。けれど掴んでしまった手を離すなんて、もう到底できそうにないくらい私は錯乱している。

 「キリネさんのせいだよ。あたし、どんな気持ちであのとき言ったと思ってるの」

 一歩も動けない。視線も変えられないまま、どんどん私の声が冷たく棘のようになっていく。朝はあんなにも柔らかかったというのに。どんどん息が浅くなって、呼吸すらも気持ち悪く感じる。深呼吸なんてもう、意味がない。
 私は彼の指に触れた。カチンと私の爪と、彼の指にはまる指輪が音をたてる。いやに指輪が冷えていく。彼の手も、気持ち悪いほどに、冷たい。

 「キリネさんだって、───慶一郎くんだって、誠意を見せるべきだよ」

 どきりと、心臓が、縮こまる。他人で彼の名前を知っているのは、私くらいだ。久しぶりに、本当に久しぶりに彼の名前を口にした。前から小さく声が漏れる。この感情は恐怖なのか、罪悪感なのか。彼がしりもちをつくように崩れ落ちる。私も同じように、綺麗にスカートを折りたたんでしゃがんだ。手を掴んでいない、もう片方の私の手が、ポケットに入っていた冷たいものを手に取る。銀色が、鈍く光を反射する。

 「慶一郎くん、相変わらず泣き虫だね」

 くつりと喉が鳴る音。金属の擦れる音。彼の呼吸と、私の掌から伝わる嫌な冷たさ。皮膚が気持ち悪く冷えて、痛いのかなんなのかももう分からない。分からない、よ、どうしたらいいの。私、もう。もう、いやだ。なんで私がこんな、こんな思いを?



 寧、俺たち、やり直せないのかな。
 
 ああ、なんて、嫌な夢だろうか。
 私はきつくを瞑った。







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