「リクさんって、ずるい」

 聞きなれた言葉が耳を掠めた。散々言われ尽くしてきた言葉だ。そう呟いたきみは地面の先を見つめて、ぷくりと少しだけ唇を真ん中に寄せている。彼女との身長差もある上に横髪が前に流れ落ちていて、表情はよく読み取れない。読み取ったところで、という感じではあるけれど。きみがもたれかかっている窓の縁がきらりと陽の光で反射する。きみの服に少し、影が落ちた。
 ─ずるい、とは。自分の利益のために要領よく振る舞うさま、他者を出し抜くさま。確か、本当の意味はこんなものだろう。まあ、そう言われるのも仕方ない、かもしれない。僕は自分の思うままに生きていたい。順風満帆な人生を、失敗があればまた違う道筋で軌道修正。それが本来の人間の生き方だと思うし、悪いことではないと思う。僕はそんな生き方が好きだ。人にとやかく言われる筋合いはないと思っている。
 それに、彼女はそんな僕を悪い風には言わなかった。寧ろそれを尊重してくれたから、だから、今こうして隣にいる。我ながら上手くいっていると思っていた。…そんな彼女が、初めて、僕に対して苦言を呈したのだ。

 「みまちちゃんがそう言うなんて珍しい」
 「ずっと黙ってただけで、…思ってました。リクさんはずるいな、って」

 腕時計の秒針の音が聞こえそうなほど、微かな声できみが呟く。二度目の言葉だ。相変わらず僕はきみを見下ろしている。感情の変化は、今のところ、ない。
 彼女はいつも、いつも僕を見上げていた。僕が見下ろせばぱち、と目が合って、それで緩まった笑みを見せていた。それが今日は一度も目が合わない。少しだけ、不思議だ、なんて思った。感情の変化は、今も、ない。

 「…どうして?僕、きみに何かしちゃったかな」

 声色がワントーン低く、ゆったりとしたものに変わる。僕がいつも機嫌を伺うときの声だ。それと同時に、するりと滑らかな黒髪に指先を這わせ、ゆっくりと絡ませながら、掬うように毛先まで撫で下ろす。そのまま彼女の肩に、そっと手を置いた。無理矢理なんてしないけど、これで振り向いてくれたらいい、と思った。
 すると彼女は ぎ、と身体を強ばらせ、ゆっくりと僕の方に向きを寄せてくる。まるで付き合い始めた当初のようだ。いつも僕が触れると驚いたように体を跳ねさせ、ほんのり頬に熱を浮かび上がらせる。熱い頬に沈む僕の指は冷たくて、「ちょうど良いですね」なんて誤魔化すようにはにかんだきみを思い出す。

 「リクさんは、私にない発想でいつもドキドキさせてくるから。…私、いつもドキドキさせられっぱなしで、ずるい」

 はあ、とすべてを吐き出すように長く浅い息を吐き出した彼女はくったりと力を抜いた。ゆらりと傾いた身体は僕の方になだれることはなくて、窓の方にもたれかかる。小さく窓が鳴った。それと同時に彼女が僕の手をとって、おそるおそるといったように指を絡めた。恋人繋ぎ。その上からもう片方の彼女の手が重なって、僕の手は暖かく包み込まれる。

 「私がこうして握ったって、リクさんはドキリともキュンともしないんでしょう」

 喉が軋むような声色だった。淡々としていて、それでいて何の感情もない。初めてだった。いつも穏やかで感情を滲ませる彼女の声に色がない。僕の代わりに言葉を紡いで、思いを露にしてくれるきみの声が恋しくなった。つい癖で手が動きそうになったけど、それでも離してくれない。不安そうにきみの顔が歪んだ。この会話だって、この行動だって、きみじゃなければ面倒なだけなのに。
 きみが知らないだけだ。

 「みまちちゃん」

 ずっと伏せられていた瞳が、僕を見上げる。僕のずっと見下ろしている瞳と絡み合った。瞬きがひとつ、ふたつ、みっつと繰り返される。緊張している人は瞬きが多いと聞くけれど、いま緊張しているのはどちらか。
 左手で、きみの髪を撫でる。相変わらずさらりと滑り落ちて、はらはらと細い毛が指の間から流れた。そのまま、じわりと熱を持った薄らピンクの頬に掌を擦り寄せ、くいと彼女の顔を僕の方へ持ち上げる。声を上げる間もなく開かれたままの彼女の唇が、きゅっときつく閉まる。痙攣するように少し震えた。次第に眉が中心へと歪に寄せられて、ばちりとあからさまに瞼が閉じた。ふ、と空気だけの笑みの音。慣れないながらに応えようとしている彼女はかわいい、と、素直に思う。
 ああ、今日だけは。このまま見つめていたい。
 感情の変化は、相変わらず。

 「きみも充分ずるいよ」







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