目が覚めた。チリチリと鳴るアラームに心臓がきゅっと小さく縮こまる。放り出していたはずの手はシーツを強く掴み、足は金縛りのようにピンと張っていまにもつりそうだ。いたい。身体中が、痛覚に通ずる神経が、じくじくと、いたむ。俺は暫く起き上がることが出来なかった。午前5時28分のことだった。





 だいたい、2時間後。廊下の向こうから人の声がして、やっと少し力が緩まった気がして、慌ててベッドを飛び起きた。髪をかきあげることも着替えることもせずに扉を開けた。
 「わっ、あれ、キリネ?」
 廊下でぱちりと目を丸くしていたのはクララだった。相変わらず色が薄くて、朝日に照らされて眩しい。その隣、太陽を避けるようにクララの一歩後ろにいたのは蒼だ。
 「おはよキリネ、…どうしたんだよ。寝起き?」
 俺の立ち姿を見て、心配そうに蒼が首を傾けた。クララも同じように眉を下げる。
 「……ああ、いや、……悪い、寝ぼけてたのかも」
 そう言って髪をかきあげると、心配そうなのは変わらず、でも肩をぽんと叩いて二人は歩いていった。「夢ならちゃんと覚ましとけよ」とかけられた言葉に、俺はうんと頷いた。





 あれから俺は部屋に戻って、カーテンを開けた。勢いよく、だ。刺すような太陽光が今日は何故か柔らかくて、ちょっと気持ち悪い。相変わらず浅い呼吸を整えるように一度深く空気を吸い込む。吐く。もう一度、吸う。吐いた。やっぱり今日の空気は気持ち悪くて、もう二度と吸いたくなかった。
 あの時間に起きてから俺はずっとこんな調子で、何をする気もおきない。髪をセットするのもだるくて、もう、何を思われたっていいやと思って、そのまま部屋を出た。どうせ怖がられてるなら、怖い人にとったら髪なんて微々たるものなんだ。自分が見やすいようにピンでとめるだけしてダイニングへと向かう。

 「あれ、今日ピンだけなんだ。珍しい」

 ぎゅっと、心臓が縮こまった。全身を駆け巡る血管が一気に稼働する。じんじんと頭が痛んだ。

 「…おはよう、ございます。いっつも髪あげてたから、気になって声かけちゃった」

 俺の目の前まで回ってきた彼女は、俺の目を覗き込むように言葉を続けた。深い紫に俺は映らない。デカい眼鏡をつけた彼女はにこりと笑う。
 「………おはよう」
 思ったより、ハッキリとした声が出た。たぶん、こいつに返した言葉で一番、ちゃんとしてる気がする。ぱあっと彼女が表情を明るくする。俺はどこかほっとした気持ちで「ごはん、食べようぜ」とダイニングを指さす。いままで俺から誘ったことなんてないのに、何故かこの時は言葉がぬるりと這い出てきた。彼女は嬉しそうに笑って、うんうんと頷く。穏やかな日々だ。俺はこれを望んでいたのかもしれない。





 22時57分。夜だ。大抵の人が飯も風呂も済ませ、自室へと入った頃だ。俺もその1人で、ぽかぽかと暖かい体に布団をかけてぼんやりとベッドの上で座っている。今日はなんだか、すごく良い日だった気がする。なんというか、なんというか…良かったと、思う。ぼんやりとしてきた頭に眠気が襲ってくる。そろそろ寝るか、と、布団に入ろうとした、とき。


 「キリネさん、いますか」


 ノックが響いて、あいつの声が響いた。は、と一気に頭が冴える。すうっと体が冷えていくのを感じる。何故だろう。こんなにも今日は良い日だというのに。
 俺は布団から足を出して扉の方へと向かう。「あたし、ちょっと聞きたいことがあって」と言葉を続けるあいつを遮るように「分かったから、入れよ」と扉を開けた。相変わらず深い紫には何も映っていなくて、それでもあいつは笑って俺の部屋に足を踏み入れた。

 「ごめんなさい、寝る前なのに。…でも、どうしても聞きたいことがあって」

 申し訳なさそうに手を合わせて謝るあいつに「ああ、…いや、いいよべつに」と返す。良かったと言葉を落とすあいつは、良かったというわりにほっとした顔をしない。それほどの話なのだろうか、少し怖くて俺は視線を落とす。

 「ねえ、いつになったら外すの?それ」

 あいつが指さしたのは俺の右手だ。訳が分からなくてフリーズするけど、すぐに理解した。
 指輪、だ。過去に、本当に昔にあいつと交換した、お揃いにした指輪。俺はずっとつけたままだけどあいつはどうしたんだったか。だめだ、頭がまわらない。靄がかかったように、急速に思考がかすんでいく。

 「…あ、ああ、悪い、…そういう意味じゃねえんだけ、ど…」

 この空気がいたたまれなくて、居心地が悪くて、隠すように右手を後ろにやる。ぎゅっと左手で強く握った。下を向いたままでも前からじっと見られているのが分かる。どうしようもなく震えている俺の手を、あいつがぐっと引っ張りあげた。

 「そういう意味じゃないなら外してよ」

 あいつの顔がひどく歪んだ。苦しそうで、辛そうで、いまにも泣き出しそうで。それなのに俺はただ突っ立っていることしかできなくて。ああ、どうしよう、と思った。あいつの手が強く握られる。ぎちりと皮膚がつっぱる。

 「そんなつもりないなら、そんな気がないなら外してよ!あたしが、あたしがっどんなつもりで…!」

 ぐあ、と耳がびりびりするほどの声。息があがる。俺も、あいつも。怖い。こわい、こわい、こわい。今すぐこの場からにげたかった。今すぐあいつの手を振り払って窓から飛び降りてでも逃げたい。けれど俺の手を掴むあいつの手はひどく力強くて。

 「キリネさんのせいだよ。あたし、どんな気持ちであのとき言ったと思ってるの」

 一歩も動けない。視線も上げられないまま、どんどんあいつの声が俺を刺すように降ってくる。朝はあんなにも柔らかかったというのに。どんどん息が浅くなって、呼吸すらも気持ち悪く感じる。深呼吸なんてもう、意味がない。
 あいつが俺の指に触れる。カチンとあいつの爪と、俺の指にはまる指輪が音をたてる。いやに指輪が冷えていく。あいつの手も、気持ち悪いほどに、冷たい。

 「キリネさんだって、───慶一郎くんだって、誠意を見せるべきだよ」

 どきりと、心臓が、縮こまる。他人で俺の名前を知っているのは、あいつらと、主と、それと、。久しぶりに、本当に久しぶりに聞いた俺の名前に、小さく声が漏れる。この感情は恐怖なのか、罪悪感なのか。しりもちをつくように崩れ落ちる。あいつも同じように、綺麗にスカートを折りたたんでしゃがんだ。あいつの手に持ったあれが、銀色が、鈍く光を反射する。

 「慶一郎くん、相変わらず泣き虫だね」

 くつりと喉が鳴る音。金属の擦れる音。あいつの呼吸と、俺の手首に当たる嫌な冷たさ。皮膚が気持ち悪く冷えて、痛いのかなんなのかももう分からない。分からない、よ、何が起こってんだよ。俺、もう。もう、いやだ。なんで俺がこんな、こんな…



 慶一郎くん、あたしたち、やり直せるかな。
 
 ああ、なんて、嫌な夢だろうか。
 俺はきつくを瞑った。







TOP

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -