これでもう、彼と三回目のキスだ。可愛らしい音が鳴ることもなく、静かに唇が重なっていく。擦り合わせるような、小学生が行うような、キス。四度目に差し掛かる前に彼が顔を逸らした。

 「……これで満足なわけ?」

 彼の熱を帯びた表情。ぐいと唇をこすりこちらを不満げに睨む彼に目を細める。

 「うん、すごく、とてもすごく。きみのおかげで完璧だ」

 僕がそう答えると、彼は更に顔を歪めた。あれ、なんでだろう。べつに嘘などついていないけれど…__ああ、そっか。僕の言葉はどうでもいいんだ、僕が話しているから嘘なんだ。そうか。なるほどね。
 それに気付いた僕がうんうんと頷いていると、その思考を知らない彼はまたまた更に顔をぐにゅっとした。んむむ、とでも言いたげに口をぱくぱくとさせている。僕が鯉の餌でも持ってたら放り投げてあげたのにな。…はは 大丈夫、嘘だよ。

 「マジでさ、意味、分かんねーんだけど。何、なんで握手もハグもすっ飛ばしてキスすんの」
 「恋人らしいから」
 「いや!そーだけどッそうじゃなくて!バカやろう!」

 ぽつり。と、彼にしては珍しい声色で淡々と言葉を紡いだ。彼の声と髪が揺れる。首輪のチャームがしゃらんと音を奏でた。綺麗だ。きみは、何もかも。僕にはない、すべてがきみにはある。

 「だって、そうでしょ。3分しか時間がないんだから」

 今日のきみは笑わない。僕が正論ばかり言うからだろうか。そう言葉を零したら、きみはむう、と唇を突きだして固まってしまった。僕はそれをじっと上から見下げて、ぼんやりと先程の行為を思い返した。
 キス、というものは、主に恋人関係である者同士が行う行為だ。挨拶のキスもあるけど、唇は特別だという。基本的には愛し合い、想いが通じあっている者同士が行えると認識している。して、いた。
 けれど、先程の僕たちはその基本をぶち壊した。愛し合っていない、恋人関係でもましてや友達とも呼べるか危うい僕らはたったいま、キスをした。しかも何回も、何度も。擦り合わせたキスはただの行為だ。そこになんの意味もなかった。生まれることもない、ただの行いだった。僕は愛を信じていた。生まれてこのかた見たことがない愛を、少しだけでも見てみたかった。感じてみたかったのだ。たとえ愛がない者同士でも、そこから始まる愛だってあるのだろう?つい昨日再放送のドラマで見たよ。だから試してみたくなった。
 けれどこんな行為を簡単に受け入れてくれる者はそうそういない。基本として愛がある前提なのだから、愛も芽生えていない僕とキスなんて誰もが拒むだろう。ふむ、と考え込んだ視線の先に写った薄汚れたスニーカー。彼だ。運命を感じたよ。それから、今に至る。
 …ああ、ドラマっていうのは、嘘。

 「で、その3分しかねえ間に目的は達成したのかよお つかおれこんな頑張ったんだからしてねーとこまる!!!」

 ぎゃん!と彼が喚いた。どうやら"待て"に痺れを切らしたらしい。ぐるぐると牙を見せて吠える彼はまるで自分より上を見上げたことのない子犬のよう、だ。可愛らしいと思う。無知な子ほど愛されるというものだ。世間一般の常識を得た僕には分かるよ。うんうん。

 「うーん、まあまあだね。きみの頑張りは悪くないけど、どうもやっぱり、なんだか、ねえ…」
 「は〜〜!?おまえなんだよッ、そっちから「3分だけ僕の恋人になってくれ」〜とか抜かしといて!!」
 「うん、だって暇だろう?出来上がりを待つ3分は思ったより長いんだ」

 火山が噴火したようにぎゃあっといつもの調子で喋りだす彼を放置して、まだ2分ほどしか経っていないカップラーメンに手を伸ばす。
 そうだ。突如キスなんて頼めないから、"インスタントラーメンができあがる時間まで"という時間付きで頼んでみたのだ。3分だけなら…となるかもしれないし、ゲーム感覚でやってくれる人もいるかと思って。特に誰でも彼でも手を出していそうな彼ならと思ったのだけど、彼はあからさまに嫌そうな顔で渋々頷いていた。僕って案外、嫌われてるのかもしれないなあ。はは。

 「だからぁ!おまえ話聞いて…──んッ?おまえ、それまだ2分しか経ってねえけど??」
 「うん、いいんだ。恋人はもう終わったからね」

 あつあつの麺をすくいあげて、ふうと息をかける間もなく湯気のたったそれをずるりと吸い上げる。口内に熱が灯る。じゅっと肌の焼ける痛みが襲う。段々と広がる痛みに少しばかり停止して堪える。本来なら冷まして食べるべきなんだろうけど、でも、僕はこの痛みを望んでいた。冷えた野菜では味わえない感覚だ。ざらりとした口内を舌先で撫ぜた。
 いつの間にかヒートアップしていた彼は再度椅子に座り直している。最初のひとくちをなんとか飲み込んだ瞬間、彼が僕の肩を掴んだ。力強かった。抵抗する間も何も考える暇もなくて、ぐっと彼の方を向いたときには冷たく火傷痕がなぞられて。

 「火傷は冷やさなきゃなの、知らねーのかよ、ボンボン」

 そう言った彼は、手元にあった氷水を口に含んだ。ちべてえ!と声を上げた彼はべろりと舌を出してひええ、と呟いた。さっきの冷たいものは、それか。ああ、と納得した。冷えたそこをなぞるように舌先を這わせる。きみがいないと、もう随分ぬるくなってしまった。

 「ありがとう」

 彼がかちゃりと銀製のフォークを手に取った。箸は未だ使えないそうで、いつも銀製のものを使っているところしか見たことがない。べりべりと蓋が外れて、麺の浮かんだスープが波を立てる。香ばしいような鼻を刺激する香りがたつ。薄っぺらいぐるぐるのピンク色のあれを見た彼は「やったーー!!!らっきー!!」と叫んだ。
 それ、好きなのかな。あげようか少し迷った。3分のお礼とでも言って渡せば良いのだろうし、僕もべつにこれが好きなわけではない。でも、なんだかあげる気にならなかった。僕が好きになったら渡したいと思った。彼には、僕の好きなものだけを共有してやりたいと思った。

 「さっきの、嘘だよ」
 「さっきのってどれだよ」
 「はは」
 「おい」

 それも嘘だよ。





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