Silver spoon wars
ふしぎなお茶会、きらめく銀の匙

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1.仲直り

「ねえ、この指輪、おいくら万ポルン?」
 あたし、きらきらした指輪を指さした。銀色で、ちょっと太くて、お花の彫刻がしてあって、ルビーなのかガーネットなのかあたしにはわからないけど、赤い宝石の粒が存在感を振りまきながら花の中心に座っている。一目見て、メルトかわいいものセンサーが発動した。マーケットを回った甲斐があった。かわいい。これなら、絶対、あのひとに似合う――。
「……おジョーちゃん、今時おいくら万ポルンなんて言葉、俺みたいなおじさんでも使わねえよ?」
 一日かけて回りきれるかわからないほど広いマーケットの一角。このこじんまりした縦に細長いスペースに、ごちゃごちゃと物が並べてある怪しげながらくた屋を構える店主はカウンターに頬杖をつきながらけらけらと下品に笑った。
「いいじゃない、あたし、おいくら万ポルンって響き、すきなのよ」
 と、あたしは肩を竦める。いいじゃない。あたしの住むお国が、ポルンっていうかわいい響きの通貨のお国でよかった。おいくら万ポルン、って口に出すと、ぽんぽん弾むような気がしない?まあ、万単位でお金を出すのにはちょっと気持ちがしょぼしょぼになるかも、だけど。
「ねえ、それで、これ、いくらなの?値札がついてないのだけれど、」
 50cm×100cmくらいの、壁にかかった大きなコルクボードには釘というか針金というか、とにかく金属質のながっぽそいものが刺さっていて、そこにイヤリングやらヘアピン、ネックレス、ブレスレットなんかがいっぱいかかっていた。勿論、あたしの目に留まった銀色の指輪もそこにあった。普通、値札なんかが紐とかで結ばれてついてるじゃない?でも、その指輪だけ何もついていない。あたしは指輪をつまんで、じっとよく見てみるけど、やっぱり何もついていなかった。
「値札がついてねえのか?ちょっと見せてみろ」
 店主のおじちゃんはよっこいしょ、とカウンターの椅子から腰をあげた。あたしが指輪を差し出すと、心なしか、おじちゃんの顔が曇ったような気がした。ああ、とおじちゃんは声を漏らす。腕組して、おじちゃんは黙ってしまった。
 ねえ、と声をかけようか迷ったとき、おじちゃんは口を開いた。
「その指輪はなあ、売りもんじゃねえな。ごめんよ、間違えてた」
 え、とあたしは眉間を顰める。「それって、売ってくれないってこと?」
「ああ、そうだな」とおじちゃんは少し息をついた。おじちゃんの顔はえらく高いところにあって――というか、あたしは大抵の人より身長が低いんだけど――、見上げるとおじちゃんの顔は翳って見える。
「やだ、あたし、その指輪に惚れちゃったのよ」と、あたしは食い下がった。
「そう言われてもだなあ、これは売れねえんだよ」
「なんで?」
「なんでもだ、」
「なんでもって何よ、」
 あたしは頬を膨らませた。メルトは強情なおんなのこ、なんだもの。あれ、強情って自分で言うものじゃあなかったんだっけ?
「だめったらだめだ」
 おじちゃんはあたしの手から指輪を掴み取ると、ぷい、と背を向けて、がつがつとカウンターへ歩いた。おじちゃんは背も高いし恰幅もよくて、椅子に座ると本当に、ほんとに、どすんと音がした。なんだかその雑さにかちん!むしゃくしゃ!ときちゃって、あたし、ふんす、と腕組する。
「何よ、理由くらい説明してくれたっていいじゃない」
「だーめだ。この指輪はだめだ、おジョーちゃんには」
 おじちゃんもぎゅむ、と苦い虫でも噛んだみたいに顔を顰めて言う。なーにそれ!あたしがチビで、子供っぽくて、いや、子供だよ、おこちゃまだけど、だから教えてくれないの?値段さえ教えてくれないし、何よそれ。何よ!
 心に飼った炎が、ごうごうと燃えている。カッと顔が火照るのがわかる。あたし、我慢ならなくて、つかつかとカウンターに歩み寄った。
「ねえ、あたし、それ、絶対に欲しいの!喧嘩したけど仲直りの証に、ヴァレちゃんとの仲直りの証に、それ買いたいのよ!絶対ヴァレちゃんには似合うと思ったから、これ以上ないと思ったから!ねえ!おじちゃんってば!」
 そう大声でまくし立てた。ばん、とカウンターを叩く。ちょっと拳が痛い。店内に人はいなかったけど、通りの方が一瞬少し静かになって、また、ざわめきが戻ったような気がする。おじちゃんは少しびく、としたけど、あたしが深呼吸をしたと同時に、ぽり、と額を掻いた。むん、とあたしはおじちゃんの顔を睨んだ。
 おじちゃんの唇が開いたのが見えて、あたしは目を瞑る。なんて言われるか、わからない。やった後で後悔したけど、あたし、あんなに大声で騒いで、なんて言われてしまうのかしら。マーケットに出禁になったり、しないかしら?不安が脳裏を駆け巡る。おじちゃんが息を吸う音が聞こえた。ぎゅ、と瞼に力をいれた。
「ヴァレ、ってヴァレーニエのことか?」
 そう、聞こえた。確かにそう聞こえた。あたしはえ、と声を漏らす他、ない。なんで、お店のおじちゃんがヴァレちゃんの名前を知っているのだろうか。「そう、だけど」と、あたしは弱々しく返事する。
「んだよ、お前ら、仲いいな」
 なんて、おじちゃんはぶつぶつ呟いて、「取り置きリスト」と書かれたノートを捲りながら、ははは、と笑っている。何がなんだかさっぱりわからない。さっぱりわからない。さっぱり、さっぱり、さっぱりわからない。
「ま、俺がこの指輪を売れない理由なんて、じきにわかるって。ウーン、その指輪が2個あればよかったんだけどな――まあ、こっちのミスだ。ほれほれ、帰んな、帰んな」
 おじちゃんは先ほどのむすむすした顔とは違って、なんでかけらけら笑っている。実に愉快そうである。反対に、あたしは、不愉快。
 なんで、教えてよ、とあたしは抵抗したけど、結局追い出されてしまった。でもなんでか終始おじちゃんはにやにやしていて、ちょっと気味悪い。「ちゃんと仲直りしろよ、」なんて最後に言われたけど、おじちゃんのせいで仲直りの証、あたし、買えてないんだけど。でも結局あたしは渋々、店を後にした。あたしがあの店に入ることは、たぶん、これからないだろう。

 館に帰ると、もう夕刻だった。クリーミーな匂いが玄関まで立ち込めている。夕飯はシチューかな、なんて考えて、ちょっと気を紛らわせる。でも、重い溜息は漏れた。
 部屋に戻ろうと思って2階の廊下を歩いてたら、ふと、ヴァレちゃんの部屋のドアの前で足が止まった。別に、何かあったわけじゃない。でも、ただ、急に、足が止まった。ヴァレちゃんと喧嘩したのは昨日の朝のこと。理由はくだらなかった。あたしが馬鹿なこと言ったせい。ヴァレちゃんは怒っちゃってどっか行って、あたしは何よってぷんすかしてた。でもだんだん馬鹿馬鹿しくなって謝りに行こうと思ったけど、館のそこらじゅうを探してもヴァレちゃんはいなかった。他の人に聞いたら、外へ出かけるところを見た人がいた。晩御飯の前には帰ってきたけど、その日は一切口を利いてもらえなかったし、利かなかった。つ、と部屋のドアに指で触れる。ヴァレちゃんは今日はこのドアの向こうにいるのかな、書架にいるかな、それともまた今日もどっか行っちゃったかな、なんて考えたら、あたし、悲しくなってきた。視界が潤む。目をぱちぱちさせたけど、あんまり潤みは直らない。はあ、と息をついたけど、うまく吐けなくて微妙に震えた。夕陽と窓が作る影は、しっかりと、あたしとドアにも落ちていた。
 と、背後からこつ、と靴音がして、あたしは涙をおさえながら振り向いた。ヴァレちゃんが数メートルほど離れたところに立っていた。きゅ、と薄い唇を結んでいる。あたしも、下唇をぎゅっと噛む。立ち去るか、近寄るか、迷う。足は、動かない。口は何とか動く。
「何、してるの?」
 尖った、かわいくない言葉しか出なかった。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
「貴方こそ、わたしの部屋の前で何してるのかしら」
 ヴァレちゃんの声を聞くのは久しぶりのような気がした。でも、聞き覚えのある声より随分と冷たい。あたしは目を伏せる。
「なんでもない、し」
 そう吐き捨てると、あたしはくるりと向きを変えて、彼女に背を向けて歩き出した。「待って」という声が聞こえる。あたしは無視した。ずんずんと廊下を進んだ。あたしに仲直りなんか無理。あたし、自分でもわかってるけど、おこちゃまだし、コドモだし、頭おかしいし、友達少ないから、大切な人失っちゃったときの仲直りの仕方なんてわかんない。わかんない自分に涙が出る。ぺかあっと真っ赤な夕空がなんだか腹立たしい。早く沈んじゃうか雲に隠れちゃうかすればいいのに。
 ぱたぱたと廊下を駆ける音と「待って」という声がまた、した。構わず一歩右足を踏み出す。左足も踏み出そうと思ったが、動かない。両足がとても冷えている。足元を見ると、靴が床に凍り付いていた。彼女が魔法を使ったのだとわかる。身をよじって靴を氷から抜こうとするけど、全然取れない。
 すぐに彼女は動けないあたしに追いついた。あたしはずっと顔を伏せていた。だって、顔、見られたくないし、ヴァレちゃんの顔を見る勇気もない。
 ぱか、と何か小箱みたいなのが開く音がした。床の赤いカーペットとあたしの茶色の靴だけだった視界に、ヴァレちゃんの手と蓋の開いた小箱が入ってきた。あたしは小箱に入っているものを見て、思わずはっと顔をあげた。すぐ上に、ヴァレちゃんの顔があった。
「ごめんなさい、昨日は怒って出てったりして」
 そう言うヴァレちゃんの顔はいつもと同じく優しくて、ちょっと笑っていたけど、少し眉が悲しそうだった。
「これ、仲直りのしるしね」
 ヴァレちゃんはあたしの左手を取った。すると、小箱に入っている、銀色で、ちょっと太くて、お花の彫刻がしてあって、ルビーなのかガーネットなのかあたしにはわからないけど、赤い宝石の粒が存在感を振りまきながら花の中心に座っているあの指輪を取り出して、そっとあたしの薬指に嵌めた。
「違うよ、あたしが、あたしが悪かったの……」
 何かがおえ、とこみ上げてくるようで、うまく言葉が出てこない。まっすぐヴァレちゃんの目を見て話しているつもりなのに、視界はゆらゆらして、ぼわぼわして、ピントが合わない。
「仲直りしたのに、何泣いてるのよ」
 ヴァレちゃんはそう行って、あたしの頬を指で拭った。おじちゃんが指輪を売ってくれなかった理由がやっとわかった。もう誰かに買われてたなら、だめだよね。そう言ってくれればよかったし、取り置きされてた商品を店頭に置いてたのはどうかと思うけど、でもまた、あの店に行ってもいいかも、かもしれない。





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