「 ねえシーク、明日水族館デートしよう! 」
「 でぇと…?いいよ、行こっかあ 」
遠くでパァルさんがそうシークさんを誘っていた。遠くで、と言ってもそう距離はなく、五つくらいの席を挟んだ先だった。あたしは、普段のディナーではこんなところに座らない。隣が煙羅さんだし。煙羅さんはとにかく喋る。食べ物を口に入れるよりも喋ってる気がする。風の噂によると_もちろんそんなものは信じていない、たまたま誰かが話しているのを聞いたの_何か新しい商品を見つけたとかで、機嫌が良いらしい。ふぅん。あたしの機嫌は最悪だけれど。いつものあたしなら冷ややかに流すところなんだけど、今日は苛立ちが抑えきれなかった。誰にも聞こえないように舌打ちをしたつもりだったけど、煙羅さんとは反対側の隣でこそこそと息を潜めていたキャラメルの子がびくりとした。あたしが動揺しながら横目で様子を窺うと、彼女はおどおどと怯えたような表情をこちらに向けていた。う、と声が漏れる。騒がしい食堂の中の、煙羅さんを筆頭とする周りの方々は何も気づいていないだろうけど、ここまで感情を表に出したのは久し振りで震えが止まらない。垂れる冷や汗を気にしないようにして、こくりと喉を鳴らす。彼女…そう、メメリちゃんだ…と目を合わせ、小声でごめんねと呟いた。メメリちゃんは目を丸くした。驚いたのだと思う。けど、俯いてちょっと首を振った。「 気にしないで 」の意と受け取って良いのかな。分からない。人の感情や思いは証明が出来ない。例え本人がどう言っていても、どう思っていたとしても、誰にも本当のことは分からない、の。だから嫌なんだ。あたしはかちゃりと音をさせてカトラリーを半分投げ出すように戻すと、食べかけの夕食を置いてひっそりと食堂を出た。人の熱気が集まる食堂の扉を開いた瞬間、体に当たった風は身を切るように冷たかった。ふらふらと自室に戻る間に、誰かとすれ違った、気がした。
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最近、シークがすごくノリ良くて誘えばなんでもついてきてくれる!いや、誘いすぎててもう分かんなくて振り回しすぎてるかもってのは問題なんだけど、でもやっぱり何も言わず来てくれるのはうれしくて誘っちゃうんだよね!季節に似合わずどんよりとした曇りのおおい八月だけど、一緒に出かけてくれる人がいるってやっぱりイイじゃん?だから明日、折角カラッと晴れるらしいから気分を変えてイイトコ行こうって思ったんだ!だからね、あのー、どこだっけ…えっと、そうそう!水族館に誘ったの!水族館ってさ、なんか…こう…ヤバいじゃん?だからずっと行きたかったんだよね〜!だけどさー、ちょっと遠いからJKのパァルちゃんにはちょっと厳しくて、、シークに運転して連れてってもらお!ってカンジで聞いてみたら二つ返事でおっけーしてくれたから明日は水族館デートなんだよ!、…うん、そう、デート……ね…。い、いや、そういうのじゃないよ!あたしたちそんな関係じゃないし、、でもあたしたちこんなに出かけてるし!なんかそうっぽいじゃん!…ね?、
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朝起きたあたしはとっても不機嫌だった。昨日のことがあるから寝付きもよくなかったし、必然的に起きられもしない。ちらと壁にかかった自室の時計は…そっか、外したんだった、あっちか…八時半を指していた。ごろんと寝返りをうつ。ラベンダーのカーテンの隙間から漏れた光が眩しい。思わずきゅ、と目を瞑った。朝ごはん食べ損ねたなとちらと思ったけど、正直なところそんなことはどうでも良かった。今日は全部どうでも良い。知らない。部屋から出なければ、これ以上は傷つけたり傷つけられたりすることはない、はずだ。タオルケットを頭から被った。なんだか埃っぽい。おなかは空いていたけど、頭にあるのは昨日のシークさんのぽやぽやした承諾の声と、メメリちゃんの怯えた薄い青の瞳ばかりだった。
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がたん。ちょっとタイヤが跳ねたみたい。あたし達、つまりあたしとシークはもう車に乗り込んでいた。夏はお日さまが起きるのがめっちゃ早いから、準備でいつもより早めに起きたあたしが見た時と変わらないかがやきを保っている。少しがたついた車に揺られながら、ちらりと隣を見やった。シークは、久し振りの運転が楽しいのかお出かけが楽しいのか、じゃなきゃ、えっと、あの…とにかく、ハンドルを握りながらちょっと笑顔を浮かべていた。にしても、さっきシークが「 、車なの? 」って言った時はびっくりしたなあ!そういえば言ってなかったもんね。なんかもうシークは絶対免許持ってるし連れてってくれるって思い込んでた、、そういえばシークが免許持ってるかどうかさえ知らなかったのに!いや、免許だけじゃなくて__その時、不意にシークの目線がこちらに来た。
「 パァルさん、ここ? 」
「 …あ 」
あんなに遠かったはずなのに、気が付けば、「 水族館はこちら 」というシンプルでそっけない看板が目に届く距離だった。
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カワウソにペンギン、アザラシ、クリオネとかクラゲ……もちろん普通のおさかなも。ここの水族館は広くて、だいたいみんなが想像出来そうな動物やお魚はここにちゃんといる。それだけあって中はまあまあ混雑してたけど、あたしは下調べで見ていたルートで歩きばっちり回避したからどの生き物もゆっくりと見て回ることができた。いわゆるカワイイ生き物はちゃんとカメラに収め、あとで加工してSNSにあげようとフォルダにまとめておく。ちょっとだけ整理しておこうかとおもって人の波から一回抜けて、フォルダ内をスクロールする。と、あたしは一枚の写真に目を吸い寄せられた。大きな水槽に見入ったシークが、たまたま振り返った時の写真。水族館は薄暗いから、その写真はもちろん逆光になっていて。もはやシルエットとしてしか認識できないシークに思わず見入ってしまった。後ろからそっと彼を包む光のせいか、この写真の中でも尚静かな歌を唄い続けている泡のせいか、幻想的な雰囲気が幻想的な彼を取り巻く。きれい。心からそう思った。とても美しくて、儚げで、そう…これに映っている泡みたいに、シークもいつかきらきらと消えちゃいそうだ。なんて柄にもないようなことが頭をよぎり、流れてもいない冷や汗が心を必死に掻き立てあたしを振り向かせた。
「 __ シーク 」
シークは、何も変わらずにそこにいた。楽しそうな、それでいてどこか寂しそうないつもの表情を浮かべて。そう。何も変わらないのだ。例えあたしが隣にいたとしても、ね。
「 なあに、パァルさん 」
心臓がいきなりうるさくなり始めた。もう、静かにしてなさいよ。目の前のシークに聞かれたらどうするの。ちょっと頬があつくなった。…そうね、どうせ、どうもしないか。
「 シークさ、あたしのこと嫌いでしょ 」
なるべく冷静を装って笑ったつもりだったけど、どうしても声は震えてしまうし泣きそうな響きは抑えきれない。シークは、…相変わらずだった。否定するでもなく、肯定するでもなく、ただちょっと本気で傷付いたような表情を貼り付けていた、だけ、だった。お願い。そんな顔しないで。あたしのこと、嘘でも良いから嫌いって言ってよ。
「 …なんとか言ったら? 」
刺々しいあたしの言葉がシークへと真っ直ぐに飛んで行った。シークは逃げなかったし、かと言って壊しもしなかった。あたしの言葉が彼の手の内に収められ、傷だらけで血塗られた手にひたすら優しく撫でられるのを見た、気がした。
「 うん、…ごめんね。 」
遠くから人のざわめく声が重なりあって響いていた。今のあたし、どんな顔してるんだろ。すぐそこの水槽に映せばいくらでもわかるけど、とてもそんな気にはなれない。あたしの目を見ないシークが心から申し訳なさそうに弱々しく言葉を繋いだ。
「 でもね、本当にうれしいんだ。ありがとう、パァルさん。ぼくを【自主規制】でいてくれて 」
その笑顔と言葉はあたしの心を貫いた。抉って、壊して。二度とは戻れないところまで、あたしを連れていく。涙が溢れた。一歩シークに近付いたけど、シークはあまりにも遠すぎた。
「 ……バッカじゃないの!? 」
周りのざわめきなんか聞こえなかった。今自分を突き動かしているものが、怒りなのか、悲しみなのか、嫉妬なのか、それともただの好奇心なのか。分からない。分からなかった。あたしはもう何も考えずにシークを揺さぶって、泣いて、わあわあ言ってた。何を言ったかもあんまりわかってなかった。ただ、これだけは間違いなく言った。そして聞いた。
「 あたしのことなんて嫌いって言えば良いのに!…、どうせ他に【自主規制】な子がいるんでしょう!そうでしょ! 」
「 …うん 」
「 ………………! 」
限界だった。全てが。あたしは泣きじゃくりながら一人で走った。水族館を抜けて、おっきな街も抜けて、どこをどう走ったか覚えてないけど、気が付いたら館の前だった。あたしは自室に駆け込んで鍵を閉めると、もう二度とこの扉は開けないと心に誓って泣き続けた。
ーーー
「 はぁ、っはぁ…スクープだよ!スクープ! 」
午後四時くらい。わたしマロンは館の廊下を走り周りながら叫んでいた。気が付いたら銀の匙戦争は終わってたけど、まあ仕方ないよね!多分今はティーパーティしてるところだと思う。でも、スクープのためならこれくらいの犠牲は厭わないのがプロでしょ!いや、なんのプロかは分かんないけど…。さっき言ったみたいに、今マロンの手の中には大スクープが握られている。一刻も早くこれを誰かに伝えたい!って思って伝えられる人を探してるんだけど、ほとんどのメンバーはティーパーティ中だし、興味のない子も久し振りの晴天に館を飛び出しちゃってるから静かすぎる。つまんない。でも止まるわけにもいかないから走ってたら、扉から出てきた誰かさんとぶつかりかけた。
「 わわ!っと、わあ、ごめんなさい!悪気は__ 」
「 ンー?ん、いいヨ! 」
びっくりしてわたわたと謝ったけど、相手は割とあっさりと許してくれた。えっと、エナクン、だよね!トートバッグから手帳を取り出してささっとページをめくる。この作業も馴れたもの_Eの項は、と_あった。うん、そうだね!と、エナクンがマロンの顔を覗き込んだ。そのおおきくてきらきらの瞳は好奇心に満ちていた。子供っぽいかもだけど、マロンはこういう目、好き!。
「 で? " スクープ " 、聞かせてくれるんデショ? 」
「 !、うん、そうなの!あのねあのね、__ 」
そしてマロンは、さっき水族館で見てきた一部始終を洗いざらい話した。シークサンが振ったってところまで全部、要点をしっかり押さえて短く的確に。興奮しすぎて時々詰まったけど。だってすごいじゃん!あんなに仲良さげだったのに振ったんだよ!。それをエナクンは聞いているのかいないのかウンウンと頷いていたけど、終わってから一言だけ言ってけらりと笑った。
「 そっかー、あんまり興味なかった! 」
ーーー
あたしは、朝決心した通り一歩も部屋から出ていない。途中で都さんだかが心配しにきた。余計なお世話、という言葉を呑み込んで体調が悪いと言った。気持ちを偽るのは普段からしているけど、それは嘘ではなくて証明出来ないものを認めていないだけだから、こんなにも『嘘』と自分で分かるものがいとも容易く自分の口から出てくるとは思わなくて、ちょっとどぎまぎした。実際、あたしの心は重いけど体にはなんの問題もない。都さんは扉の前でそっか、とだけ言って離れて行った。体に気ぃ付けてな、とかも言ってたかも。でも、そんなことはどうでも良かった。今の話_マロンさんの話を信じるなら、シークさんはパァルさんが好きじゃなかったってことになる。他の誰かが好きだからって理由で。頭がうまく回らない。聞いた言葉が堂々巡りをやめない。流れる血が速度を速めたみたいだった。…ノックの、音が、した。
「 …なんで?そんな、今更 」
誰だかなんて流石に察しがつく。当たり前だ。必然的だ。彼は、【自主規制】が好きなのだ。あんなに彼に尽くしている彼女よりも。なんで。どうして。答えの出ない問を繰り返す。扉なんて開けない。そもそも、ぴくりとも動けなかった。
「 ごめんね。…【自主規制】だよ 」
何言ってるんだろう、この人。じゃあ、あたしがおなじことを伝えた時、どうしてあんな顔したの。なんであんなこと言ったの。今、どんな顔してるの。彼女を…パァルさんを捨ててまであたしみたいなやつを選んだの。あたしは、いやきっと彼女も、あなたが【自主規制】だったのに。もう、手遅れなんだ。全ては壊れてしまった。こうなったのも全部、【自主規制】のせいだ。…ああ、だから、
「 シークさんなんてだいっきらいです。 」