共犯

「コォズくーん、あのう、ちょっとついてきてほしいところがあるんですけど」
 ある秋の日の午前、ラウンジで園芸雑誌を読んでいると、幼馴染のクロエが声をかけてきた。僕はシクラメンの育て方特集のページから顔をあげた。
「何、」
「すぐ、あっちのお庭ですからあ」
 とか言って、クロエはへらへら笑っていた。クロエはよく、へらへら笑う。白いピナフォアの肩のフリルに、下ろしたままの金髪が尾花のようにさらさら揺れていた。
 返事はしなかったが、今読んでいた、赤いシクラメンが載ったページが分かるようにページの角を折ってから雑誌を閉じて、ラウンジのローテーブルに置いた。それを見て、無言でクロエはラウンジの出口へと歩き出した。僕も立ち上がって、クロエの背中を追いかけた。
 ふたりとも喋らず歩いた。窓を流れる雲を見たり、俯いて自分の靴と絨毯を見たりした。時々、顔を上げて、クロエの背を見た。近くを流れる川の土手の、ススキの群生が脳裏に少しちらつく。そういえば、クロエの髪は肩につくくらいの長さだった気がするのだが、背中にかかるくらいまで伸びている。まあ、当たり前か。
 クロエは、離れの建物の裏で立ち止まった。たしかに、屋敷の敷地内ではあるのだが、華やかに秋花の咲き誇る広い裏庭とは違い、そこは見すぼらしい雑草のたまり場だった。草を刈っておくなどの、申し訳程度の整備がなされているだけだった。その土の上にはすでに、青いプラスチックのバケツが一つ、スコップが一つ、アイスの棒のようなものが一つ、置かれていた。
「ちょっと、ここに立ってて見ててもらえますか?」
 クロエはスコップを地面から拾い上げて言った。
「まあ……うん」
 見ててもらえますか、って、クロエが呼んだんじゃん。とは思ったけど、何も言わなかった。クロエのふわりとした頬は上がっていたが、少し緊張しているのか、口の端はぎこちなく結ばれている。僕も口を噤んで、ただ、「庭」に突っ立つことにした。
 クロエは僕に背を向けてしゃがみ込み、地面の土を掘り始めた。十回ほどスコップを土に差し込むと、地面に浅いくぼみができる。少し風が吹いて、伸びかけの少し背の高い草がさわさわと音を立てる。クロエはスコップを置くと、バケツから一匹の魚を取り出した。手のひらほどの大きさで、濡れたような表面をしているが、鱗と瞳には全く輝きがなかった。死んでいた。その体表のオレンジ色から、応接室にある水槽で泳いでいた熱帯魚なのでは、と、考えてみる。
「あのう」と、クロエは地面のくぼみにそっと魚の死体を置いた。「クロエ、この子を殺しちゃったんです。かわいそうなお魚さん」
 僕はちょっと、殺した、という言葉にどきりとする。風が吹いていないのに、離れの裏の薄暗いスペースに冷気が垂れこめたような気がして、首の辺りの産毛がそっと逆立つ。
「応接室の熱帯魚でしょ? 寿命で死んだんじゃないの」
「クロエが殺したんです、水槽の水を移し替えるときに、水温のミスしちゃって」
 ぼとぼと、と、湿り気のある土が熱帯魚の上にかけられる。クロエは依然、僕に背を向けていて、ただ、機械のようにせっせと手を動かして土を運んでいる。
「別に、――故意に殺したんじゃないだろ」
 と、うわごとのように言ってみる。すると、クロエが振り返った。尾花が遠くで揺れるように、小さく、か弱く、金髪が秋風になびく。
「まあ、そうなんですけどお、でもやっぱりクロエ、死なせちゃったし、この子に悪いことしちゃったんですよう、だから」クロエはへらへらと笑っていたが、目が潤んでいた。頬を上げているから、目尻から涙が零れないだけで、ほぼ泣いているに等しいように思えた。「だから、埋めてるところ、誰かに見ててもらいたかったんです、見てもらってなかったら――殺人事件の犯人が、山奥で死体遺棄してるのとあまり変わらないじゃないですか」
 そう言うと、クロエはスコップを握っている手の甲で目尻を拭った。すん、すん、と鼻をすする音がするたびに、彼女の肩は震えて、エプロンのフリルも震えた。クロエはたぶん、第三者に裁いてほしかったんじゃないかと思う。自分が悪いことをしたと思っているのに、誰にも言わず黙ったままでいるのが苦しかったのだ。
「もう、僕が見てたから大丈夫だって」
 僕は、クロエの隣にしゃがみ込んだ。そして、手で地面の土をすくって、熱帯魚の上にかろくかけてやった。湿った土が、指紋の溝に少しついてしまったが、クロエがこのまま泣き止まなかったら、ということの方が問題だった。幼馴染が泣いているのを目にするのは、他の人が泣いているところを見るのより、断然、嫌だ。せめて、昔のように、ぎゃんぎゃん大泣きしてくれれば良いものを、湿っぽく泣くので、困るのだ。
 しばらく、と言っても、一分も経たないうちに、クロエははあと息をついて、鼻をすするのをやめた。クロエの鼻と目尻は少し赤くなっていたが、ややすっきりとしたようで、すっと前を見つめていた。
「墓標を建てたら、終わりです」
 やや鼻声で言いながら、クロエは地面に置いてあったアイスの棒をつまんだ。先端に、今日の日付が書いてあった。それを小山に刺そうとしたが、クロエはすんでのところで手をとめた。
「でもやっぱり、いいかな」ぽつ、とクロエは呟いた。僕はクロエの横顔を見た。ちょっとだけ、本当に微妙に、口角が上がっていた。「コォズくんが、『共犯』だし」
 ね、と、クロエはこっちを向いた。赤みを帯びた頬が、にまりと上がった。初めて見る笑い方だった。心の奥で、ざわりとススキが揺れる。
 僕は頷いてしまった。ススキを揺らした風が僕を揺らしたみたいだった。ふたりして立ち上がった後も、耳の後ろをぞわっと風が撫でるような感覚はどうにも消えなかった。僕たちは、何の墓標も建っていない、小さな土の山を後にした。そこに熱帯魚が埋まっていることなど、もう他の誰も知らない。
texture by Suiren "虚"
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