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 青い目の女だった。青白い肌に、青みを帯びた灰色の髪、白と青の涼しげなワンピース。雰囲気は――そう、儚げで、今にも消えてしまいそうな女だった。そのくせよく喋る女だ。絶え間なく何かを話していたが、その内容のほとんどはまとまりも脈略もない。聞き流すことのほうが多かったが、俺はそんな話のほうが好きなような気がした。常に頭を回さないと理解の追いつかないような話は疲れるからだ。おつむのよくない俺には、その程度の話がちょうどよかった。
 女とは海辺で出会った。俺にとっては、あてもなくふらふら歩き続けて行き着いた場所だった。夕暮れか早朝か、とにかく陽が高く昇っているような時間ではなかったと記憶している。女は、波が寄せる度に足を濡らしていたが、そんなことは気にも留めていない様子だった。海には俺と女しかいなかった。変なやつもいるもんだ、と通り過ぎようとしたその時、女は俺の方を振り返ることなく、こう言った。
「あなた、何か悩みがあってここに来たんでしょう」
 俺は驚いた。図星だったからだ。金も仕事もなく、人生がどうでもよくなっていたから、あんな時間にわざわざひとりで海まで行っていたのだ。
 俺が固まっていると、女はゆっくりとこちらへ歩いてきた。
「ぜんぶ忘れましょうヨ、あたしと一緒に」
 女は、不自然な喋り方をする。同じ言語を話していたのは確かだが、イントネーションが時々おかしい。異国から来たのだと思って、俺は大して気にしていなかった。喋り方なんかより、女が何者なのかのほうが気になっていたからだ。結局、何者だったのかはわからず終いだったが。
 後に『シャート』と名乗ったその女とは、俺がその海に行くたびに再会した。海風に舞う長い髪が目印だった。女はいつもどこか遠く、水平線の果て、のようなところを見つめている。いつしか俺は、彼女をなんとなく探すようになっていた。
「今日も疲れてここまで来たんですか」
「昨日、昨日は……ええと、なにしてたっけ?」
「あたしはいつでもここにいますヨ」
「美味しそう! 買ってきてくれたんですか!?」
「あたしの家なんてどうでもいいじゃないですか、それよりもっと楽しい話をしましょうヨ!」
 もう一度言うが、女はよく喋るやつだった。その割に、自分の身の上話のようなことは一切しない。俺はというと、彼女に会うたび、辛いこと苦しいことを吐露しては解決したような気にさせてもらっていた。お喋りが好きな女だったが、意外と聞き役に徹するのも上手かったのだ。的を射た発言やアドバイスこそしなかったが、聞いてもらえるだけで、彼女のとりとめのない話を聞くだけで、楽になれたような気がしていた。
 気がつけば、俺は毎日海に行っていた。その電車賃のためだけに働き始めたし、間違いなく彼女のおかげでいくらかマシな生活ができるようになっていた。
「毎日会いに来てくれるなんて、嬉しいです。そういえば、お仕事見つかったんですネ! いやあよかったよかった! おめでとーございまーす!」
「お礼なんていいですヨう、あたし、なーんにもしておりませんので!」
 今になって思うが、どことなく人を惹きつける魔性のようなものがあった気がする。もっとも、初めて出会った時に何事に対しても投げやりになっていたからそう感じるだけかもしれないが。ともだち、のようなものができた気がして、本当に嬉しかったし、楽しかったのだ。




 一度、陽が落ちる寸前の頃に行ったことがあった。夕方の海は少し肌寒かったが、相変わらず景色は綺麗だった。
 彼女は俺に気がつくと、薄く微笑んだ。その日も多分、他愛のない会話をしたと思う。仕事でこんなことがあったとか、今日は砂浜を大きなカニが歩いていたとか。本当に、友達同士がするような、そんな程度の話だった。その時、俺たちにしては珍しく、会話に間が空いた。話が弾まなかったのではなく、単にどちらも喋ることがなかったのかもしれない。戸惑っていると、シャートは勢いよく立ち上がってこう言った。
「あたし、そろそろ帰りますネ」
 俺はまたしても驚いた。そんなことを言われるのは初めてだったからだ。家のことを聞いても濁されるし、それ以外にも、彼女について掘り下げようとした際はいつもはぐらかされていた。ちゃんと帰る家があるんだとほっとして、俺も立ち上がる。シャートは、その長い髪を風に靡かせ、振り向いた。逆光でもわかる眩しい笑顔と、夕日に照らされてきらきらと光る灰色の髪の美しさを、未だ鮮明に覚えている。

「また会えるといいですネ!」

 波に拐われたその女と、俺が再会することはついになかった。






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