「ねえ、ココ」

 今日は、雨の日だった。

  「虹が綺麗だね」

 雨だというのになぜだか空は綺麗で、心も澄み渡るようだった。


 − ・ − ・ − ・ − ・ −


  「ココってさ、好きな子いないの?」

 おれはぱち、と目をあけて、ぴくりと耳を揺らした。どんよりとした雨雲が一番に目に入って、なんだか気分が悪ィ。更に投げかけられた質問で余計に気分が悪くなる。なんて目覚めの悪ィ起こし方すンだよ。むす、と眉を寄せたおれを見てあいつは困ったように、おれとは反対に眉を下げた。あいつはいつもその表情ばかりする。他のやつらといる時は知らねえけど、おれといる時はよくそんな顔をして見せた。それに意図があるのかは、知らない。
 と、ここまで思考を巡らせてから、わざわざおれの眠りを妨げてまで聞きたかった問いに路線を変える。内容的にはそこまで聞きたかったことか?って思うけれど、まああいつにしたら聞きたかったのかもしれない。訳も脈絡も分かンねえけど。

  「居るけど、何」

 まあここで嘘をつく必要は無いから。じっとあいつから目を逸らさないまま答えた。それで何らかの反応を見せるのかと思えば、全くと言っていいほどの無反応。声もあげないし見向きもしない、おまえの周りだけ時間止まったのか?って言いたくなるほどに。くそ、少しくらい反応しろよ。チッと舌打ちを落とした。

  「そういうリクはいねえのかよ。おれ以外に好きなヤツ」

 どうせなら、とおれからも問うてみる。こいつの事だし「みんな好きだよ」とか「そんなの居ないよ」とか言いそうだけど。それでもおれは、少しの可能性に賭けたくて。たったそれだけが知りたかっただけなのに、おれはひゅ、と息を詰まらせた。
 その瞬間、部屋がしんと静まった。いや、外からは雨水が滴る音や雫を跳ねさせる木々の音や、ざあ、と地を濡らす雨雲の音は聞こえるというのに、あいつの呼吸だけがどうしても聞こえなかった。いくらこのご自慢(でもねえけど)の猫耳を立てたって、あいつはこっちを見ようともせずただ黙っていた。

  「ふふ、どうだと思う?」

 先程までの空気から一変、あいつが笑うことで、空中で止まっていた花弁がひらりと落ちるかのように部屋の空気が動き出す。おれも、は、と息を吐き出した。それと同時になんでか力も抜けて背もたれにもたれかかる。さっきまでのはなんだったんだろう。そう言いたくなるほどにいまの空気は「自然」そのもので。
 けれど、何故だか分からないけれど何かが引っかかるような、何かざわざわするような「何か」があって。それが何なのかは分からないが、とにかくおれはおれの感情の裏の裏まで見られないように、ぎんと目を細めた。おれはまだコドモだから、そんなことしかできない。

  「知らねえよ、ンなもん」

 思わせぶりな瞳はおれに向けられて、じっと細めたおれの目とかち合う。見透かす。深く深く、お前の気持ちはどうなのって揺さぶるように。ぎゅ、と心臓が縮こまった気がした。見られたくなかったのに、もしかして、なんて思ってしまう。ピンと猫の耳が立つ。おれは気づかないうちに前のめりになってあいつの次の言葉を待っていた。おまえは、なんて答えるの。そう思ったとき。あいつは、ふ、と口角を上げた。

  「ココ」

 あいつがおれの名前を呼ぶ。おれは返事をしてやらない。それは意地悪でもなんでもなくて、ただ、呼ばない。呼べない。それだけのことだった。
 あいつの、閉じていた瞼が開かれる。空気に震わせた睫毛は艶やかでなんとも目を奪われるものだった。そのまま開かれたコバルトブルーとおれは混ざり合った。じと、と混ざりあうのではなくて、ガツ、とぶつかられるように。

  「虹が、綺麗だね」

 突然、あいつはそう言っておれを見た。おれは、あ、と全てを悟った。
 この「あ」はやべェやっちまった!の あ、!でもなくて、そうかそういう事か!の あっ!でもなくて。
 …ああ、踏み込みすぎた、のだと。すうと身体に浸透していくように、全てを理解したように、あ、と思ったのだ。

  「合言葉。…忘れた?」
  「…忘れたくても忘れらンねえだろ、あんなの」
  「そう?…まあなんでもいいんだけど、言ってごらんよ」

 幼子を諭すように、ゆっくりと促される。おれはその喋り方がすっげェ嫌い。だって嫌いなのに、うざってェのに、言うことを聞いてしまうから。猫耳がふるりと毛羽立った。
 ゆっくりとティーカップの縁をなぞったあいつはおれから目を離した。おれもティーカップに視線を移した。2、3度瞬きしても姿形を変えないティーカップ、羨ましい。おれもあいつも、たった一言で変わっていってしまうというのに。そのまま黙りこくったおれを再度急かすように、あいつは「ココなら言えるでしょ」と言った。確かに言える。言える、けれど、ここに居るおれとどっかで能天気に遊び回ってる誰かが言うのでは重みが違いすぎンだろ。察しろ。
 …なんて言えたら良かったんだけど。名前も呼べないおれが口答えなんかも出来るわけがなくて。恐る恐る、口を開いた。

  「…バカだな、おれには虹なンて見えねえ、よ」

 息より多く声を吐き出したつもりだったのに、実際に聞いてみると殆ど掠れて聞こえなかった。しかも吐息混じりッてやつ。それも可愛くねーやつ。ただ呼吸の合間に声を忘れないように出したかのような、そんな、悲しいやつ。
 くす、くすくす、隣で笑い声が聞こえる。笑うんじゃねえって怒ろうとしたけど、あいつは何処にもいなかった。否、居ないと言うよりは、ゆらゆら滲んで見えなかった。ぐす、と鼻がなる。誰の、なんてもう分からない。
 リクはそっと音もなく立ち上がっておれに手を伸ばす。その手は光に当たって、おれの涙に当たって。ああ、虹みたいだと、虹のように消えてしまいそうだと思った。
 消えて欲しくない。そう思った虹をかき消したのは、おれだった。


 − ・ − ・ − ・ − ・ −


 今日は、雨の日だ。

  「虹なんて幻覚だよ。さみしいさみしい誰かが望んだ、ちっぽけな光の幻覚」

 おれは、生まれて初めてキスをした。






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