とある証明の方程式


それは本当に突然だった。あまりにも突然。それは、俺等二人がたまたま応接間で紅茶を飲んでいた時のこと。茶葉は良く覚えていない。なんとなく、ミルクティーだった気がしなくもない。それだけだった。

では、なぜ俺等が応接間で紅茶を啜るような状態になったのか。これはぼんやりと覚えている。確か、大広間でシンイか誰かが暴れまわって何かを壊し、騒ぎを聞きつけた都が来て他の奴等と俺は逃げるなり離れるなりしたから、だった筈だ。そこで、ちょうどコイツ、リク…と場所が被ったのだ。かと言って、お嬢様もお出掛けの今わざわざ追い出したい程の相手でもなく、ただ三人掛けのソファーに一人分の隙間を作って座っていた。応接間は、不思議な、と言えばまだ聞こえも良いが悪く言えば変な静寂に満ちていた。したいと思っている訳でもないが、会話をも許されざる行為だと言われているような空気の重さがあった、気がした。

雑誌か何かを片手に紅茶を啜っていたリクが、ふと視線を上げた。リクの正面、少し上に掛かった時計をじっと見詰める。コバルトブルーの海に、羅針盤が映った。気がつけば俺は、リクを見つめていた。当然と言えばそうだったのかも知れない。リクは手元に雑誌があるが、俺には何も無かった。正直なところ、暇をもて余していたとい表現が妥当だろう。だからこそ、リクを眺めるという行為に繋がったのだと思う。

と、ふとリクと目が合った。此方から合わせたのだが、恐らく俺は嫌な顔をしたと思う。にも関わらず、コイツはちょっと目を細めてやや笑顔を見せてきたのだ。何なのだ。思わずあからさまに顔を顰めた俺に、リクがくすりとする。

「 ねぇ、あのさ? 」

「 …、何だよ 」

にっこりとすると、リクは時計を指し示した。右手に着いた指輪が反射してきらりと光った。

「 この時計さあ、…一分だけ遅れてるって知ってた? 」

「 は? 」

まさか。そんなことはあり得ない。誰が言ったか覚えていないが、館の時計は大広間の大時計と繋がっており、狂うことは無いらしい筈だ。どういうことなのだろう。からかうにも低級過ぎるし、だからどうだと言うのだ。コイツの真意は読めず、む、と表情を歪めるくらいしか出来なかった。リクは相変わらず笑っている。

「 …まさか 」

「 さあ、どうだろうね? 」

リクは笑顔を崩さない。軽く笑い飛ばすつもりだったが、そうもいかないようだ。全く、コイツ…大人をからかいやがって。そう思うも、言葉に出せるものでもない。

「 いや、半年前くらいにさ? 大広間に僕がいたらさ、バンとあられちゃんが飛び込んで来たんだよね 」

いかにも楽しそうに語るリクだが、一瞬開いた瞳の中に冷たさが走った。そうは思っていないのが見え見えだ、と思うのも勘違いだろうか。分からない。

「 煩いな、とは思ったんだけどね、何しろ子供じゃん? ねぇ、 」

「 仕方ないんだろうな 」

適当に頷く。それぐらいが良いと思う。

「 うん。だから放っといたんだ、でもね、途中であられちゃんが泣いちゃってねえ 」

困った子だよね、といかにも普通の少女が愚図ついただけのように語るリク。とんでもない、あられは一番泣かせてはいけない存在だ。アイツの涙はあられになり、そのひなあられは爆弾になる可能性があるのだ。効果も侮れない。恐ろしいったらありゃしない。ゆるりと首を振り、呆れたという感情をやや示しつつ続きを促した。

「 それで? 」

「 まああられちゃんの魔法はご存知の通りだね? 1つ、空中で爆発しちゃってさ。音は響かなかったし、空中だから実質の被害は無かったんだけど、_ 」

ここで少し言葉を切ったリクは、その時のことを思い出しているように見えた。

「 …まあ二人の顔が真っ青でさ。ふーん、何かあったなあと思ったら、止まってるの。爆発のせいで、時計が。 」

「 …? 」

一瞬、何を言っているのか理解出来なかった。さっきも説明したが、館の時計が狂うことは絶対に無いのである。理解の及ばない範囲で話をしないで欲しい。相手に情報を与えないで優越感に浸るのはガキのすることだ。そりゃあコイツはまだ十八なのだから充分ガキだが、自分では大人だと勘違いし始めるような年齢の癖して子供っぽい言動をするのは対応する此方も面倒だから止めて欲しい。そんな感情を込めて今度は重苦しい溜め息を吐き出し睨み上げたが、リクは怪しげな笑顔をやや深めただけに止まった。本当に、何がしたいのだ。

「 …だってさ、僕が見たのが止まってる時計だったんだもん 」

仕方ないでしょ?と肩を竦めるリク。胡散臭げであまり好きではないと感じた。いつも胡散臭いような奴ではあるが。

「 二人ともそこら辺走り回ってはコソコソ話しちゃって。どこもかしこも時計が止まってる、って。確かめたら本当にそうで、流石にどういうことだろうと僕も思ったんだけど、…そこで、また動き出したの。きっかり一分後に、だよ? 」

「 …それで 」

これ以上何を言っても無駄だと思った。だから軽く流した。この話が終わったら、大広間に戻るのが得策だと思う。その頃にはお嬢様もお帰りだろう。ちらりと相手に視線をやったが、かわされてしまった。

「 …別に? なぁんにも。分かるでしょ? だからこの時計は、一分遅れてるんだって。 」

「 …… 」

そう言えばそうだ。しかし、ガキ共に聞いたって明白な回答は得られないだろうし、それを証明することは出来ないだろう。また、仮にそうだったとしてもだからどうということもない。これまでに、それが原因で何か重大なことが起こった事もない。だからこそ、これまでずっと何事もなく生活出来たのだから。

「 何が言いたい? 」

「 それは証明出来ない、って思ったでしょ? でも、世の中ってそういうものなんだと思うんだ 」

ふわりと、風が俺等の横を抜けたかと思えばリクの雰囲気が一変した。これまでにないくらいあたたかい笑顔を浮かべている。胡散臭さもいくらか和らいだ気がしなくもない。俺は何も言わない。それが正しいと感じたからだ。


「 人間の記憶なんてあてにならない。機械だっていつどこが故障するか分からない。結局、はっきりと証明出来る術なんて無いんだよ、何だとしてもね 」


「 …だから、 」

「 僕がきみを好きだ、みたいなことも誰にも否定出来ないってこと 」

そう言ってもう一度リクは笑った。

「 ……下らねー 」

もう一口紅茶を啜った。時計の鐘が鳴る。一分遅れて時を刻むこの時計は、春の訪れも一分だけ遅れて知らせるのかも知れない。窓の外には、桃色に膨らんだ桜の蕾が見えていた。


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