虚言



 もしかして、ミコトくんの正体に気づいてるのは、この館でぼくだけなのかもしれない。いや、主さまは気づいてるかもしれないけど。ミコトくんはほんとうはミコトくんでも何でもない。ある人の肉体を、別の人の霊魂が乗っ取っているんだ。どっちがミコトっていう名前なのか、そもそもそれ全体を含めてミコトっていう人名なのかわからないけど、とりあえず、霊が肉体を乗っ取っているんだ。そんな、ずるいことってない。ぼくは今もこうやって純粋な霊体として生にあらがっているのに!
 台風による暴風雨で、窓ががたがたと唸っている。館そのものが震えているようだった。各階にあるラウンジでは、雨を心配する人たちが集まって、おしゃべりしている。台風が来る日は、外に出られないから、自然とみんな集まり出すのだ。
 ミコトくんもラウンジにいる人のうちの一人だった。けれど、彼は話の輪には入らずに、窓際のスツールで本を読んでいる。ぼくは悪戯好きだけど、話に割り込んでまで悪戯するほど悪趣味ではない。彼がひとりでいるのは好都合だった。
「ねえ」
 ぼくがすうっと窓際に近づくと、ミコトくんは顔を上げた。彼の金髪の髪がさらさらと動くのが、薄暗い窓に映っていた。ミコトくんとはよく話すわけではないけれど、よく目が合う、気がする。気のせいか。いや、ぼくが目を合わせてるのかもしれない。それも気のせいか。
「なに?」
 ミコトくんはぱたんと本を閉じた。表紙をちらりと盗み見ると、『ツァラトゥストラはかく語りき』と書いてあった。
「ちょっと来てほしいところがあるんだ。今良い?」
 ぼくはミコトくんの目を見て言った。オッケー、と笑った彼は、すっと立ち上がった。
 そうして、ぼくらはするりとラウンジのざわめきを抜け出した。階段をのぼって、のぼって、のぼりきったところに、屋上へと繋がる扉があった。時折、風にドアがごわんと音を立てる。ぱち、と壁際のスイッチを押して階段の蛍光灯を点けようと思ったが、電気が切れているのか点かない。まあいい。こつ、と、一面が灰色みたいな空間に、ミコトくんの靴音が響く。ぼくが階段の一番上の段に腰掛けると、彼も当たり前のようにぼくの左隣に腰掛けた。そういう馴れ馴れしいところが、――が、なんだろう。
「ぼくは、ミコトくんのことが好きなんだよね」
 相手の顔は見ないで、目下の踊り場の床を見つめる。踊り場にある窓の外で、木々の緑が踊り狂っていた。ミコトくんが足を組む衣擦れの音がする。
「ああ、そうなんだ」
「やっぱり、つまんないね」
 ぼくは目線をミコトくんの方に向けた。彼の顔色は変わらない。さっきぼくがしてたみたいに、ただ真っすぐぼくを見ている。冷ややかだ。たぶん、網膜の奥底までじりじりと刺さってくる。血の通った純粋な肉体を持ってるくせに、こんな冷たい目ができるなんて。ぼくは肩を竦めた。
「何、なんかの罰ゲーム?」
 ミコトくんは前髪をかきあげた。
「まあ、そんな感じかな」はは、とごまかし笑いをする。他人を乗っ取っているミコトくんが、他人から想いを向けられたらどんな反応するんだろうって思ったんだよね、とは言えない。「それでってわけじゃないけど、ミコトくんはぼくのこと、どう思ってるのかなー、なんて」
「たかが罰ゲームでそんな質問するなんて、健気じゃん」
 どおん、と、雷鳴がした。彼の語尾のじゃん、という声音で、見透かされてる、と直感した。今、彼にはこちらの敷いたレールに『お乗り頂いて』いるのだ。この一連の会話は、嘘の告白は罰ゲームによるもの、という設定に『則ってもらって』いるから成り立っているのだ。ぼくは髪を耳にかけなおした。
「いや、嫌いなんでしょ」
 興味ないんでしょ、と言うか迷ったけど、嫌いなんでしょ、と口に出した。嫌われるより興味ない方が寂しいって知ってる。好かれないなら嫌われた方がまし。
「そんなんじゃあないよ」ふっ、と、ミコトくんは微笑んだ。「羨ましいだけだよ」
 じゃ、と、ミコトくんは立ち上がった。ぼくは立ち上がれなかった。さっきのミコトくんの笑ったような顔に、足がすくんだまま、ミコトくんの背中を見送る。そうだった、ぼくが彼のほんとうに気づいてるなら、彼がこっちのほんとうに気づいてるなんてこと、当たり前だったんだ。
 このまま彼の背中に触って、踊り場まで突き落としたらどうなるんだろう。窓の外の木々のざわめきがより一層大きくなる。ぼくは立ち上がった。
「ほんとうは好きだよ」
 もう彼は踊り場のところまで下りきっていた。チカっと辺りに光が満ちて、一際大きな雷鳴がする。ぼくは階段を走った。ああ、虚言と一緒に、奈落へと転がり落ちていた。

texture: エンドロールには僕の名を射止めて/ Garnet様

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